うつ病生活

世界から孤立していた私の話30〜パワハラ調査の過程で知った、人の悪意と搾取の現実

前回からの続きになります)

九州支社のパワハラ相談員との対面での面談後、
私は更にオンラインで数回、
追加の事実確認を受けることになりました。

12月に、

「これが最後の確認になります」

と言いながら、
オンラインの画面に現れたパワハラ相談員は、
10月初めに行われた対面の面談で、
私に声を掛けてきた人物の隣に座っていた方でした。

私にとって、九州支社のパワハラ相談員との面談は、
自分の冤罪を晴らす最後の砦であり、
ここで真実を明らかにしてもらえなければ、
私はこの先ずっと、
パワハラ加害者として認知されたままになると、
気負っていた私に対し、
その方がとても穏やかな顔で、

「簡単な、単に確認したいだけの内容なので、
安心して下さい」

と言った後、

「あなたが、そのような人間ではないと、
分かっているのですが…」

と言いながら、
以前、私のチームと同意した契約内容を守らずに、
自分の会社の都合を押し付けようとしてきた、
取引先の営業の女の子に困った部下が、
私に助けを求めてきて、
私がチームの代表として、
その女の子の都合に合わせることは出来ないと、
突っぱねた結果、
その女の子が事務所の中で、
泣き出したことがあったのですが、
その件をパワハラ調査の時に聞かされたようで、

「あなたが、その時に"泣かしてやった"と、
周囲に自慢げに話していたという証言は本当ですか?」

と質問してきた時には、
私への、
あまりに悪意に満ちた証言に対する怒りに、
目の前が真っ赤になりました。

きっと、最初に言われた、

あなたが、そのような人間ではないと分かっている

という言葉と、
相談員から向けられた優しい表情がなければ、
私はあまりのショックに言葉が出なかったと思います。

私は自分に対して向けられた人の悪意に、
恐怖にも似た嫌悪感を感じながらも、
何とか声が震えないようにお腹に力を込めて、
人を泣かせて自慢に思う感性は私には無いこと、
取引先の女の子に、
泣かれてしまって話し合いにならなかったため、
結局、次からは契約内容を守ってもらうことを条件に、
自分が折れたことを伝えました。

相談員は私の言葉に頷きながら、

「ありがとうございました。
3月までには調査の結果と処分が決まると思います」

と伝えて、
このオンラインでの面談は終わりました。

支社長からSへのパワハラ加害者として、
支社全体に広められ、
支社に自分の居場所は無いと、
感じながら働いていた私に、
この日の面談は大きな希望となりました。

あと3ヶ月の間に私の身の潔白は証明される。

現在の、私にパワハラ加害を行った課長が、
うちの支社に着任してから、
約10ヶ月もの間、
いつも鬱屈した気持ちで働いていましたが、
暗闇に閉ざされた、
長い長いトンネルを歩き続けて、
ようやく出口の光を見つけたかのように、
久しぶりに晴れやかな気持ちになれた私は、
パワハラ調査の過程で知ることとなった、
私と笑顔で話してくれている同じ部署の社員の中に、
私が女の子を泣かして自慢していたなどと、
悪意ある証言をした人がいることに、
おぞましさを感じながらも。

取引先の女の子が私と話して泣き出した時、事務所には同じ部署の人間しかいなかったため、私が「女の子を泣かして自慢していた」などと証言出来るのは同じ部署の社員のみでした。
また、私が課長からパワハラを受けていていることを知っていた同じ部署の社員は、Sが復職した部署の社員のように、私に対して腫れ物に扱うような態度を取らず、普通に接してくれていました。

1人で回していた、
5年に1度行われる重大プロジェクトも、
そろそろ終盤を迎え、
ようやく職場で張り詰めていた緊張の糸を、
緩められるようになってきた時。

私の耳に、
人事担当者からとんでもない話が飛び込んできました。

「あなたに3月から◯◯支社への転勤の話がきています」

その言葉に、私は愕然としました。

なぜなら、
5年に1度の重大プロジェクトが行われて大変だからと、
皆んなが辞退していた、
今年の課長補佐の役職を私が引き受けたのは、

私が今年、課長補佐を引き受けたら、
本当なら来年、
私は別な支社へ転勤しなければならないところ、
再来年まで、私は今の支社で働くことが出来る

と、
転勤していった、
パワハラ課長の前の課長と、
この時点では退職してしまっていた、
前の人事担当者から言われていたからでした。

そのことを現在の人事担当者に伝えたところ、

「そんな話はありません」

と、
取りつく島もなく突っぱねられた私の心は、
燃え尽きたように空っぽになってしまいました。

私は何の為に、今年1年苦労してきたんだろう。
課長補佐などにならずに、昨年と同じ係長のままだったら、課長との絡みは激減するから、課長からパワハラ加害を受けなかったかもしれないし、
受けたとしても、やり慣れた係長の業務なら課長に対抗することも出来て、
支社長からパワハラ加害者と誤解されて支社中に広められることも、
うつ病を発症して精神科に通院することも無かったかもしれないのに。

