発達障害(ASD)グレーゾーン

発達障害グレーゾーンが、なぜ自分に『障害』という言葉を使うか知っていますか?

発達障害の症状は誰にでもあるから障害じゃない?

「自分を発達障害だという人が増えてきた」

私が発達障害(ASD自閉症スペクトラム)
グレーゾーンであることを伝えた、
ある定型発達者の方から、
こんなことを言われました。

そして、この方は、
こんな風に言葉を続けました。

「人との違いを発達障害という、
マイナスな言い方をするんじゃなくて、
個性だと前向きに捉えればいいのに。
誰だって人とは違うところがあるんだから、
そんなことを言ったら皆んな発達障害だよ」

私は彼女のこの言葉を、
やんわりとした笑みで受け入れ、
否定も肯定も、
することはしませんでした。

彼女に対して何を言っても、
きっと私の生きづらさが、
伝わることはないだろう、
と思ったからです。

このような言葉は以前にも、
私が田中ビネー知能検査と、
MMIP心理検査を受ける前に、
自分が発達障害ではないかと疑って、
人に相談した時に、
言われていた言葉でした。

そして、この時の経験で、
私は彼女のような人達に、
理解を求めることを辞めたのです。

なぜなら、彼女達と私の間には、
「発達障害」という言葉に対する認知に、
大きな違いがあるからです。

私にとって発達障害とは、

「自分が人と同じ事が出来ない原因を現したもの」

です。

例えるなら、春先になると、
クシャミが止まらなかった人が、
その理由を調べていったことろ、

「花粉症だった」

と診断がついたようなものです。

そこに自分の状況を現す以外の、
特別な意味づけはしていません。

けれど、
人が発達障害という言葉を使う事を嫌う、
彼女達にとっては違います。

彼女達にとって発達障害とは、

「環境に適応出来ない理由を病気に求める社会悪」

です。

誰にでもある症状の発達障害に社会的ケアは必要ない?

彼女達にとって、
発達障害は努力すれば解決するものであり、
障害だといって、
社会的ケアが必要なものではありません。

この解釈はある意味当たっていて、
ある意味的外れです。

現在、発達障害の改善や、
克服に取り組んでいて、
その成果が少しづつ現れてきている、
発達障害グレーゾーンの私にとって、
発達障害の症状はある程度、
努力でカバー出来るものになっています。

でも、これは私が、
発達障害グレーゾーンの位置にいる人間だからで、
発達障害の程度の重い者にまで、
当てはまる事ではありません。

そして、定型発達者が、
自然に出来てしまう事を、
何とか努力してこなしている、
発達障害を抱えた人間に、

「自分達のように出来ていない」

と、その理由も考えずに、
非難する定型発達者の言葉に対し、
発達障害者が、
激しい劣等感と無力感に苛まれ、
精神的な2次障害を引き起こしてしまう事が、
多い状況を考えれば、
社会的なケアが必要でないとは思えません。

外見上にはまるで欠損が無く、
学校の成績的には、
彼女達を上回っている事もある発達障害者が、
彼女達が日常生活を送っていく上で、
当たり前に出来る事を出来ないという事実を、
受け入れる事は、
当事者でない彼女達には、
難しい事なのかもしれません。

「間違っている事を間違っていると言うと怒る人がいる」

このような人間の事を、
カウンセラーから解説してもらわないと、
よく理解出来ない
発達障害グレーゾーンの私は、
定型発達者である彼女達からみたら、
わざと相手に喧嘩を売っている人間に、
見えていたかもしれません。

でも私に人と揉める気はなく、
ただ本当に相手の気持ちが分らないのです。

そして、そんな、
私達グレーゾーンを含む発達障害の人間は、
定型発達者が当たり前に構築出来る、
人間関係が築けません。

「発達障害を人とは違う個性と捉えればいい」

彼女達はそう言いますが、
個性として発達障害の性質が認められるには、
発達障害者のこういった性質が、
好意的に受け入れられる必要があります。

なぜなら、個性という言葉は、
大多数の人間が、
得てして良いものと認める性質に対し、
使われる言葉だからです。

癇癪持ちで暴れる子どもは、
その成長過程で、
色んな事を教わりながら育てられます。
そんな子どもの癇癪癖や乱暴さを、
個性と呼んで放っておくことはしません。
なぜなら、そんな子どもは、
ちゃんと教育してあげないと、
社会ルールが守れない人間になってしまい、
これから社会で生きていく上で、
とても大変だからです。

発達障害者もそれと同じです。
発達障害による性質を、
個性と言って放っておかれたら、
社会ルールがよく分らないまま、
生きるのにとても大変な思いをするのです。

発達障害という言葉を嫌う彼女達には、

「発達相違」

と言った方が伝わるのかもしれません。

普通の人間はスギ花粉を浴びても平気でも、
花粉症の人間は、
クシャミや鼻水が止まらないといった、
本人の努力ではどうしようもない、
体質による違いがあるように、
定型発達者には普通に出来てしまう事でも、
発達障害者には出来ない、分らないといった、
本人の努力ではどうしようもない、
性質による違いがあることを、
知識としてだけでも知ってもらえれば、
と思います。

ちなみに私が、
発達障害の症状を改善、
克服出来てきているのは、
あくまで本質を変えるのではなく
(本質は変えられないので)、
花粉症の人が薬を飲むのと同じように、
対処療法の仕方を学んで、
実践していっているからです。

発達障害は脳の器質異常による障害のため、
治療法というものは無いと言われています。

どうか安易に「個性」という言葉で、
社会に溶け込めなくて苦しんでいる発達障害者を、
放っておかないで欲しい、と思います。