(前回からの続きになります)
「人に利用される自分から脱却する」
という目標を立てた私は、
その目標を立てる原因となった母と、
徐々に関わる回数を減らしていったのですが、
それだけでは、
まだ十分ではありませんでした。
通常では、
母に尽くす私に感謝してくれる母が、
私を蔑ろにする時には主に、
兄が関わっていることが多いことに気付いたからです。
それは、私の母が、
長男至上主義である鹿児島の田舎出身であることが、
大いに影響していると思います。
何しろ私は、
小学生の頃から母に、
「お前はいずれ(結婚して)この家を出ていく人間」
として、
長男である兄と差別して育てられていたのですから。
母の思惑に反し、
愛着障害を拗らせた私は、
「2人でアパートを借りて一緒に暮らそう」
と言ってきた元夫の言葉を信じて、
決まっていた就職先を蹴って、
元夫についていった結果、
元夫の実家の物置に住まわせられることとなり、
その環境から脱出するために、
生命がけで借りてもらったアパートには、
新生児を抱えた妻(私)がいるのに、
元夫が愛人を泊まらせるために連れてきて、
その、あまりの出来事に、
私は自殺未遂を起こし、
その後、元夫と離婚して、
シングルマザーとして、
経済的には自立して暮らしてはいたものの、
世間一般的には、
「出戻り」
という形になってしまったのですが。
子供の頃に母が大好きだった気持ちから、
だけではなく、
シングルマザーとして、
働きながら子供を育てていた時代、
母が娘を預かってくれなければ、
働き続けることは出来なかったため、
母にとても感謝していたことも手伝って、
母に恩を返したいという思いもあって、
母にずっと尽くしていた私でしたが。
母の入院対応を1人で頑張ったことで。
「兄が長男だからと母が大切にするのなら、
兄に長男の役割を、
そろそろ果たしてもらってもいいだろう」
と考えるようになりました。

そのため私は、
2023年のお盆に、
いつもと違う試みを2つ、
実施することにしました。
- 伯父さんの新盆法要に参加する際、兄に母を車に乗せていってもらう
- 実家で毎年行っているお盆行事の、最終日の仕事を兄にやってもらう(初日の仕事は私が実施)
母が葬儀等に参加する際、
遠くに住んでいる兄は、
必ず参加する訳でもなかったため、
私が母を車に乗せて連れて行くのが常でしたが、
伯父さんの新盆法要に、
兄も参加すると言ったことと、
兄が伯父さんの家に行く途中に、
母の家はあるけれど、
私が母を車に乗せて伯父さんの家に行く場合、
伯父さんの家を通り越して、
母を迎えに行かなければならないことから、
兄が母を伯父さんの家に連れて行くことは、
とても合理的な判断だったため、
兄に母を伯父さんの家に連れて行って欲しいという、
私の兄に対する提案は、
割とすんなりと受け入れられ、
このような細かい調整や連絡は、
自分から行わない兄に代わって、
私は母に、
伯父さんの家には兄が連れて行ってくれることを、
伝えました。
結局、兄は伯父さんの新盆法要が実施される日(15日)の前日に、母の家に泊まることにしたと、お盆の初日(14日)に母から聞かされました。
けれど、毎年行っている、
実家のお盆行事を兄にやってもらうことは、
かなり難航しました。
もともと、このようなことがなければ、
いつものように、
私が実施しようと思って母と調整していた、
この実家のお盆行事というのは、
お盆の初日(14日)の午前中に、
お墓にご先祖様の霊をお迎えに行き、
お盆の最終日(15日)の夕方に、
お墓にご先祖様の霊をお送りする、
といったものでした。
最初、実家のお盆行事の全ては、
私が行うつもりでいたので、
「お盆の初日の午前中に、
お墓に行くのは大丈夫なんだけど、
最終日に伯父さんの新盆法要があるから、
