(前回からの続きになります)
精神科医師から休職を勧められた私は、
病院の受診が終了してすぐに、
次の内容を課長にメールで連絡しました。
- 精神科医師から1ヵ月仕事を休んだ方がいいと言われたこと
- しかし、プレゼン会議があるため、今日からプレゼン会議の日の前日までの休職期間の診断書を書いてもらったこと
- 明日、自分の休職について課長に相談を行いたいこと
課長からは、
「承知しました」
との言葉だけが返信され、
私の病状についての確認などは、
一切行われませんでした。
それでも承知しましたと返答されたのだから、
私が休職に入ることを、
課長が理解したと思った私は、
次の日に出勤した時には、
休職の手続きが終わったらすぐに、
帰宅しようと考えていたのですが、
出勤した私を待っていたのは、
課長からの意外過ぎる言葉でした。
「係長から、今日は病院に行ってから出勤するって、
連絡があったから」
私は、課長からこの言葉を言われた時に、
心がスッと冷めていくのを感じました。
係長の仕事というのは、
毎日時間毎にやる事が決まっていて、
翌日伸ばしには出来ないため、
休む時には必ず、
代行者である課長補佐に、
自分の業務を行ってもらわなければならない、
仕事でした。
そのため、私が係長の仕事を行っていた時は、
母が入院したと連絡を受けた時でさえ、
業務の引き継ぎに1時間半掛かって漸く、
母の病院に向かうことが出来たほどでした。
だから私は、
自分が係長の職務に就いていた時には、
病気などで急きょ仕事を休む場合、
自分の仕事を代行する課長補佐が、
私が休むことを知らずに出勤して、
急に職務の代行を命じられて困ることがないよう、
事前に必ず、
課長補佐に休む旨の連絡をしていたのですが、
私の後任に着任した係長は、
1度も、課長補佐の私に対して、
休む連絡をしてきたことはありませんでした。

課長は私に係長の出勤が遅くなることを伝えたら、
私が係長の仕事の代行に、
すぐ動くと思っていた様でしたが、
私はそんな課長の考えに、
敢えて気付かないフリをして答えました。
「じゃあ、誰が、係長の業務を代行するんですか?」
私の言葉に意表を突かれたのか、
課長は、
「えっ?」
と言ったまま、
固まってしまいました。
私はそんな課長を見て、
更に言葉を続けました。
「私は昨日、課長に、
休職するよう医師から診断を受けたって、
連絡しましたよね?」
そこまで言って課長は漸く、
私が係長の業務の代行を行う気が無いのに気付き、
慌てて、
「係長の出勤が何時になるか聞いてみます」
と係長に連絡を取り始めました。
幸いにも係長は、
課長が連絡をしてすぐ出勤してきたため、
事なきを得たのですが。
私の休職は、
課長が私に行ったパワハラ加害が、
原因であるにも関わらず、
係長が病院を受診するからと、
医師から休職の診断を受けた私を、
課長が当たり前に、
働かそうとしたこと。
そして、昨日、
病院受診が終わってすぐに私が課長に伝えていた、
私の休職の相談については、
課長は事前準備は何も行っておらず、
暫く待っていても、
課長が私の休職について、
自分から動いてくれる様子は無く、
結局、
思考力や判断能力が低下していて、
働ける状態では無いと、
精神科医師から診断されている私自身に、
人事担当者との休職の調整を行わせたこと。
さらに支社長は、
私がSを涙ぐませてしまったという、
私からの報告1つで、
なぜそうなったのか事実確認を一切行わないまま、
私をパワハラ加害者と思い込んで、
私に叱責を行ったこと。
課長も支社長も、
ここまで私という存在を軽んじ、
蔑ろにしていながら、
他所の支社では大体2人以上の人員で行っていた、
会社が全国規模で5年に一度行う、
重大プロジェクトの支社での業務を、
私1人に任せていたこと。
これらの出来事が積み重なって、
このまま黙ってたら、
私はいいように使われたまま、
潰される!!