そして、私がこんなに、
今の支社に残っていたいと思ったのは。

現在、通っている絵画教室の先生が、
好きなこともありましたが。

昨年、脳梗塞で入院した母が心配だったため、
何かあった時、すぐに母の元に駆けつけられるよう、
母の家の近くの支社で、
働きたいと思っていたからでもありました。

私のそんな母を思い遣る心は、
度重なる母の私への態度の酷さから、
消え失せてしまうことになったのですが。

母の自分への態度と、
新しい課長が着任してから職場で耐え続けてきた、
自分への酷い仕打ちを思い出して、
虚しい気持ちが、
一挙に私の心の中に押し寄せてきました。

人付き合いの苦手な私が所属していた、
職場と実家(母)、絵画教室という、
とても小さな3つの世界。

この3つの世界を守りたくて、
精一杯頑張った2023-2024という年に、
私は職場と実家(母)という、
2つの世界から拒絶されたのでした。

せめてあと1つ残された、
絵画教室という居場所は失いたくない。

そのためには、
人事担当者から次の転勤先として示された、
◯◯支社に転勤してしまったら、
その距離の遠さから、
今の絵画教室の先生の元に通い続けることは、
難しかったため、
私は何とか自分の転勤が阻止出来ないか、
足掻いてみることにしました。

私が来年も、
今の支社で働くことが出来ると言っていた人の中で、
今も支社に残っている人間は、
最終的な私の人事権を握っている、
私にパワハラ冤罪をかけた支社長、
唯1人だけでした。

そのため、
支社長が私を、
Sへのパワハラ加害者と誤解しているから、
当初は支社に残すつもりだった私を、
転勤させようとしているのかもしれないと考えた私は、
それならば、
もうすぐパワハラ調査の結果が出て、
私に対する支社長の誤解は解けるはずだから、
私が課長補佐を引き受ける時に、
私に言った約束を、
守ってもらえるよう支社長へ伝えてもらえないか、
支社のパワハラ相談員にお願いすることにしました。

けれど、そんな私のお願いを聞いた、
パワハラ相談員の言葉は、

「口約束で、実際にあなたに、その言葉を言った人はもういないんでしょう?」

というものでした。

確かに、私が課長補佐を引き受ける時に、
その条件を口にしたのは転勤していった課長で、
その話が本当か私が確かめたのも、
退職してしまった前の人事担当者で、
私が課長補佐を引き受ける時に、
支社長に直接、

「私が課長補佐を引き受けたら、
係長のままで働くよりも1年長く、
この支社で働かせてもらえるんですよね?」

などと確認した訳ではないし、
一介の係長ごときが、
支社長に直接、そんな確認が出来る場など、
設けてはもらえませんでした。

それでも。

私は自分の働きぶりを認めてくれて、
表彰までしてくれた支社長と課長が、
私との約束を反故にするつもりで、
私に課長補佐の役職を勧めてくれたとは、
思ってはいませんでした。

「九州支社のパワハラ調査の結果がでたら、
私との約束を支社長は守ってくれる」

そう信じ続けていた私でしたが、
そんな私の心が打ち砕かれたのは、
年明け早々のことでした。

私から新年のご挨拶を受け取った、
私に課長補佐の役職を勧めて転勤していった元課長が、
私にご挨拶のお礼の電話を掛けてきたからでした。

「挨拶状をありがとう」

電話を取った私に、
転勤前と変わらない、
大らかな声でそう話しかけてきた元課長は、
こう言葉を続けました。

「で、どこに転勤することになったの?」

楽しそうに聞いてくる元課長の言葉に、
私は戸惑い、
言葉を上手く発せられずにいると、
その戸惑っている私の様子を、
どのように受け取ったのか、
元課長は屈託の無い明るい声で、

「◯◯支社のある地域は良いところだよー」

と私に言いました。

その台詞で、
元課長は私の転勤の話を知っているのだと、
知っていて、
後1年、今の支社で働けると私に言った、
約束の話に触れないのだと、
私は理解しました。

私は元課長の言葉に、

「そうなんですね。
教えてくれてありがとうございます」

と何でもないことのように返答し、
早々に電話を切りました。

その時の私の手は震えていましたが、
自分が元課長から裏切られたと感じて、
動揺している様を、
元課長に悟られたくありませんでした。

電話を切った後、
私は支社長や元課長に褒められて、
舞い上がっていた自分を恥じました。

支社長の自分への信頼と課長の言葉を信じて。

誰もが嫌がる課長補佐に就任し、
うつ病になりながら、
今年1年、
重大なプロジェクトを1人で回した私は、
さぞ使い勝手のよい駒だったことでしょう。

そして、仕事が終わったら、
私の気持ちなどお構いなしに、
当たり前のように転勤させられる自分。

そんな今の職場での自分と、
母の入院で1人で頑張って、
母に置き去りにされた実家での自分の姿が、
重なるように思い返されました。

私は実家だけでなく、
職場でも搾取の対象だったのだ。

そう感じてしまったら、
職場と実家(母)を自分の居場所だと考えていた自分が、
本当に惨めで。

私から、
自分の置かれた状況に抗う気力など、
消え失せてしまったのでした…

世界から孤立していた私の話31〜ようやく出た九州支社のパワハラ調査の結果に続きます。