(前回からの続きになります)
母が退院した日の最初の週末、
母が不在間の、
家の管理状況の報告も兼ねて、
私は母の様子を見に、母の家に行きました。
母が入院時に停止した、
生協の個人宅配については、
退院後にすぐ利用出来るようにしなければ、
困るだろうと思い、
母の退院日を知らせて、
再開する手続きを取っていましたが、
併せて止めていた新聞の購読については、
退院後にまた、
母が読むかどうかは分からなかったため、
再開するなら、
自分で新聞店に知らせて欲しいことを、
母に伝えました。
母が不在間に、
私が行なった色々な手続きの話を聞いた母は、
「ありがとう、お前には面倒をかけたねぇ」
と、
私に感謝の言葉を伝えてくれ、
私が買い替えたコタツ布団の話を聞いた時には、
「お母さんがお金を出すよ」
と言ってくれましたが、
「私からお母さんへの退院祝いだから、受け取って」
と答えると、
また、私にお礼の言葉を言って、
ありがたく受け取ってくれました。
母が不在時に洗濯をしようとしたら、
洗濯機から水が出ず、
なかなか洗濯が終わらなかった話をしたら、
「水が溜まらないから、
お母さんはお風呂から水を汲んで入れていたのよ」
と母が言ってきたため、
私が水が出るように洗濯機を掃除したので、
今は普通に、
洗濯が出来るようになっていることを話すと、
母はたいそう喜んでくれました。
信心深い母が気にしないように、
お仏壇のお花を替えたり、
神棚のお供えを替えたりといったことも、
できる限り毎週行っていたことを話し、
夏場の草取りがとても大変だったため、
「お母さん、1人でよくやってたねぇ」
と私が言うと、
母は"我が意を得たり"と言わんばかりに、
「そうなのよ!」
と、
自分が毎年、
家の庭の草取りで、
どんなに大変な思いをしていたか、
私に聞かせてくれました。
そんな元気に話す母の姿を見て、
入院前よりは疲れやすくなっていて、
無理はきかないものの、
母がちゃんと1人で、
日常生活を送れていることが分かって、
私はホッとしました。
そして、母は、
こんなに私に感謝してくれているのに、
楽しそうに私に話をしてくれているのに、
なぜ私が母に面会に行った時、
私にあんな酷い態度を取ったのだろうと、
母の真意が分からなくなりました。
今、目の前にいる母とのギャップに、
心がついていけなかった私は、
母に向かって、こう言いました。
「お母さんが入院している間、
この家のことばかりしていて、
自分の家のことが出来ていなかったから、
しばらくこっちに来られなくてもいいかな?」
母の様子を窺うように言った私に、
母は私を安心させるように、
声を張って、
答えてきました。
「お母さんは1人で大丈夫よ。
お前には苦労かけたね、ありがとうね」
母から出た、
その言葉には、
確かに私に対する労いと、
感謝と、
これ以上、
自分の娘に面倒をかけたくないという、
気遣いが込められていました。

そんな母の、
面会時との真逆な態度の変わりように、
心の中に消化出来ない、
蟠りを残してしまった私は、
母の、
「お母さんは大丈夫よ」
の言葉を免罪符に、
母が入院中は、
あんなに足繁く通った母の家から、
少しずつ、
足が遠のいていったのでした…
世界から孤立していた私の話14〜孫はかすがいに続きます。