(前回からの続きになります)
母が入院している間に行われた、
娘家族と母との面会の時は、
孫2人の子守り役として、
私は自分から申し出る形で、
面会に同行し。
兄と母との面会の時は、
兄に母との面会を勧めた話しの流れ上、
自分も兄と一緒に母に面会するつもりが、
病院の規則により、
私は母に面会することが出来ず、
母との面会時に、
私と話がしたいと言っていた、
兄の要望に応えるために、
兄の面会に同行することになった私は。
母と会話することは叶わなかったけれど、
病院が指定した面会室は、
建物の1階入口の自動扉横に造られた、
四方がガラス張りの部屋だったため、
同行した私が座っていた、
建物入口前のベンチからでも、
中が良く見える構造となっており、
私は娘家族や兄が母と面会をする度に、
母の様子を伺い知ることが出来ていました。

また、母がいる面会室の中側からも、
外の様子を見ることが出来たようで。
娘家族が母と面会を行った際には、
高校生以上でないと面会室に入れない、
と言われたため、
娘夫婦だけで面会室に入り、
一緒に連れてきていた孫2人は、
私と一緒に、
外にあるベンチに座りながら、
母に対してガラス越しに元気な姿を見せて、
母も笑顔で、
外にいる孫たちに手を振っていました。
兄が母に面会をした時も、
私は外のベンチに座っていたため、
兄に対して嬉しそうに笑っている母の顔を、
ガラス越しに見ることが出来た私は、
兄が病院側に、
私も一緒に面会する旨を伝えてくれていなくて、
私が兄と一緒に、
母と面会することは叶わなかったため、
何のために仕事を調整して、
平日休みを1日とったのか、
分からなくなってしまっていたけれど、
「母があんなに喜んでくれるなら、いいか」
と思い、
自分を納得させていたのでした。
母との面会が終わった後、なかなか母の入院費用を請求しない私に、兄はお金の入った封筒を渡してきたため、私は「では、このお金から折半費を引かせていただきます」と言って、その封筒を預かりました。
だから。
そんな母の、
面会を喜ぶ姿を見続けていた、私は。
自分の母との面会も、
当然、母に喜んでもらえるだろうと、
勘違いしてしまっていました。
そう。
勘違いだったのです。
兄と一緒に、
母に面会することが叶わなかった私は、
改めて別な日に、
母と面会することにしたのですが。
3度目に面会室を訪れてようやく、
母と会話が出来ると思い、
看護師の方2名に両脇を支えられて、
ヨロヨロとしながらも、
何とか自分の足で歩いて、
面会室に入ってきた母に、
喜んで声をかけようとした私よりも早く、
私の姿を見た母の第一声が、
私の耳に飛び込んできました。
「何だ、お前だけか」
不服そうな母の、
その言葉を聞いた私は、
娘家族や兄に会った時との態度の違いに、
冷や水を浴びせられたような気持ちになり、
自分だけが、
母親に会えると喜んでいたことが滑稽で、
そして、そんな自分を、
母を支えて一緒に面会室に入ってきた、
母の担当看護師に見られたことがとても惨めで、
私は母に会えた喜びの言葉を紡ごうとしていた、
自分の口を閉じると、
淡々とした口調で話し出しました。
「そうだよ、私だけだよ。
お母さんに確認したいことがあって来たんだけど…」
そう言って私は、
今は私が母の入院費用を払っているけれど、
母の入院費用を母の銀行口座から支払いたいこと、
母の家の管理を行なっていることを、
お見舞いメールで報告しているが届いているか等、
まるで最初から、
そのつもりであったかのように、
事務的なことのみを口にしました。
母は私の言葉に、
「誰が入院費用を払ってくれているんだろうと思っていたのよ」
と言い、
必要なお金は母の口座から払っていい、
と答えました。
けれど、私のお見舞いメールについては、
「(私の娘の名前)からきたのは見たけど、
お前からのは見たことないわ」
と言い、
「届いたメールは全部渡してるんですが」
と、母の側に立っていた、
母の担当看護師を慌てさせました。
後で確認してくれた母の担当看護師の話によると、やはり私からのお見舞いメールは渡していたと言われました。(再度、印刷して母に渡してくれたそうです)
母に私がそのことを伝え、送った内容を伝えると「えぇ、あれか」と言われたため、私のお見舞いメールは、母の記憶に残っていなかっただけのようでした。
母の様子を確認するついでに、
話そうと思っていた内容を話し終わった私は、
本当は一番最初に伝えようと思っていた、
「お母さん、
自分の足で歩けるようになったみたいだけど、
具合はどう?」
という言葉を、
最後まで発することが出来ないまま、
逃げるように面会室を出て行ったのでした…
世界から孤立していた私の話11〜1人で行なった母の退院の準備に続きます。