回想録

世界から孤立していた私の話13〜退院後の母の私への態度

前回からの続きになります)

母が退院した日の最初の週末、
母が不在間の、
家の管理状況の報告も兼ねて、
私は母の様子を見に、母の家に行きました。

母が入院時に停止した、
生協の個人宅配については、
退院後にすぐ利用出来るようにしなければ、
困るだろうと思い、
母の退院日を知らせて、
再開する手続きを取っていましたが、
併せて止めていた新聞の購読については、
退院後にまた、
母が読むかどうかは分からなかったため、
再開するなら、
自分で新聞店に知らせて欲しいことを、
母に伝えました。

母が不在間に、
私が行なった色々な手続きの話を聞いた母は、

「ありがとう、お前には面倒をかけたねぇ」

と、
私に感謝の言葉を伝えてくれ、
私が買い替えたコタツ布団の話を聞いた時には、

「お母さんがお金を出すよ」

と言ってくれましたが、

「私からお母さんへの退院祝いだから、受け取って」

と答えると、
また、私にお礼の言葉を言って、
ありがたく受け取ってくれました。

母が不在時に洗濯をしようとしたら、
洗濯機から水が出ず
なかなか洗濯が終わらなかった話をしたら、

「水が溜まらないから、
お母さんはお風呂から水を汲んで入れていたのよ」

と母が言ってきたため、
私が水が出るように洗濯機を掃除したので、
今は普通に、
洗濯が出来るようになっていることを話すと、
母はたいそう喜んでくれました。

信心深い母が気にしないように、
お仏壇のお花を替えたり、
神棚のお供えを替えたりといったことも、
できる限り毎週行っていたことを話し、
夏場の草取りがとても大変だったため、

「お母さん、1人でよくやってたねぇ」

と私が言うと、
母は"我が意を得たり"と言わんばかりに、

「そうなのよ!」

と、
自分が毎年、
家の庭の草取りで、
どんなに大変な思いをしていたか、
私に聞かせてくれました。

そんな元気に話す母の姿を見て、
入院前よりは疲れやすくなっていて、
無理はきかないものの、
母がちゃんと1人で、
日常生活を送れていることが分かって、
私はホッとしました。

そして、母は、
こんなに私に感謝してくれているのに、
楽しそうに私に話をしてくれているのに、
なぜ私が母に面会に行った時、
私にあんな酷い態度を取ったのだろうと、
母の真意が分からなくなりました。

今、目の前にいる母とのギャップに、
心がついていけなかった私は、
母に向かって、こう言いました。

「お母さんが入院している間、
この家のことばかりしていて、
自分の家のことが出来ていなかったから、
しばらくこっちに来られなくてもいいかな?」

母の様子を窺うように言った私に、
母は私を安心させるように、
声を張って、
答えてきました。

「お母さんは1人で大丈夫よ。
お前には苦労かけたね、ありがとうね」

母から出た、
その言葉には、
確かに私に対する労いと、
感謝と、
これ以上、
自分の娘に面倒をかけたくないという、
気遣いが込められていました。

そんな母の、
面会時との真逆な態度の変わりように、
心の中に消化出来ない、
蟠りを残してしまった私は、
母の、

「お母さんは大丈夫よ」

の言葉を免罪符に、
母が入院中は、
あんなに足繁く通った母の家から、
少しずつ、
足が遠のいていったのでした…

世界から孤立していた私の話14〜孫はかすがいに続きます。