今週末の休暇はずっと、
前回の記事の続きを書こうと思っていたのですが。
仕事で大きな心配事があり、
家にいても、
その心配事が頭に浮かんでくるため、
集中した時間を持てないと、
ブログを書くことが出来ない私は、
なかなか手をつけることが出来ないでいました。
(実は前回の記事は、書くのに6時間かかっています)
私のブログを読んでくださっている方は、
ASDの拘りの強さを、
よく理解されている方が多いと思うのですが、
ASDは人によって多少の差はあれど、
自分がこれをすると決めたことを
実行出来ないと
多大なストレスを感じる
という性質を持っています。
そして、自分が決めたことを実行出来ないと、
実行出来ないことを一端手放して
実行出来る別なことをやる
という風に、
気持ちや思考の切り替えが出来なくて、
ずっと出来ないことに固執して、
その場所(事)から動けなくなってしまう、
という性質も持っています。
私も「自分の思い通りにいかない現実に対して癇癪を起こす」ということを、子供の頃は繰り返していましたが、
成長するにつれて、癇癪を起こすことで周囲が自分の思い通りに動くことはなく、
かえって自分が社会から爪弾きにされて、余計に物事が上手く進まなくなることを学んでからは、
癇癪を起こしたい場面でも、グッと我慢出来るようになりました。
(理解して「仕方ないと諦める」のではなく、理解して「心身を悪くする位の我慢が必要となる」ところが、定型発達者とASDの違いではないか、と思います)
そのため私も、
昨日は一日中、
自分がやると決めたこと(前回の記事の続きを書く)を、
何とか出来る心持ちになれるように、
試行錯誤を繰り返したのですが、
その心配事が頭から離れることはなく、
今日は朝、
その頭から離れない心配事と共に、
左肋骨の裏がひきつる様な痛みを感じて、
目覚めることとなりました。
その痛みはこの時感じた痛みと同じものでした。

で、私。
この痛みを感じた時に。
もの凄く腹が立ってしまった
のです。
私がこの痛みを感じるに至った理由には、
2つの原因がありました。
その2つとは…
- 私の頭から離れない心配事
- 前回のブログの続きを書くと決めていたのに書けないこと
この2つが、
大きなストレスを私に与えることとなり、
私の心身の不調をきたすという、
害悪を与えていたのでした。
今の時点では、
まだ私がどうして世界から孤立していたのか、
ブログに書くことが出来ていないため、
今回の私の心配事は、
この記事の中で書いていた、
私が所属していた、
職場と実家と絵画教室
という3つの世界のうち、
職場の人々
が原因である、
としか書けないのですが。
元々、私の頭を悩ませている、この心配事は、
職場の人々が私を孤立させていなければ起こっていない
出来事でした。
それなのに、
問題が起こったら、
今まで孤立させて、
散々傷つけてきた私を頼ってくるという、
(どの様に傷つけられたかはこちらの中で書いていきます)
職場の人々の調子の良さに、
心から腹が立った
のです。
そして私が、
肋骨の裏の痛みを感じるくらい、
今週末に前回のブログ記事の続きを書くんだと、
思っていた理由は、
年単位で間が空いていた私のブログを
以前から読んで下さっていた方々が、
また読みに来てくれたのが嬉しかった
からでした。
約2年間(現在も継続中)に渡って、
所属していた3つの世界のうち、
職場と実家という2つの世界から、
孤立し続けていた私には、
自分を待っていたと言ってくれる、
このブログという世界が、
嬉しくて仕方なかったのです。
そして、
私に嬉しいという、
貴重な気持ちを感じさせてくれる、
私のブログを読んでくださる皆さんに対して、
子供の頃に私が父親から散々味わった、
期待させておいて裏切られる
という気持ちを、
感じて欲しくはなくて、
前回の続きをこの週末に書くのだと、
固く心に決めていたのでした。
私の父親は私が子供の頃「週末に◯◯に遊びに行くぞ!!」と早くから宣言して、私達に楽しみにさせておいたにもかかわらず、
いざ当日の朝になっても動き出すことはなく、すっかり出掛ける用意の出来た、私や母や兄に向かって、
「今日は◯◯だから止める!!」と言っては、寝転んで酒を飲みながらテレビを見るということを、繰り返していました。
この◯◯には、自分が面倒になって行かないことを正当化するために、私の所為で気分が悪くなった、といった意味合いの言葉が入ることも多く、私は兄から責められるといったことが続き、成長するにしたがい私達家族は、
「父親が何か言い出しても、どうせまた口だけだ」と思うようになり、
父親に期待することを止めるようになったのでした。
でも、自分がいくら固い思いで、
前回のブログの続きを書くんだと、
決意したとしても。
自分が孤立していた(いる)という、
辛かった気持ちに向き合うには、
別な心配事を抱えながら書くには無理があって。
そして、肋骨裏の痛みまで発症している、
ということは、
私のストレス値はかなり高いようなので、
私はこの肋骨裏の痛みを解消するために、
先ほど書いた2つの原因への対応策
を考えることにしました。
まず、原因1
「私の頭から離れない心配事」について。
私を孤立させていた職場の人々が、
私にその件に関して関与をさせなかったのに、
課長補佐という私の立場を理由として、
私の課で起こっている案件だからと、
私に責任を取らせよう、としていることに、
端を発するのだから。
その件について私に責任はないと、
アピールする行動を取っていく
ことにしました。
いわば、責任の押し付け合いという、
本来の私ならば、
絶対にしない内容なのですが。
関与を禁じられた事柄に対して
立場だけで責任を取る必要はない
と、
考えることにしました。
この思考は実は、
私の中には無い発想だったのですが、
(その立場を拝命した以上、状況はどうあれ、責任も伴うと考える真面目なASD)
今の会社で唯一、
私が信頼している、
別な支社に勤務している同僚から、
「そこまでのことをされたのに、
姉さん(私が年上なのでそう呼ばれている)が頑張る必要ないよ」
と以前に言われたから浮かんだ発想、でした。
そして、原因2
「前回のブログの続きを書くと決めていたのに書けないこと」については。
目標値を下げて実行する
ことで、
自分を納得させることにしました。
要は、
達成出来ない目標を、
その目標に近い、
達成出来る目標へ変更する
という形にしたのです。
どう変更したのかというと。
週末に前回のブログの続きを書く
ではなくて。
週末にブログを書く
という、
今の自分に出来る内容に。
そう決めて、
ここまでブログを書き進めてきたら。
自分を安心させることが出来たのか。
肋骨の裏の痛みが引いてきて。
仕事の心配事で、
早く覚めてしまった目に、
重い瞼が覆い被さってきました。
本当なら、
この目標値を下げて実行するって、
ASD的にだけではなく、
愛着障害者的にも、
相手から見限られることが怖い
ため、
なかなか実行出来ない行動なのですが。
年単位で更新の無かった私のブログを、
皆さんが読みにきてくれたお陰で、
実行することが出来ました。
読みにきてくれた皆さん、
ほんとうにありがとうございます。