(前回からの続きになります)
結局、
待ちに待った九州支社の、
パワハラ調査の結果が出たのは、
2025年2月初旬のことで、
私が泣きながら、
私のことをSへのパワハラ加害者と支社長が誤解して、
他の管理職社員の前で非難された辛さを訴えてから、
半年という時間が経過していました。
面談の調整の時と同じく、
人事部長自らが私の元を訪れ、
他の人に知られないよう、
こっそりと、
指定された会議室に行くよう指示を受けたため、
私は課長にだけ席を外すことを伝えると、
どきどきしながら、
急いで指定された会議室を訪れました。
これから向かう会議室で、
パワハラ調査の結果が伝えられるのだと、
予想がついたからでした。
人事部長から指示された会議室を訪れると、
パワハラ調査の面談会場で私の前に座っていた、
九州支社のパワハラ相談員3名が、
面談の時と同じように、
私の目の前に座っていました。
「パワハラ調査の結果が出ました」
真ん中に座った、
おそらく3人の中で1番上の役職に就いている方が、
重々しく口を開きました。
「課長があなたにパワハラを行っていたことが認められました」
1番初めに私に告げられた内容は、
「それは、そうだろう」
と思うばかりで、
私にとって、あまり興味の無い内容でした。
そんな私の気持ちが相談員にも伝わったのか、
相談員は、そのまま言葉を続けました。
「そして、あなたが1番訴えていた、
支社長があなたを他の人達の前で非難した言動ですが、
指導の範囲内であり、
パワハラには該当しないと判断されました」
相談員の、その言葉は、
私には理解不能なものでした。
実はASDで真面目な私は、
Sへのパワハラ加害者として、
支社長から非難された際に言われた、
「課長と課長補佐(私)は、
支社に掲示しているパワハラガイドラインを確認して、
自分の言動を猛省するように」
という言葉に従い、
ちゃんと支社に掲示してある、
パワハラガイドラインを確認して、
名誉毀損もパワハラにあたる
ということと、
名誉毀損は複数人の前で行われたものが対象だと、
書いてあるのを読んでいたからでした。
本当に私の精神をボロボロにした、
支社長の言動がパワハラに当たらないとの結果を、
容認しきれなくて、
激しく脈打った自分の心臓を、
咄嗟に庇うように押さえた私の様子を、
全く意に介する素振りもなく、
パワハラ相談員は、
私にさらなる追い討ちをかけてきました。
「Sはあなたからパワハラを受けていないと証言し、
その確認も取れたのですが、
その確認の中で、他の社員から、
あなたの指導がキツかったとの証言も出ています。
これからは、あなたも、
もっと優しく、優しく、部下に接してあげてください」
は?
"もっと優しく、優しく"という言葉を言いながら、
私に、
恐ろしい程の作り笑顔を向けてきた相談員の顔を、
私は心臓を押さえながら舐めつけました。
自分の立場が悪くなることを分かっていながら、
Sを課長から庇っていた私を誤解からパワハラ加害者と非難した支社長の言動は、指導の範囲内だと擁護するのに、
その支社長の言動で、うつ病を発症した私には、指導の範囲内の言動を行っても、まるで私にも非があるように、
更なる優しさを要求してくるのですか?
私は、この調査結果を下した会社にも、
私が今回の一連の事件で、
うつ病まで発症したと知りながら、
まるで喧嘩両成敗とでも言うように、
私の言動にも非があったと受け取れる発言をしてきた、
相談員の言葉にも、
限界を感じました。
あ、私、もう(ここで働くの)無理だ
そう感じた私は、
椅子に座ったまま、
痛む心臓を庇うためにどんどん前のめりになっていき、
そんな私が会議室を出る時には、
くの字の姿勢になっていたのですが、
そんな私に、
パワハラ調査の結果を告げた調査員は、
「頑張ってね」
といった的外れな言葉をかけるばかりで、
具合の悪そうな私に心配の目を向けてくれたのは、
12月にオンラインで私に追加調査を実施した時、
「あなたがそんな(パワハラを行う)人ではないと分かっている」
と優しく言ってくれた、
相談員の方だけでした。
結局、私は。
この時に相談員から言われた言葉がダメ押しとなり。
この出来事から4時間のうちに、
人事部に退職届を提出し。
※退職届提出までの私の行動を知りたい方はこちらをご覧下さい。
この日以降、退職日まで休職した私は、
荷物の片付けに出勤した1日以外、
職場に行くことは無く、
お世話になった誰とも、
挨拶を交わすことも出来ないまま、
30年間一生懸命働いてきた会社と、
決別することになったのでした。

「退職おめでとうございます 」
と書かれた記念品と共に、
出勤しない私のアパートまで、
退職祝いとして人事担当者が届けにきた花束。
「まるでイジメで登校出来ない子の机の上に、
死者にするように花を飾る嫌がらせみたいだな」
と、その当時、
うつ病で体を動かすこともままならなかった私に、
空虚な笑いを起こさせた一品でした。