社会との関わり方

機能不全家族という環境が発達障害グレーゾーンの私に与えた『良かった点』

会社員になって、
周囲から発達障害が疑われる人は、
周囲とコミュニケーションをとるのが下手か、
仕事が出来ないかといった、
特徴があるのではないでしょうか。

会社は学校と違い、
落ちこぼれる人間を拾い上げてはくれません。
その場所にいたければ、
自分で努力するしかないのです。

私は転勤はあるものの、
今の会社にもう20年以上勤めています。
それは決して、
会社の居心地が良かったからではありません。
私は過去に何回も、
男性からも女性からも、
職場で苛められてきました。

それでも私が仕事を続けてこられたのは、
逃げ帰る場所が無かったからです。

発達障害の特徴を色濃く持っている父とは、
実の親子でありながら、
一緒に暮らすのは2日間が限度、
という体たらく。

母親からは、
私が40歳になる頃まで、
理解不能と泣かれる始末。

そんな私には、
どんなに社会で生きていくのが辛くても、
実家で暮らす選択肢はありませんでした。

その点は今、父と母にとても感謝しています。

もし、実家の居心地が良かったら、
私は働きもせずニートとして家に引きこもり、
親の脛をかじりながら、
自堕落に暮らしていたと思うからです。


うちの職場にいる部下の男の子は、
コミュニケーション能力の低さと、
仕事の出来なさぶりから、
発達障害ではないかと疑われています。

彼に仕事を何度教えても、
あまりに覚えない為、
以前の上司が彼に、
もっとしっかり働くように注意をしたら、

「これが自分の精一杯だから、
これ以上を望まれるなら、
自分は辞めた方がいい」

と言ったそうです。

若いといっても新卒ではないし、
彼のコミュニケーション能力と、
仕事のスキルでは、
新しい仕事を探すのは難しいと考えた上司は、
彼に思いとどまるように説得したそうでした。

私はこの話を聞いて、

「自分にはありえない」

と思いました。

仕事を辞めて収入が無くなってしまったら、
私には住む場所が無くなってしまうからです。

しかし、彼は違いました。

仕事が出来ないばかりではなく、
ドンくさくて人に気を遣う事も出来ない彼は、
職場では疎まれていましたが、
彼と家族との仲はとても良いようで、
休日には家族で、
遊びに行ったりしているようでした。
(彼は独身のため、ここで言う家族は両親等です)

仕事を辞めても、
彼には帰る場所があったのです。

だから彼は決して、
自分から積極的に、
仕事を覚えようとはしませんでした。

自分に無理をさせる事はしませんでした。

彼が理解出来ない仕事は、
納期が迫っていても人に教わる事もなく、
人から指示をされるまで、
いつまでも放置していました。

彼が納期の迫っている仕事に、
取りかからないので、
見かねた上司が、
彼に仕事のやり方を指示すると、
その通りにせず、
必ず妙なところで手を抜くため、
最終的には他の人が、
その仕事を仕上げなければなりませんでした。

そんな状態で、
精一杯に働いているという彼を、
そんな彼を発達障害だと考える周囲の人間を、
私は不愉快な思いで見ていました。

私はギリギリで、
発達障害の判定がついてしまう人間ですが、
ちゃんと仕事はしている自負が、
あったからです。

私と彼は、
得手不得手の分野の違いはあるものの、
発達に凹凸があるというところは同じです。

定型発達者のように、
社会で生きていく能力が、
万遍なく育っている訳ではありません。

それなのに、職場でこんな違いがあるのは、

「職場にいる為に努力しているかどうか」

の違いなのではないか、と感じました。

職場という社会集団の中で馴染めず、
ストレスを抱えているのは、
彼も私も同じです。

職場で働いていたら私はストレスで、
瞼が痙攣したり、
肋骨の裏が痛んで、
呼吸が辛くなったりします。

それでも。

私にとっては仕事を辞めて、
実家に帰る方がよりストレスですが、
彼にとっては実家に帰るより、
仕事を続けている方がストレスなのです。

だから、彼と私では、
仕事に対する向き合い方が違ってきます。

私は自分の能力の足りないところを、
学習して補おうとしますが、
彼は自分の能力の足りないところは、
最初から投げ出してしまいます。

けれど、お互いに、
会社の入社試験に受かって、
働いているのだから、
ここでいう能力の足りなさは、
決して知能的な差ではないと思うのです。

自分の能力の凸凹さを、
どうやってフォローしていくのか。
社会で生きていく為のそこにかける熱意が、
彼と私では違っているように感じるのです。

私は、子どもの頃に家庭内が不和だった為、
ずっと温かい家庭に憧れて育ってきました。

けれど、快適な家庭環境が、
発達障害者の、
自助努力する意志を阻害してしまうなら、
今、私は、
不遇といわれる家庭環境に育って、
良かったと思っています。