と思った私は、
私の置かれている酷い状況を、
誰かに知って欲しかったのですが、
私の非難したい相手には支社長も含まれており、
そんな私の味方になってくれる人は、
支社の中に誰もいなくて、
誰にも自分の辛い状況を訴えられない、
自分が惨めで、
涙が止まらなくて、
支社が入っているビルの、
誰も来ない階段の片隅に、
1人で身を寄せて泣いていた時、
ふと視線を向けた先に、
産業カウンセラーの部屋があり、
その部屋に明かりが点いているのが、
目に入りました。
私は産業カウンセラーに、
自分が受けたパワハラを、
相談したことは無かったのですが、
残業が多い社員は強制的に、
産業カウンセラーと面談しなければならないと、
会社側から言われ、
産業カウンセラーと話をしたことが、
2、3回ありました。
そして、
その時の産業カウンセラーの態度は、
決して会社に味方したものではありませんでした。
(この人なら私の話を聞いてくれるかもしれない…)
そんな思いに囚われて、
フラフラと、
産業カウンセラーの部屋の前に立った私が、
遠慮がちにドアをノックすると、
「どうぞ」
と産業カウンセラーの返事が聞こえてきました。
恐る恐る部屋の中へ入った私の、
顔が涙でぐしゃぐしゃになっていたからか、
産業カウンセラーはすぐに私に椅子を勧めると、
私に、
「どうされましたか?」
と声を掛けてくれました。
私は産業カウンセラーのその言葉に、
ずっと、
誰にも言えずに溜め込んでいた苦しい思いを、
泣きながら、
産業カウンセラーに訴えました。
「支社でのパワハラ加害調査のトップである支社長に、
Sへのパワハラ加害者だと決めつけられてしまっては、
もう私には相談する場所がありません」
そう言って、
下を向いて泣き続ける私に、
「パワハラの件は私も聞いていましたが、
そのようなことになっていたとは知りませんでした」
と、
産業カウンセラーは静かな声で言った後、
私の思いもよらない言葉を発しました。
「まだ相談する場所、ありますよ」
その言葉に、
この部屋に入ってから、
ずっと下を向いていた私の顔が、
思わずハッと上向きました。
そんな私の顔を見ながら、
産業カウンセラーは更に言葉を続けました。
「支社の上にある、
九州支社のパワハラ相談窓口に、
直接相談することが出来ますよ」
その産業カウンセラーの言葉は、
閉ざされた暗闇の中に差し込んだ、
一筋の光のように、
私の心に希望をもたらしました。
「今、この部屋から、
その相談窓口に電話出来ますが、
電話しますか?」
そう言われて私は、
ぜひにと産業カウンセラーにお願いし、
九州支社のパワハラ相談窓口に電話をしてもらうと、
産業カウンセラーが繋いでくれた相談員に、
新しい科長が来てから私とSに起こったこと、
私とSの間に起こったこと、
支社長から課長と一緒に、
Sへのパワハラ加害者として非難されたことを、
泣きながら一生懸命に話しました。
その中でも私は、
1番自分が傷ついたことを繰り返し訴えました。
「私はSに対してパワハラ加害をしていません。
もし、私がパワハラ加害をしたと言うのなら、
パワハラガイドラインを確認するように言うのではなく、
私のどの言動がパワハラに当たったのか教えてください」
私は、自分が課長からパワハラを受ける分は、
まだ耐える事が出来ました。
でも、
あれだけ自分のことをおざなりにして、
自分の立場が悪くなることを分かっていながら、
一生懸命庇ったSに対して、
私がパワハラを行ったと言われることは、
受け入れることも、
耐えることも出来ませんでした。
そんな思いを胸に話した、
私と相談員の電話は、
気が付くと1時間以上の時間が経過していました。
それでも相談員は、
嫌がることなく、
最後まで私の話を聞いてくれ、
「必ず調査しますから待っていてください」
と、
私に言ってくれたのでした。
世界から孤立していた私の話27〜爆発した母への想いに続きます。