回想録

世界から孤立していた私の話11〜1人で行った母の退院の準備

前回からの続きになります)

5月末に病院を受診した当初、
医師から

「2、3ヶ月」

と言われていて、
リハビリの経過も順調な母の入院が、
8月を過ぎても退院の目処が立たなかったのは、
母が、

高齢で1人で暮らしている

ということが、
大きな理由となっていました。

母の入院に関する一切の連絡を請け負い、
母の治療に関する決定や、
入院その他の費用の支払い、
母が不在している家の維持管理を行なっていた私も、

母と同居していた訳ではなく、
現在は車で1時間強にある職場で働いているものの、
2〜3年で、
日本国内のどこに転勤させられるか分からない、
仕事に就いている

ということを、
病院側には伝えており、
そのため、

退院後に母が1人で生活が出来る

ことを目標に、
病院がリハビリを実施してくれていたため、
入院が長引いていたのでした。
(幸い、脳腫瘍は疑いで終わりました)

以前、母の一人暮らしが大変だからと、勝手に私を巻き込んで、母に同居を申し出ていた兄は、何故か今回、私の知る限り、母に退院後に同居をしようと、申し出ることはありませんでした。

​それでも、さすがに、
9月も半ばを過ぎると、
最長6ヶ月しか入院は出来ないから、
母が入院出来るのは11月1日までと、
病院側から言われ、
退院後の話を、
病院側と進めていくことになりました。

そのため、
母の家の造りや設備が、
入院前よりも運動機能の衰えた母が、
暮らしていけるものかどうか、
母が退院する前に、
確認したいと病院側から言われ、
母の家に、
母の担当のケースワーカーさんと看護師さんが、
母と一緒に来てくれることになり、
その時に、
家の改修の話もしなければならないからと、
私も立ち会うことになりました。

9月は私の業務が忙しい時期で、
さらに母との面会で、
平日に休みを頻繁に取得していたため、
平日しか勤務されていない、
ケースワーカーさんに日程を合わせるには、
また平日に休みを取らなければいけないと、
私が頭を抱えていたところ、
そんな私の事情に配慮してくれた、
病院側からの申し出により、
立ち会いの日を、
土曜日にしてもらえることになりました。

その申し出に、
私はとても助かったのですが、
立ち会いが決まった9月下旬といえば、
まだ夏の暑さが残っている時期で、
毎週土曜日に草取りを実施していても、
1週間経てば、
草は庭を覆うように伸びてきており、
本来ならば平日実施のところ、
私の都合を配慮して、
立ち会い日を土曜日にしてもらった手前、

「立ち会いの時間を午前中ではなく、
午後にしてもらえませんか?」

とは言い出せなかった私は、
いつもは土曜日に実家に泊まりに行くところ、
立ち会い日の前日の金曜日の夜、
仕事が終わってすぐに実家に向かい、
翌日の朝、早起きをして、
ケースワーカーさんや看護師さんが来る前に、
4時間ほどの時間をかけ、
家中の草を、
取って回ったのでした。


(どこのジャングル?)


(取った草は大きな燃えるゴミ袋7袋分になりました)

実家を訪れた、
ケースワーカーさん達に、
家の玄関や台所、
お風呂やトイレ、寝室など、
日常の動線を確認してもらったところ、
段差があるところや、
立ち座りをする場所に手摺を設置し、
介護用の椅子や踏み台も購入すれば、
退院後も、
母が1人で生活出来るであろうと、
手摺が必要な場所と高さに印をつけてくれました。

介護保険で賄える範囲の工事と、
介護用品だから、
使ったお金は後で返ってくるので、
金銭的な心配要らないと、
ケースワーカーさんに教えてもらい、
幾らかかるのだろうと、
内心、ヒヤヒヤしていた私は、
とても安心することができました。

そして、その話の後、
手摺設置工事が頼める業者さんに心当たりがあるか、
ケースワーカーさんに聞かれた私は、
全く分からなかったため、
ケースワーカーさんに業者さんを紹介してもらい、
また、別な土曜日に、
手摺設置工事を実施してくれる業者さんに、
工事の打ち合わせと確認のため、
母の家に来てもらうことになりました。

この時点でもう、
10月に入ってしまっていたため、
私は母の退院の最終リミットである、
11月1日より前の土曜日に、
手摺設置工事や、
介護用品の購入は出来ないか、
業者さんに確認したところ、
母の家の玄関の形状が特殊で、
既製品の踏み台では形が合わないことから、
特注品となってしまうこと、
購入予定の介護用の椅子の入荷も間に合わないため、
母の退院より前に、
全てを整えるのは無理なことを、
業者さんに説明されました。

