(前回からの続きになります)
私が実施した、
「人に利用される自分から脱却するために起こした行動」
のまず1つ目は、
「母の様子を見に行くのを辞めること」
でした。
これは、他の方からみたら、
「なぁんだ、そんなこと」
と思われるくらい、
簡単なことかもしれませんが、
私にとっては、
とても難しいことでした。
何しろ私は、
本当に幼い、4歳の頃から母に尽くしては、
母の言動で悲しい思いをし、
その度に、
母に尽くすのを辞めようと試みるのですが、
結局、しばらくすると、
また、母に尽くしてしまうという行動を、
もう50年近く、
繰り返していたからです。
まして、母は、
私に対して酷い態度を取る時には、
本当に酷い人でしたが、
私に対して、
気遣いや感謝を見せてくれる時もあり、
そんな母の一面に触れてしまうと、
幼い頃に母のことが本当に大好きだった私は、
「あの時の母は虫の居所が悪かっただけで、
こちらが母の本心なのだ」
と考えてしまうため、
私が母から離れることは、
本当に難しいことだったのです。
それでも、最後の最後で踏み止まって、
「こんな扱いをされた自分のままでいいの?」
と、自分に対して問いかけることが出来るのは、
子供の頃からずっと感じていた、
自分の生き辛さから脱却するために、
愛着障害について書かれた本を読んでいた中で、
そこに書かれていた搾取子の話が、
本当に可哀想で、
でも、自分とよく似てしまっていて、
そしてそのことが、
とても悲しくて、
私はこんな可哀想な存在にはならない
と、戒めのように、
自分に言い聞かせていたからでした。
だから、今回実施することにした、
母の様子を見に行くことを辞めるというのは、
母が病気により、
体を動かすことが苦手になっているため、
「困っている人を見放す」
という、
人としての倫理観にもとる行為であることも相まって、
私が完全に実行するには、
かなり難しい命題でした。
だから私は、
一つの賭けに出ることにしたのです。
困難な時にもずっと続けていた、
絵を描く
という行為。
その行為の中で、
新しく2022年から始めた美術展への挑戦で、
私は翌年の2023年に、
地方の自治体が主催したものではあるけれど、
全国公募の美術展で入賞させていただき、
私の作品を、
パンフレットに載せていただくことが出来ました。

「このことを母に伝えたら喜んでくれるだろうか?」
もしも、母の生活には一切影響しない、
本当に個人的な私の、
でも、とっても嬉しい出来事を、
子供の頃から私が、
絵を描くことが好きだと知っている母が、
"形だけでも"喜んでくれるなら。
母は私をまだ大切に思ってくれていると考えて、
私も母の様子を見に行くことを続けよう。
そう、考えて。
私は美術展の主催者から、
自分の作品が載ったパンフレットをいただいた、
最初の週末に。
そっと鞄に、そのパンフレットを入れて、
母の様子を見るため、
母の家を訪れました。
母は訪ねてきた私を歓迎してくれ、
私と会わない間に起こった出来事を、
色々話してくれました。
「いつ美術展に入賞した話を切り出そう」
そう思いながら、
ドキドキとして母の話を聞いていた私は、
母の近況についての話がひと段落した時、
一瞬の隙を狙って、
まるで大したことでもないかのように、
鞄から、
自分の作品が載っている、
美術展のパンフレットを取り出して、
さりげなく、
母の目の前に置きました。
「そういえば、私もね、
応募した美術展で賞をもらって、
このパンフレットに載ったんだよ」
私のその言葉に、
母は、
「そうか」
と答え、
私が置いたパンフレットを一瞥し、
表紙に軽く手を触れたものの、
そのままページの端を2、3枚捲ったきりで、
手に取ることも、
パンフレットを開くこともなく、
「そういえば、お母さんもね…」
と、
すぐに自分のことを話し出しました。
私はそんな母の話を、
なるべく楽しそうに聞くように努めながら、
そっと、
母の目の前に置いたパンフレットに手を伸ばし、
パンフレットを入れてきた鞄に、
また、大切にしまい込みました。
母にとっては自分に関係のない私のことなど、
話に付き合う価値も無いものなのだ、と思いながら。
母の言動で悲しい思いをすることなど、
過去に何度も経験してきたことのはずなのに、
私はこの時、
愛想笑いを浮かべることさえ、
上手く出来ませんでした。
実は人生で初めて、
自分の作品がパンフレットに載ったことが嬉しくて、
何回も見返したことで癖がついてしまい、
簡単に開くようになってしまっていた、
私の絵が載ったパンフレットのページ。

一番右下に載っている私の絵以外、著作権配慮のため、モザイクをかけています。
パンフレットに載ることが出来る、最後の1枚に滑り込みました。
パンフレットを手に取ってくれた母が、
自然にページが開くことに気付いたら恥ずかしいな、
などという私の考えは、
要らない心配だったようでした。
悲しかったけれど、
でも、この出来事のお陰で。
母から距離を置くことに対する罪悪感は、
私の中で、
かなり薄めることが出来ました。
そのため、これ以降、私は。
母の様子を伺う方法を、
母の家への訪問から、
母に電話で確認する方法に切り替えて、
徐々に母と関わる回数を減らしていったのでした。
世界から孤立していた私の話17〜伯父さんの新盆法要で起こった出来事に続きます。