発達障害(ASD)グレーゾーン

理解されない悲しみ

昼に咲く桜

普段、私達が使っている言葉は、
お互いの共通認識で成り立っています。

でも、
自閉スペクトラム症に該当する私は、
人と言葉に対する認識が、
少し違っているようで、
相手と意思疎通が上手く出来ずに、
悲しい思いをすることが、よくあります。

例えば。

「昨日から桜が綺麗に咲きだしたね」

と相手が言った時に、

「ほんと、桜が綺麗に咲き出したね」

と、定型発達者と私が、
全く同じ返答をしたとしても。

定型発達者と私が思い描いている桜は、
同じようで別なものだったりします。

定型発達者が思い描いているのが、
昼の光に照らされた桜だったとしたら、

昼に咲く桜
私が思い描いていたのは、
夜の明かりの中に浮かび上がった桜、
というように。

夜に咲く桜

一言二言の会話ならば、
お互いが思い描いているものの、
違いに気付かずに、
無事に会話を終了させることが、
出来るのですが、
そうでは無い場合、
話が進んでいくと、
お互いの会話が噛み合わないことに、
気づき出します。

そして、思い描いていたものが、
「昼の桜」と「夜の桜」という、
違いがあったと知った時に、

「え〜お昼に一緒に歩いていた時に、
言ったんだから、
あの話の流れでは昼の桜だと思うのが、
当然でしょう」

と、相手から言われたりします。

こんな時、私はとても悲しくなります。

彼女のいう【当然】が私の【当然】と違うから、
思い描いたものが違っていたのに、
それを、さも彼女の当然が正しいかのように、
言われるからです。

そして、こんな風に意見が分かれた時に、
自閉スペクトラム症という、
発想の仕方が人と違う私の意見に、
同意してくれる人は殆どいません。

多くの人は、私と相手の意見を聞くと、

「その状況なら昼の桜だと当然思うよね」

と、自分達と同じ思考パターンの意見を、
【当然】と結論づけます。

数で推されてしまった場合、
私に対抗する術はありません。

そして、誤解を生む私の発言が、
【良くないもの】とされるのです。

でも。

この思考の違いを直すことは、
私には出来ません。

自分の認知が偏っていて、
生活に支障をきたしているのならともかく、
【綺麗】と感じるものの違いは、
その人の感性の違いだからです。

これはあくまで例え話だけれども。

ごく最近。

言葉に対する認識の違いから、
同僚との意思疎通が、
上手くいっていなかったことが、
後から分かった時に、
自分が何でそんな言動を、
したのかを説明したら、

「そうならそうと言ってくれないと、
ずっと待ってたのに」

「またそんな都合のいいことを…
そんなこと言ってるから泣かされるんだよ」

と言われました。

私は自分のあの時の発言で、
相手が自分のことを待っているなんて、
思わなかったし、
私は自分の言動の理由を説明しただけで、
相手が誤解したことに対して、
自分が悪かったとも、
思っていなかったから、
相手に対して、
言い訳する気持ちもなかったため、
【また】都合のいいことを言っている、
と言われたことが、
とても、ショックでした。

私は、この同僚を信頼していました。

だから時々、職場で起こる辛いことを、
この同僚に話したりしていました。

この同僚にだけは、
私は自分が自閉スペクトラム症に、
該当することを、
こっそり伝えていました。

けれど。

この同僚は、私のことを、
後から自分に都合のいいことを、
言ってくる人間だと、
私の言動は人から泣かされて当然だと、
思っているのだとこの発言で知って、
とても、とても悲しくなりました。

私の対人関係のコミュニケーションが、
上手くいかない理由を、
この同僚にだけは話していたのに。

この悲しみは、
過去から何回も、
繰り返してきたものでした。

この人は信頼出来ると思って、
自分の悩みや苦しみを打ち明けても、
結局、自分のことを、
理解してもらえない悲しみ。

「あぁ、まただ。悲しいな」

せめて、
自分の思考パターンが正しいのだと、
私に自分の意見を押し付けるのではなく、
私がどのように考えて、
その言動を行ったのか、
共感出来なくても理解してくれたら、
私はこんなに悲しくはならないのに。

自己開示して、
相手に理解してもらおうと努力しても、
こうやって傷つく自分。

「痛いな、苦しいな」

そんな思いを感じて、
そっと、また、
自分の心を閉ざそうとした時に。

浮かんできたのは、このブログのこと。

自分と同じように、
発達障害を抱えていたり、
機能不全家族の中で育って、
愛着障害を抱えていたり、
人間関係が上手くいかなくて、
心の病気を患ってしまった、
このブログで私と繋がってくれている、
人達のこと。

ここで諦めちゃダメだね、
理解して欲しかったら、
理解してくれるまで、
声をあげ続けないといけないね。

発達障害や愛着障害で、
苦しんできた自分を、
人に知って欲しいと願うようになって、
書く内容が変わってきた、
私のブログ。

SNSで、
多くの人に伝えることも大事だけれど、
身近な人に理解してもらうのも、
きっと大切。

理解されない悲しみを、
いっぱい感じて落ち込みきったら、
また顔を上げて、
自閉症スペクトラム障害の自分のことを、
理解してもらえるように頑張ろう。

そんな風に心が前向きになったのは、
このブログを読んでくれている、
皆さんのおかげです。

ありがとうございます。