発達障害(ASD)グレーゾーン

見ている人は見てくれている

握られた手

先日書いたこの記事と、
同じような思いをされている方が、
いることを知りました。

真面目に働くASDは、
自分がやらなきゃいけないと思ったことは、
自分が大変になると分かっていてもやるので、
先日の記事の私のように、
社会では損な役割が回ってくることも、
多いのではないか、と思います。

でも。

昨日、支社の送別会が開かれた時に。

以前から私がよく1人で、
作業をしていることを知っている、
別なフロアの部署の女性が、
私にお酌をしにきてくれた時に、
そっと言ってくれたのです。

「昨日も(私の部署のひとは誰も来ず)
1人で作業していましたね」

って。

ビールを注いでくれる人
その方は以前から、
私の部署の人達が共通の作業をせず、
私が1人で頑張っている姿をみると、
声をかけて下さっていた方だったので、
私も自分が辛かった気持ちを、
その方に吐露してしまいました。

「風邪ひいてたので、1人は本当にキツかったです」

そうしたら。

その方は続けて言ってくれたのです。

「うちの部署の人達は皆んな、
じゅんさんが1人で作業しているところを、
見ていましたよ。
見ている人はちゃんと、見ていますからね」

って。

私はその言葉が嬉しくて、
宴会の席だったのに、
感動して涙が出そうになって、
慌てて下を向いて、

「ありがとうございます…」

と言って、
その方がお酌をするために出していた手を、
感謝の気持ちをいっぱい込めて、
握りしめてしまっていました。

その方は私の辛かった気持ちを、

「分かっていますよ」

というように、
しっかりと握り返してくれました。

握られた手

こんな時に、
私はいつも思うのです。

「やっぱり私は、
私の思う通りに行動して、
良かったなぁ」

って。

私の生き方は、
決して要領よくはないし、
ラクな生き方では無いけれど。

そんな私の行動を見て知ってくれて、

応援してくれている人達がいる

ということが、
私にはとても嬉しかったのです。

先日の記事で、
1人だけ作業に参加出来たはずなのに、
来なかった部下Cは、

愛想が良く、
人の目があるところでは、
よく働くため、
可愛がる上司達も多くいます。

けれど、
表面的なところで関わるだけでなく、
実際に彼女と一緒に仕事をする人は、
彼女の仕事がいい加減だということを、
よく知っています。

かわりに、
表面的なところしか見ていない人は、
愛想がない私のことを、
可愛がってくれる人は殆どいないけれど、
私と一緒に仕事をした人は、
きちんと働く私のことを、
信頼してくれます。

でも、
世間一般的に周囲の評価が良いのは、
私ではなく部下Cの方です。

私はそんな自分の性質を、
愛おしく思いながらも、

「生きる」

ということに対する要領の悪さを、
悲しく思うことは、
やはりありました。

でも。

やっぱり、ちゃんと。

見ている人は見てくれていました。

そして、
そんな、言葉を言ってもらえた私は、
やっぱりまた思うのです。

私は私で良かった

って。

だから。

あなたが今、
自分の良心に従って行動していても、
なかなか評価をされなかったり、
誤解をされたりして、
悲しく思うことがあったとしても。

あなたのことを見てくれている人は、
きっといます。

それでも、
心が悲しみでいっぱいになってしまったら、
私の存在を思い出して下さい。

あなたは独りではありません。

要領よくはなくても、
一生懸命に生きているあなたのことを、
応援している私がいます。

だから自分の心を大切に、
生きていきましょう。

心の救い