うつ病生活

うつ病で休・退職した私の決意.3

うつ病で休・退職した私の決意.2の続きになります)

せっかく予定より早く休・退職したのだから、
定年後にやろうと思ってたことをやってしまおう!!

そう考えて、
4月の中旬までに、
定年後の夢を叶えてしまった私は。

心が満足してしまい、
次の行動を起こす気力を失ってしまっていました。

これは、うつ病の症状というより、
ASDの特性が影響しているのではないか、
と思います。

私は小学生の頃から、

何か目標や目的がないと、
行動を起こせない(起こさない)

子供でした。

そのため、教室で何の目的もなく話す雑談が苦手でした。「この人達は何のために話をしているんだろう?」と不思議にさえ思っていました。
大人になった今は「コミュニケーションを取る」という目的があるのだと分かります。

※定型発達の方々が、コミュニケーションを取ることを意識して雑談をしていないのも理解しています。そして、こんなことを考えながら雑談する私の思考は、よく面倒くさいと言われます。

その特性は、
大人になった今でも健在で。

そのため、
そんな自分の特性を理解していた私は、
いつも何らかの、
目標や目的を定めて生きていたのですが。

うつ病を患った今は、
活力が枯渇しがちなためか。

2月初旬に休職に入って以降、
過去に定めた、
目標や目的に向かって動くことは出来ても。

新しい目標や目的を定めること

は出来ずにいました。

そして、過去に定めた目標や目的は、
自分がこんなに早く退職することを想定して、
立てていなかったため。

定年後に好きな作家の美術館に行くという目標以外、
そのままでは使用することが出来ず、
修正する必要がありました。

でも、これには多分、
うつ病が影響していると思うのですが。

過去の目標や目的を修正をする気力が、
湧いてこないのです。

そのため。

現在の自分の状況に見合った、
生きる目標や目的を持つことが出来ていない私は。

何をしたら良いか分からず。

1日中、
スマホの画面を眺めて過ごすという生活を、
繰り返していました。

休職に入った最初の1ヶ月間と同じ、

廃人のような生活でしたが。

幸か不幸か、
現在の自分の状況を自己卑下する気持ちは、
1週間で乗り越えてしまっていたため。

このままの自分ではダメだ、
という気持ちも湧いてきませんでした。

むしろ、
無職になった自分に慣れるために、
無職の動画を見続けたりしていました。

そんな私の状況を変えたのは、
なんの気なしに見ていた、
YouTubeの動画のサムネイルでした。

その動画のサムネイルには、

スマホ依存が脳に悪影響を及ぼす

と書かれており。

私がその言葉に関心を示すと。

YouTubeは次々と、
そのような動画のサムネイルを、
私に見せつけてきました。

私はサムネイルを眺めながら、

脳機能の低下はマズイ

と感じ。

合わせて、
とてつもない焦燥感に襲われました。

ASDの私は、
自分の発した言葉や信念に、
とてもよく囚われます。

そして今現在、私は。

母親の面倒を見ないのだから、
自分も最期まで1人で生きていく

という信念を持っていました。

まだちゃんと、
ブログに書けてはいないけれど。

一昨年の母の入院と、
昨年の伯父さんの初盆の際。

あまりに私を邪険に扱った母に対し、
我慢の限界を迎えた私は。

お母さんの私に対する態度は酷すぎる

と泣きながら訴え。

私に対して、
そんなに酷い扱いをするなら。

もう私は母の面倒を見ないから、
ずっと母が大切にしている、
兄に面倒を見てもらうよう伝え。

それ以降、
自分から母に連絡を取ることはしませんでした。

自分から連絡することを辞めただけで、母の方から連絡してきたら、普通に応対しようと思っていましたが、現在まで母から連絡はきていないため、私と母は今、音信不通となっています。

そして。

自分の発した言葉に囚われるASDの私が、
母に対して、
そのような言動を取るということは。

自分自身も子供に面倒を見られないことを受け入れる

ということでもありました。

簡潔にいうと。

私は母に泣きながら母の面倒はみないと言った時、

自分の面倒は自分で看る

という覚悟を固めて発言していたのです。

と、いうことは。

脳機能が低下する生活など送っている場合じゃない

のです。

この焦りは、
私が自分の生活に新しい目標や目的を持つ、
よい起爆剤となりました。

私は心身共に健康でいなければならない!