それでも、退院後の母を、
設備が整っていない家に1人で置いておいて、
何かあったらどうしようと、
不安があった私は、
入荷が間に合わない介護用の椅子は後でいいからと、
業者さんに頼み込み、
ようやく母の退院1週間前、
母の退院日の翌日である11月2日に、
手摺設置工事を実施出来ますと、
業者さんから連絡をもらうことが出来ました。

すぐに病院にそのことを連絡したところ、
母の退院後のことを心配してくださっていた、
病院の方達にも、
何とか工事が間に合って良かったと、
安心してもらうことが出来て、
私も嬉しく思いました。

9月〜10月にかけては、
私の仕事も忙しく、
帰宅が夜9時を過ぎることも、
珍しくなかったため、
母の退院準備を1人でこなすのは、
本当に大変で、
母の家の手摺設置工事は、
母の退院までには間に合わなかったけれど、
母が1人で家での生活を始めるまでには、
何とか間に合わすことが出来たため、
これでやっと、
肩の荷を降ろすことが出来たと思い、
心からホッとすることが出来ました。

5月の母の入院以降、
仕事を休みがちだった私は、
11月1日に半休しか休みを取ることが出来ず、
午後から退院の手続きに行くと、
病院に伝え、
11月2日は仕事が立て込みすぎて、
時間休さえ、
取ることが難しかった私は、
母を病院に連れて行ってくれて、

「何かあったらいつでも連絡するんだぞ」

言ってくれていた叔父に、
母の家の手摺設置工事に、
立ち会ってもらえないだろうかとお願いし、
快諾してもらうことが出来ました。

今までの母の入院に対する、
兄の言動から、
兄に何も期待していなかった私は、
ショートメッセージで、
母の退院日と手摺設置工事の日が決まったことと、
兄から預かっていたお金は、
折半の金額を計算したところ、
ほぼ使い切ってしまうため、
返金しなくてよいかという問い合わせを、
合わせて伝えました。

過去の経験から、
兄からは、また、
短文で了承の連絡が来るだろうと、
思っていた私にとって、
返金不要の連絡は想定内だったものの、
その後に続いていた言葉は、
とても意外なものでした。

11月1日と2日は、そちらに帰るように仕事を調整します。

正直、
その言葉を読んだ私の頭の中に浮かんだのは、

何しに?

と言う疑問でした。

11月1日の母の退院手続きは、
休みを取り過ぎて、
1日休むことが出来なかったため、
午後から私が行うこと。

11月2日の手摺設置工事は、
叔父さんが立ち会ってくれること。

どちらも、
兄が何もしないことを前提として、
組んだ段取りでした。

なぜなら、
何度も繰り返しますが、私は。

兄の母の入院に対する今までの言動から。

母の退院に際し、

兄が何かしてくれるなど考えてもいなかった

からです。

そのため。

11月1日に半日しか休みが取れないほど、
仕事が立て込んでいた私が、
母の退院手続きを行うために組んだ、
当日のスケジュールは。

  • ​    8〜10時     会議参加(司会)
  • 10〜12時    取引先と面談
  • 12〜13時    月初報告書類作成
  • 13〜13時半   取引先と面談
  • 13時半〜14時半 母の病院へ直行
  • 14時半〜15時   母の退院手続き
    (退院手続きは15時までに済ますように病院に言われていました)
  • 15時〜15時半  母の家に帰宅

母の家に帰宅以降は、母の要望を確認しつつ、夕食の用意、食事、片付けを実施して、他に何も無ければ、明日の仕事のために、片道1時間強かけて自分のアパートに帰宅
(入浴はお風呂場の手摺設置工事が間に合わなかったため、明日の工事終了後に実施)

という、
昼食など、
母の病院へ直行する時に、
片手間に食べるしか無いといった、
超過密なもので。

もし、兄が、
母の退院手続きをしてくれるなら、
兄の協力を当てに出来ると、
最初から分かっていたなら、
私はこんなに、
厳しいスケジュールを組まなくても、
良かったのです。

入退院の手続きは、家族が実施しなければならなかったため、叔父さんには頼めませんでした。

何で、何もかも準備が終わって、
ただ母を迎えに行くだけになってから、
動こうとするのだろう。

しかも兄の言葉は「休みの調整が出来たら行く」で、結局、当てにならず、兄がはっきり行くと、私に連絡してしきたのは、母の退院3日前の午後4時頃でした。

兄の、
相変わらず短い、
ショートメッセージの文面を見ながら。

私は激しい徒労感に襲われ、
しばらく動くことが出来なかったのでした…

世界から孤立していた私の話12〜後を任せた兄の行動に続きます。