一昨日のブログ記事で。
中学生の頃に、
家に救急車が来て、
兄が運び出されたことに気付かず、
ずっと私が寝ていたのは。
毎日気絶するほどに疲れていたからだと、
書いたのだけど。
その疲労の度合いはここ最近、
自分のASD(自閉スペクトラム症)と、
愛着障害の特性との付き合い方を把握して、
人間関係で悩むことはなくなったけれど、
1日11時間勤務の後に、
10月からの学びで出された、
課題に取り組んでいた現在の私にも、
当てはまっていて。
一昨日はその疲労のために、
朝起きても頭がフラフラしていて、
職場に着ていくスーツの、
上下の組み合わせを間違えるという、
24年間現在の会社に勤務していて、
初めてのミスを犯してしまいました。
ジャケットのストライプの方が、
パンツのストライプの幅より狭いのが、
この写真で分かるでしょうか?
スーツの上下の組み合わせを、
間違えていることに気付いたのが、
会社の朝礼の最中だったものだから、
私は自分の後ろに並んで立っている部下達が、
自分のこの間違いに、
気づくんじゃないかとソワソワしてしまい、
「部下達にスーツを間違えて着てきたって笑われる!!」
って思って、
凄く恥ずかしい気持ちになって、
私は部長の話なんかそっちのけで、
その場から早く逃げ出したい衝動に、
襲われていたのだけど。
でも、
自分の生きづらさを解消するために、
散々自分の思考パターンを研究してきた私は、
自分がとても、
他人の目を気にする人間だということを、
その時、思い出したのです。
そして。
他人は自分で思っているほど、
自分のことを気にしてはいない。
という事実も、
併せて思い出すことが出来ました。
だから私は、
自分自身に対して、
心の中でこんな言葉をかけてあげました。
「他の人はこんな、僅かなストライプの違いに気付くほど、
あなたのことを気にかけてなんかいないよ」
その言葉を何回か、
心の中で繰り返しているうちに、
私のとても恥ずかしがっていた心は、
少し落ち着きを取り戻すことが出来ました。
そして、もし誰かから、
「スーツ間違えて着てきたの?」
と声をかけられたら、
どう答えようかまで、
意識を向けることが出来ました。
頭の中で色々なシュミレーションを繰り返し、
私は最終的に、
こんな風に答えることにしました。
「そうなの、朝、寝ぼけて間違えちゃったwww」
そう言って自分で大きな声で笑えば、
これは恥ずかしい失敗談ではなく、
笑える失敗談になるので、
それはかえって、
雑談な苦手な、
ASD(自閉スペクトラム症)の私が、
皆んなと楽しく話す、
キッカケになるのではないか、
というところにまで考えがおよび、
そこまで考えたら、
あんなに恥ずかしく思っていた、
自分の間違いが、
楽しいもののように思えてきました。
そして会社の朝礼終了後、
誰か私の間違いに、
気付いて話しかけてこないかな〜と、
待ち構えていたのですが、
結局、その日1日、
誰も私の間違いに突っ込んでくる人は、
いませんでした。
あんなに自分の間違いを気に病んだけれど、
やっぱり誰も私のことなど、
それほど気にしていませんでした。
私はこれでまた1つ、
自分がこの程度の間違いを起こしたとしても、
誰も気にしないから、
恥ずかしがる必要はないのだという、
小さな確証を得ることが出来ました。
そして、そんな風に思って過ごした1日は、
恥ずかしがって過ごす1日よりも、
はるかに楽しい1日になりました。
たったこれだけのことだけど、
自分の感情は自分で選べるんだ!
と実感出来た、
私にとってはとても嬉しい出来事でした。