愛着障害

精神科受診

精神科医師

発達障害のセカンドオピニオンが欲しくて、
今日、精神科を受診してきました。

臨床心理士さんによるバウムテストに、
自閉症スペクトラム指数を図るAQテスト、
医師による問診という流れ。

バウムテストは絵を描く心理検査で、
絵を描くことが好きな私は、

「制限時間はありますか?」

と聞いて、

「特にありませんよ」

と言われたため、
納得いくまで描こうとしたのですが、
心理士さんの予想を、
遥かに上回った時間描いていたためか、

「あと5分くらいで終わりにしましょうか?」

と言われてしまい、
2枚目を描く時には、
あらかじめ、
描く時間を制限されてしまいました。
(バウムテストは2枚描きました)

バウムテスト、
AQテストの結果をみながら、
医師から問診を受けました。

AQテストが50点満点と聞いて、
33〜38点だった私は
(結果の見方がよく分かりませんでした)

「あ、私、そんなに高くないんだ」

と思っていたら、
このテスト結果だけで、
判定は出来ないものの、

33点以上あるのは、
自閉スペクトラム症と診断されるレベル

だと言われ驚きました。

「あんな、
誰にでも当てはまる質問ばかりだったのに…」

という私の言葉に対し医師は、

「誰にでも当てはまる質問じゃないんですよ。
そう思うところに認知の相違があるのでしょう」

と、
私があらかじめ書いて提出した、
問診票を見ながら言われました。
(人と考え方が違うと言われる、と問診票に書いていました)

その後、
医師からはASDに関する質問、
愛着障害に関する質問をされ、
そのことごとくに、
該当するエピソードを持っていた私は、

「でも、自殺未遂をしたのは1回だけで、
手首を切る自傷行為をしたのも、
軽く数回だけ。

過食嘔吐も今はしていないんです」

と、
自分がそれほど酷い状態ではないことを、
医師に伝えたのですが、

「1回でもあれば多いんですよ」

と言われ、
そこでもまた、
私の認識はひっくり返されました。

(そうか、そのうち1つも、していない人もいるんだ…)

世間一般的には、
していない人の方が多いそうなのですが、
自分の身近にあったものだったため、
私の中で、
何だかメジャーな行為に、
なってしまっていました。

そして、私は自分に、
発達障害も愛着障害もあると、
思っているけれど、
どちらがより、
自分の人生に影響を与えているか知りたい、
と医師に言った言葉に対しては、
このような返答が返ってきました。

「愛着障害と発達障害は、ニワトリが先か、卵が先か、というところはあるけれど、切り離して考えることは出来ません。治療も同時に進めていきます」

結局、
私にどちらの影響が強いのかは、
分かりませんでしたが、
自分が考えていたとおり、
どちらも持っている、
ということだけは、
はっきり医師から、
教えてもらうことが出来ました。

希望していたウェクスラー式知能検査も、
WAISIIIを、
受けられることになりました。

今日、私が医師から言われた言葉で、
1番心に残っていること

「発達障害も愛着障害も病気ではありません、偏りです。
生きづらくなければ障害ではないのです」

私も以前から、
同じ思いを抱いていました。

会社で係長をしている私の部下にも、
発達障害だと思われる子がいたけれど、
私のように人に怯えたり、
人間関係で悩んだりはしておらず。

家族に愛されて育ってきたエピソードを、
とてもたくさん持っていました。

それは、私が欲しくても、
持つことが出来なかったもの。

以前、私が、
自分が発達障害ではないかと悩んで、
セラピストをしている知人に、
相談した時に言われた言葉。

「そんなの誰にでもあることなのに、
そんなに障害者になりたいの?」

その人に、今、言いたいこと。

「発達も愛着も、偏ったのは私の責任ですか?」

医師から

「周囲の理解があれば生きづらさは無くなるけれど、
周囲に理解してくれる人はいますか?」

と言われて、私は首を横に振りました。

そんな人や環境に恵まれていたならば、
私は父親から、
キチガイと言われた精神科受診を、
決行などしなかったでしょう。

偏りからくる生きづらさを解消するために、
私はこれから精神科に通院します。

どうか、願わくば。

私のこれらの体験が、
偏りのある人達の、
生きづらさを解消するために、
少しでも役に立って、
障害に該当する人が、
少しでも減りますように。

診察室を出る時に、
医師からかけられた

「よく今まで頑張りましたね」

の言葉に、ちょっと泣きました。