伯父さんの家で法要のお昼の会食が終わった後、
午後3時くらいに、
ご先祖様をお墓に送りに行く形でいいかな?」
と母に提案したところ、
「お送りするのは夕方でないと。
どんなに早くても午後4時くらい」
と、母に拒否されてしまっていました。
実家のお盆行事を4時から実施すると、
私が自分のアパートに帰宅する時間帯は、
5時くらいになってしまうのですが、
その時間は、
1番道路が渋滞する時間帯で、
普段なら1時間半で帰り着けるところが、
2時間半かかってしまうこともあり、
次の日、朝から通常どおり仕事がある私には、
その1時間の違いは、
かなり大きいものでした。
母の家に宿泊するつもりは無かったため、お盆の初日(14日)、最終日(15日)と、2日連続で往復3時間〜5時間車を運転することは、運転が得意ではない私にとって、とても疲れるものでした。
それでも母に午後3時という時間を、
頑なに拒否されてしまっていたため、
自分が母に譲るしかないと諦めていた私でしたが、
いつもは、
親戚の葬儀等に参加するために帰省しても、
日帰りですぐに帰ってしまう兄が、
伯父さんの新盆法要の前日(14日)に、
母の家に宿泊すると聞いて、
それなら、
いつもは全く人任せにしている、
実家のお盆行事に、
参加する体力もあるだろうと考えた私は、
お盆の最終日(15日)に実家にいるのなら、
兄に長男の役割を果たしてもらおうと、
実家のお盆行事の最終日の仕事を、
兄に振ることにしました。
最初、実家のお盆行事の、
最終日の仕事をして欲しいと、
私から依頼された兄は、
「俺、もう長いことやってないから、
やり方が分からない」
と言っていたものの、
「初日は私がやったから」
「お母さんをお墓に連れて行ってくれるだけでいいから」
と伝えたところ、
「伯父さんの新盆法要が終わった後でよければ」
と言ってきたため、
自分が実家のお盆行事の、
最終日の仕事を実施する予定だった時、
母に伯父さんの、
新盆法要が終わった後位の時間帯(15時)を、
提案して、
頑なに拒否された私は、
(これは、お母さんはダメっていうかもなぁ)
と思いながら、兄の提案を母に伝えたところ、
なぜか母は兄に対しては、
夕方が良いけれど、15時くらいでも良い
という柔軟な態度を見せたため、
無事に実家のお盆行事の最終日の仕事は、
兄が実施することとなりました。
そして、伯父さんの新盆法要の日、
私は自分のアパートから直行して、
伯父さんの家に行ったため、
母や兄とは伯父さんの家で会ったのですが、
実家に帰省する時にいつもは連れてこない、
兄の息子も一緒にいる姿を見て、
私はかなり驚きました。
兄は、
新盆法要のお坊様の読経の時には、
息子と一緒に、
仲の良い叔父さんの傍に座っていましたが、
読経やお焼香が終了し、
会食の段階になると、
叔父さんが帰ってしまったためか、
母の隣に座っていました。
私は会食の準備で、
慌ただしく働いていた従姉妹の手伝いで、
やはり動き回っていたため、
準備が終わって私も座ろうと思った時には、
ほとんど皆んな着席していて席は空いておらず、
母、兄、兄の息子と、
3人で並んで座っている場所から一番遠い、
対局の端に1つぽつん、
と空いた空間を見つけて、
知らない親戚の隣に1人で座り、
会食のお弁当を食べました。
そんな状況だったので、
食事が終わって皆んなが談笑している中でも、
私は手持ち無沙汰で、
そして暇だったため、
母が1人、
会食している部屋から出て行く様子に、
気付くことが出来ました。
会食場所は畳に直接座る形だったため、
腰を悪くしている母には辛かったのだろうと思い、
母が出て行った後を追ってみると、
案の定、
別な部屋で横になっている母を、
見つけることが出来ました。
お弁当は食べ終わっていたものの、
兄と兄の息子は座って何かを話していたため、