と考えた私は。

まず、うつ病の寛解を目指さなければならないと思い、
今現在、通院している精神病院の診療方針を、
病院のホームページで確認しました。

そして、
他の精神病院とも比較してみようと、
自分が通院している精神病院の専門分野を、
調べていた時に。

大人の発達障害

と記載されていることに気付いたのです。

さらに、
カウンセリングも実施している、
とのことでした。

私とブログで繋がってくださっている皆さんは、
発達障害の方も多いので。

大人の発達障害に対応してくれる病院が、
地方に行くほど希少だと、
分かってくださるのではないか、と思うのですが。
(そして私は、かなり地方に住んでいます)

その専門分野をみて、私は思ったのです。

せっかく、大人の発達障害に対応している精神病院に通院するなら、うつ病の寛解だけでなく、発達障害の改善も目指したら凄く健やかになれるんじゃないか?

以前、
私が発達障害の診断を受けた精神科では、
二次障害が発生したり、
困ったことがあった時に、
通院するように言われました。
(そして二次障害等は発生していなかったため、通院しませんでした)

今回の私のうつ病発症は、
やっぱりまだ、
ちゃんとブログに書けていないけれど。

課長からパワハラを受け、
その件について、
会社から不適切な対応を取られたからといった、
明確な理由がありました。

だから、
精神科医師の診療を受ける際、
自分の発達障害のことは触れていなかったのです。

でも、他にも人がいるのに、
パワハラのターゲットにされやすい私。
(パワハラのターゲットにされたのは今回が初めてではありません)

そこには。

発達障害の特性ゆえに、
孤立しやすいから狙われやすい、
といった理由も、
きっと含まれているはず。
(実際、私にパワハラを行った課長は、職場に友人が多い子には加害していません)

そして。

私が孤立しやすい理由には、
発達障害だけでなく。

機能不全家族の中で育ち、
他者との適切なコミュニケーションを、
子供の頃に学べなかったという。

愛着障害に起因する理由もあるのではないか、
とも、考えました。

そして、最終的に、
このような結論に達したのです。

よし、この際、うつ病の寛解だけでなく、私が社会で生きやすくなるように、発達障害や愛着障害を含めた、全ての特性の改善も目指そう。

幼い頃から、

  • 女の子なら要らない
  • お前のせいで母さんは死にかけた
  • 母さんの体が悪いのはお前のせいだ

そう言われて、
父親に責められて生きてきた私。

もの心ついた時には、
幼い私の心には、
大きな傷がパックリと口を開けていて。

その心に新しい傷が付いて、
その傷が膿んでいくことはあっても。

その傷が癒されることはありませんでした。

そして、私も。

心に傷がついている状態が当たり前で、
その傷が治せるなんて思っていなかったから。

現代の医学では治せない、
不治の病を患っている患者のように、
色んな民間療法(セラピー)に手を出すことはあっても。

病院にかかるという発想は、
ありませんでした。

私が以前、発達障害の診断を受けるために精神科を受診したのは、職場の人間関係に悩んでいたからで、自分の心の傷を癒す目的ではありませんでした。

でも、どうせ、
うつ病の治療で病院に通院するのなら。

正攻法(病院での治療)を試してもいいんじゃないかな?

心の傷を病院で治療するという、
その結果が。

どのようになるかは分からないけれど。

自分の心の傷を精神科医師に伝えて、
治療を受けようとしている自分を想像すると。

新しい試みに、
希望が持ててワクワクするし。

今現在の、
廃人のような生活を送っている自分が。

病院での治療に希望が持てて、
動き出すことが出来るなら、
それは良いことに違いはないから。

やってみよう。

仕事を退職した私には、
自分の治療にかかりきりになる、
時間だけはたっぷりあるから。

勢いで退職を決意した私の、
今後の目標、
出来ました。

自分の身心を病院で治療して健やかに保つ

結果はこのブログで報告していこうと思うので、
暖かく見守っていただけると幸いです。