9月末に、
今年、小学校に入学した孫から、
1枚のハガキが届きました。
草の汁で描いたのかな?
草の模様の間に、
孫から私へのメッセージが、
おそらく覚えたばかりの、
たどたどしい平仮名で書いてあって、
それを読めないだろうと考えた娘が、
下の方に何て書いてあるのかを、
清書してくれていました。
(これが無いと読めませんでした)
今年の3月末で職場を退職し、
このような理由から、
原家族(自分が生まれ育った家族)と、
距離を取っていた私にとって、
今唯一繋がっている家族は、
娘夫婦と孫の家族のみになります。
今年の2月にうつ病で仕事を休職し、
その1ヶ月後には職場を退職、
今現在、
うつ病療養のため働いていない私は、
社会からドロップアウトしてしまった形になっており、
そんな私に届いた孫からのハガキは、
社会との接点を感じられる、
とても嬉しいもので、
すぐに孫に返事を書こうと思い、
どんな内容を書こうか、
色々頭の中で考えていたのですが。
返信用にと、
ハガキ大に切った紙に貼る85円切手は、
孫からのハガキが届いてすぐに購入したものの、
返事を書いたら、
きっと喜んでくれると分かっている、
孫への返事を書くという作業に取り掛かることが、
なかなか出来ませんでした。
退職するまで、
1日12時間以上働く生活が、
当たり前だった私にとって、
今の無職生活は、
「やることが無くて暇だなぁ」
なんて感じることもあって、
私の頭の片隅にはいつも、
「孫への返事を書かなきゃ」
という想いもあるのに、
暇だと思いながら、
孫への返事を書こうと思いながら、
結局、何もせず、
ベッドの上に寝転んで、
だらだらと、
スマホを眺めて1日を過ごしてしまっている自分を、
「怠け者だなぁ」
と卑下してしまっていたのですが。
孫からのハガキが届いてから1ヶ月以上が過ぎた、
昨日、ようやく、
「孫への返事を書かなきゃ」
という想いに行動が伴って、
結局、2時間程の時間を掛けて、
孫への返事を書き上げた時、
私は気付いてしまったのです。
「あぁ、今まで私が孫への返事が書けなかったのは、
書き上げるだけの気力と体力が無いと、
無意識に分かっていたからだったのだ」
って。
なぜなら、
私の頭の中には。
お盆に私の家に遊びに来てくれた孫が、
楽しそうに塗り絵をしていたからと、
自分の書く返事は、
孫が喜ぶ絵柄を塗り絵として描いてあげよう、
などという思惑があったのですが。
それって、簡単に書けるものではなく。
昨日は何故か、
朝起きた時にいつもより体調が良くて、
心が明るく感じられた時に、
「あぁ、そうだ、ゆうちゃん(孫)への返事を、
いい加減、書かなくちゃ」
と自然に思ったから、
返事を書く行動を起こせたのでした。
そう、私が想いを行動に移せたのは、
心身の調子が良かったから
だったのです。
逆に、言えば。
私が行動出来なかったのは、
心身の状態が悪かったせいであり。
自分が怠け者だからではなかった
のでした。
心身の調子が良いことの方が少なくて、
調子が悪いのがデフォルトだったため、
その状態が当たり前で、
当たり前の状態で動かない自分のことを、
意志薄弱と責めていたけれど。
自分を責めてなお、
動き出さない自分を卑下していたけれど。
本当は、
動かないんじゃなくて、
動けなかったんだ
と分かった私は。
昨日より少し、
自分に優しく出来る自分になったのでした。
孫が喜ぶ塗り絵の絵柄を決められなかった私は、結局、孫の似顔絵を描いてお茶を濁してしまいました。
