回想録

兄のためにドナドナと言われた私の、少しだけ変化した兄への気持ち

金曜日の夜、作り置きのカレーを温めていたら。

昔、私の結婚式で兄が小噺をしてくれたことを思い出しました。

私が結婚した時、兄はまだ大学生だったのですが、
大学で落語研究会に所属しているということを知った周囲の方から、

「なにかやってくれよ」

と言われて、急遽、
披露宴で兄がステージに立って1人で小噺をすることになったのです。

兄が話したのはカレーにまつわる簡単な小噺だったのですが、
急な話で緊張したのか、あろうことか兄は、
オチを先に言ってしまうという、痛恨のミスを犯してしまいました。

酔っ払っている親戚のおじさん達は、
皆んなの前で失敗した兄への気遣いなど一切することなく、

「ありゃあダメだったな、話もちっとも面白くない。俺でも出来る」

などと、上から目線で兄に語っていました。

(仲が良くない妹の結婚式に仕方なく参加して、
急に話をしろって言われて、付き合いで話をしたら面白くないって言われて、
兄は、きっと嫌だったろうなぁ、、、)

と、兄を不憫に思う気持ちが湧いてきました。

そんな自分の気持ちに、私は自分で驚いてしまいました。

私は兄と2人兄妹なのですが、
空前絶後の仲の悪さを誇っていたからです。

実は、私が好きではない男と結婚した理由の一つに

「結納金」

がありました。

兄は私立の大学に通っていたのですが、
お金のあまり無かった我が家は、兄の来年度の学費が払えなくて困っていました。

「私が結婚して結納金が入ったら助かる?」

と母に聞いたら、

「そりゃ助かるさ」

と言われました。

お金の工面で母が苦労しているのは知っていたので、
母に愛されたいとずっと願っていた私は、
自分が結婚して母にお金が入ったら、
母が私を愛してくれるんじゃないかという思いもあって、
結婚を承諾したのでした。

結婚に不向きな私が結婚に至った、
そんな理由を知っている数少ない友人からは、

「ドナドナ」

と言われ、泣かれました。

その時は母にこれで愛されると思っていたため何も感じませんでしたが、
今なら友人が泣いた気持ちが分かります。

なんて、私は自分を粗末にしていたんだろうと、自分で泣けてしまいます。

兄は、このことを知りません。
家のお金をやり繰りしていたのは母だったのですが、
父も兄もお金のことを話すと不機嫌になったので、
母がお金の苦労を吐露するのは私にだけだったからです。

そんな兄から、
夫が家に愛人を連れ込んだことに苦悩して自殺未遂をした後に、
私が言われた言葉が、

「これで分かったか」

でした。

兄の目には、
好き勝手に生きた私が痴情のもつれで発作的に自殺を図った、
と見えていたみたいでした。

私が結婚することで得たお金で大学に行って、
親のお金で生活している、
そんな皆んなに守られている状況に気付くことさえ出来ていない、
兄の口から出たこの言葉で、
元々仲が良くなかった私と兄の間には、決定的な亀裂が入りました。

それからもう20年以上、お盆と正月に顔を合わせても、

「お久しぶりです」
「お元気ですか」

といった会話しかしない兄妹となっていました。

どんなに家族関係に向き合ってみても、
生活が苦しいなか、
自分を大学に行かせてくれた両親に感謝するどころか、
歳をとると共に、
ますます両親を見下げる発言をとるようになっていた兄は、
私のなかで手をつけることのない不毛地帯となっていました。

そんな兄に対して、突然、
私の中に不憫な気持ちが湧き出てきたことが、
本当に意外で、驚き以外の何物でもありませんでした。

でも、そう思えたのは多分、
自分が幸せになるために父や母との関係改善に努力している私が、
兄も赦しの対象にしなければ幸せになれないと、
心のどこかで、思っていたからかもしれません。

ふとしたことで思い出した、

  • 嫌いな妹の結婚式に参加してくれたこと。
  • 突然ふられた小噺を、場の空気を乱さない為にやってくれたこと。

という、兄が私のためにしてくれた2つのこと。

誰かに言われたからだったとしても、全部、
私のためにやってくれたこと。

そして、私の知らないところで、
私の娘は、結構兄にお世話になってるみたいだと、
娘の話から感じることもありました。

今はまだ、兄が過去に私に対してとってきた言動を、
赦すことは、出来ないけれど。

ドナドナと友達に泣かれた私の犠牲のお陰で、
自分の大学の学費が支払われたことも知らずに、
それほど金銭面で無理をして、
大学にいかせてくれた両親の苦労も知らずに、
私や両親に対して尊大な態度を取ってくる兄の姿に、
嫌悪感さえ抱いていたけれど。

今日、少しだけ、
兄が自分にしてくれたことを、思い出して。

少しだけ、兄に対して、
歩み寄ってもいいような気持になることが出来たのでした。