今日は、私に
と言った同僚に会いに行ってきました。
同僚に頼まれていた、
書類を渡すために。
電車とバスを乗り継いで、
片道1時間半という時間をかけて、
その同僚に会うために、
いつもは付き合って残業していた、
4月に転勤してた部下に、
「今日は残業できないの、ごめんね!」
と言って、
やっぱり今日も残業している部下を、
事務所に残して、
大急ぎで職場を後にして出てきました。
あんな酷いことを言われた相手に、
ここまでしてあげなくても、
良いと思うけれど、
自己肯定感が低い私は、
自分が何か困った時に、
人に助けて欲しいから、
いつも人の役に立とうと、
頑張ってしまいます。
そして更に、
あんな言葉を私に言ってきた同僚との、
今後の付き合い方を考えるために、
同僚が私のことをどう思っているか、
確認するために、
無理をして会いに行ったのですが。
結果は…
同僚は全く気にしていませんでした。
私にとって、
同僚と意思疎通がうまく出来なくて、
同僚からあんな言葉を、
言われたことは、
今後の付き合いが無くなるくらいの、
大きな出来事だったのですが。
今日会った同僚は、
全くいつもと同じ風で、
普通に会話をしてきたため、
私はとっても驚いてしまいました。
定型発達者にとっては、
意思疎通が上手く出来なくて、
傷ついたことは、
軽く受け流せてしまうこと、
なのでしょうか?
私はその同僚からいつも、
「あなたは物事を難しく考え過ぎる」
と言われます。
けれど私に、
物事を難しく考えている、
意識はありません。
私にとっては、
その思考が普通なのです。
だから、
私にとって同僚から言われた言葉は、
絶縁も覚悟しなければいけないくらい、
とても重い言葉でした。
けれど、
定型発達者の同僚にとっては、
普通の会話の1つだったようです。
今日会った同僚の態度をみて、
同僚の発言に、
あんなに思い悩んでいた自分が、
何だか虚しくなってしまいました。
今までも、
薄々感じていたことだったのですが。
発する言葉に対する意識の重みが、
定型発達者と自閉スペクトラム症者とでは、
全く違っているようです。
なんでもまともに受け取ってしまう、
自閉スペクトラム症者と、
ある程度の発言は、
受け流してしまえる定型発達者との、
意識の違いを、
とてもハッキリ感じた出来事でした。