私は彼らには声をかけず、
母を追って部屋を出てきたため、
私は自分の考えが正しかったか確認するように、
母に声を掛けました。
「お母さん、大丈夫?腰が痛いんじゃないの?」
私がそう聞くと、
「(従姉妹の名前)ちゃんが、
腰が痛いならここで寝てていいよって、
言ってくれたの」
と母は答えました。
母から遠く離れた場所に座っていた、
私には出来なかった、
従姉妹の心遣いに感謝する気持ちと、
なぜ近くに座っていた兄は、
こんな母を放っておくのだろうという、
不満の気持ちを持ちつつ、
私は更に母に話しかけました。
「お母さん、腰が痛いなら、
私が車で連れて帰ろうか?」
以前、
親戚の法事に母と一緒に参加した時に、
やはり長時間座っていることが出来ず、
腰が痛いからと横になっていた母が、
「早く家に帰りたかった」
と言っていた記憶と、
伯父さんの新盆法要が会食まで済んでおり、
この後は特に、
法要で何かやることがある訳ではなかったため、
母に良かれと思って提案した内容だったのですが。
「いい!!」
思いの外、
強い口調で発せられた拒否の言葉とともに、
母の顔が向いていた側にいた私を、
見たくないとでもいうように、
反対側に体ごと向き直って背を向けた母の姿に、
私は母の、
自分に対する絶対的な拒絶を感じて、
(いったい私は、
母のどんな逆鱗に触れてしまったのだろう)
と、
母の態度の理由が分からず、
そのまましばらく体が固まった状態で、
動けないでいました。
それでも、やはり、
背中からでも分かる、辛そうな母の姿に、
「早く帰りたくなったら、連れて帰るから言ってね」
と声を掛け、
やはり何の反応も返そうとしない、
母の背中をしばらく見つめた後、
そっと、その部屋を出て、
手持ち無沙汰だった私は、
会食の片付けを始めていた従姉妹の、
手伝いをすることにしました。
片付けを手伝う私に、従姉妹は、
「ごめんねぇ」
と言ってくれましたが、
「いえ、やることがあった方がいいので」
と私が素直に答えると、
「確かに」
と言って笑ってくれました。
それから、私と従姉妹は、
片付けをしながら色々な話をしました。
お盆の行事の話になり、
この後、お墓に行くから忙しいんじゃないかと、
従姉妹が聞いてきたため、
兄に頼んだことを伝えると、
「(兄の名前)君は分からないんじゃないの?」
と心配してきたので、
「母も高齢で、去年入院したりしてるので、
兄も長男だから仏壇を引き継ぐと言ってるし、
そろそろ覚えてもらわないと」
と私が答えると、
「そうよ!やらせなさい、やらせなさい!!」
と言ってくれて、
私は久しぶりに聞くことのできた、
自分の気持ちを肯定してくれる言葉に、
とても嬉しい気持ちになりました。
でも、私が感じた、この嬉しい気持ちは、
この後の従姉妹の発言で、
一気に消滅してしまうこととなりました。
「あれ?じゅんちゃん、お母さん達、帰ってるよ?」
従姉妹の言葉に玄関を振り向くと、
そこには誰の姿もなく、
そんな私の様子を見た他の親戚達が、
「さっき3人で出て行ったから、もういないよ」
と教えてくれました。
こういう親戚の集まりでは、
大体家族単位で動くのが普通なため、
家族の中で1人、
帰ることを告げられることもなく、
帰ったことさえ知らなかった私に向けられる、
親戚達の不思議なような、
憐れむような視線に耐えられなかった私は、
「あぁ、別々な車で来ましたからね!」
と、
その状況の説明になるようでいて、
その実、
なんの説明にもなっていない言葉を発すると、
まるで何も気にしていない風を装い、
片付けを最後まで手伝いました。
でも、心の中では、
周囲の親戚達から向けられた視線が、
母の面会に行った時に、
母から、
「何だ、お前だけか」
と言われた時に一緒に面会室にいた、
看護師から向けられた視線と同質の、
憐れみのようなものに感じられて、
腰が痛い母を気遣い、
「連れて帰ろうか?」
と声を掛けていた自分に対して、
無言で帰っていった母の行動が本当に惨めで、
いたたまれない気持ちでいっぱいでした。
片付けが終わって従姉妹の家を出る時、
私はそのまま自分のアパートに戻るか悩みました。
私は何で母達が、
何も告げずに私だけ従姉妹の家に置いて行ったのか、
確認したい気持ちがありました。
(母の腰が痛いから急いで帰ったために、
片付けを手伝っていた私に声を掛ける余裕が、
無かったのかもしれない)
でも、何で私を1人残して帰ってしまったのかを、
確認するために、
母の家を訪ねるのは、
自分があまりに惨めだったため、
私は何とか、
母の家に向かう違う理由を考えだしました。
(そうだ、兄の息子が、
4月に中学生になったと言ってたから、
その子にお祝いを渡しに来たことにしよう)
実はもう、
お正月にお年玉と一緒に、
入学祝いを渡していたような気がしたのですが、
もうそこは気にしないことにして、
私はわざわざ、
母の家に向かう途中にあるコンビニで、
ご祝儀袋を購入して、
兄の息子へのお祝いを用意し、
母の家に行きました。
母の家に近づいていくと、
庭に停めてある兄の車と、
そして、
玄関脇に"立って"タバコをふかしている母の姿が、
目に入ってきました。
母が本当に腰が痛い時には、
座っている事も立っている事も出来ず、
ただ寝そべる事しか出来ないことを、
知っていた私には。
母の腰が痛いから急いで帰ったのかもしれない、
などという私の考えが間違いだったことが、
その姿から分かりました。
母達が先に帰ったと親戚達に教えてもらってから、
片付けを終えて私が従姉妹の家を出るまで、
そんなに長い時間がかかった訳では、
ありませんでしたが、
玄関脇にいた母はすでに喪服を脱ぎ、
寛いだ格好になっていました。
母の家の庭に車で乗り込んできた私をみて、
「何だ?」
と言ってきた母の顔をまともに見ることなく、
「(兄の息子の名前)君に中学の入学祝い持ってきた」
と言いながら、
私は走って母の家に駆け込んで、
母と同じでラフな格好に着替えて、
居間でゲームをしていた、
もう何年も会っていない兄の息子に、
「おばちゃん、分かる?
中学生になったんだってね、おめでとう」
と話しかけると、
半ば押し付けるように、
ついさっき用意したご祝儀袋を渡しました。
兄の息子は、お礼を言いながらも、
「あ、お金をもらった時は、
お父さんに渡さないといけないんで」
と言って、
奥の部屋で喪服を脱いで寝転んでいる姿が、
足先だけ見えている兄に、
私が渡したご祝儀袋を持って行きました。
兄は起き上がることもなく、
奥の部屋から、
「おーありがとー」
と私に声を掛けてきました。
私はそんな兄の言葉に適当に返事をすると、
まるでこの後、
何か用事でもあるかのように、
素早く母の家を出て、
まだ、玄関脇でタバコを吸っていた母に、
「じゃあね」
と声を掛けて車に乗り込み、
勢いよくアクセルを踏むと、
母の家の庭から逃げるように出て行きました。
私は私を従姉妹の家に1人置いていった母の行動が、
私が何か、自分で気付かないうちに、
母の機嫌を損ねたことに対する、
何らかの報復かもしれないと考えた自分が、
恥ずかしくて堪りませんでした。
だって、私は、
母達を追いかけて、
私が母の家を訪ねた時の、
母や兄達の態度で気付いてしまったのです。
母達が私に声を掛けもせずに、
私を従姉妹の家に1人置いて、
先に帰ってしまったのは。
理由など何もないほど、
私の存在が眼中に無かったから
なのだ、ということに。
そのことを、知ってしまったら。
私は1分1秒でも早く、
母の家を後にすることでしか、
自分の自尊心を守れなかったのでした…
世界から孤立していた私の話18〜母は気付かない、私の態度の変化に続きます。