(前回からの続きになります)
「実家で私は搾取子だった」
そのことに気付いた私は、
父に先立たれ、
一人暮らしになった母を、
自分から気遣うことをやめ、
母が何か言ってきた場合のみ手をかそうと、
思っていましたが、
そうやって、
一生懸命に取っていた母との距離は、
2022年5月末に受けた従姉妹からの電話により、
一挙に埋められることになってしまいました。
なぜなら一人暮らしをしている母が、
脳梗塞で病院に運ばれたと、
従姉妹が教えてくれたからでした。
従姉妹は今、
病院には母の家の近くに住んでいる叔父さんが、
付き添ってくれているということと、
母が運ばれた病院の名前を教えてくれました。
今は距離を取ろうとしているけれど、
幼い頃には大好きだった母。
その母が病院に運ばれたという知らせに、
私は平静ではいられませんでした。
すぐに病院に駆けつけたいと思ったのですが、
その時の時刻は午前9時半。
その当時、私は、
係長という役職に就いていて、
その時刻は1番仕事が忙しい時間帯で、
仕事の引き継ぎをしてからでないと、
職場を早退することが出来なかったため、
急いで諸々の仕事を済ませ、
職場から車で1時間ほどかかる、
母が入院する病院に駆けつけた時には、
12時5分前という時間になっていました。
慌てて病院に駆け込んだ私が、
待合室に座っていた叔父さんを見つけて、
お礼を言うと、
すぐに母のたった1人駆けつけた家族ということで、
母を診察した医師から呼ばれ、
母の現在の病状と、
今後の母に対する治療方針の説明を受け、
その方針に同意するかの即断を迫られた後、
今日の17時までに入院に必要な物品を揃えて、
入院の手続きを済ませてください、
と言われました。
病院の職員から、
入院についての説明を受け終わった時には、
もう13時を30分ほど回っていたため、
車で3時間程度の距離に住んでいる兄も、
そろそろ病院に着いていい時間帯でしたが、
待合室に兄の姿はありませんでした。
(兄はいったい何をしているんだろう…)
もどかしく思っている私の、
そんな様子に気付いたのでしょう、
私が母の入院手続きの説明を受け終わるまで、
待合室で待っていてくれていた叔父さんが、
「(兄の名前)には知らせてないから」
と私に言ってきて、
私は内心、とても驚きました。
なぜなら、母の病気は脳梗塞。
障害が残るかもしれない大病であり、
ちょうどコロナ禍の最中で、
家族といえども、
入院患者と面会出来ない時期でもありました。
予後によっては母と話が出来る、
最後の機会かもしれなかったのです。
仕事を終わらさないと職場を早退出来なかった私は、
各種検査を終えて、
看護師に車椅子を押されながら、
病床に連れていかれる母の後ろ姿を、
かろうじて見送ることが出来る時間にしか、
病院に駆けつけることが出来なかったのですが。
(そのため、母と話は出来ていませんでした)
叔父さんや従姉妹が。
子供の頃と同じように、
まず長男だからという理由で兄を優先して、
母の入院の連絡を、
兄にしてくれていたら。
私は全く気付いていなかったのですが、
従姉妹が私の携帯に、
1番最初の連絡ををしてきてくれたのは、
朝の8時過ぎだったため、
病院から車で3時間の距離に住んでいる兄は、
私より先の11時頃に病院に到着し、
検査中の母と、
会話出来ていた可能性がありました。
そうしたら、
母の後ろ姿しか見ることが出来なかった私と違い、
母がちゃんと話せるのかどうか、
不安に思うこともなかったでしょう。
そして、
母の今後の治療方針について決定するという、
重い決断を私1人が、
しなければならない事態には、
なっていなかったはずでした。
母から
「具合が悪いから病院に連れて行って欲しい」
と頼まれた叔父さんが、
母の家の近くのかかりつけ医ではなく、
遠くの総合病院まで連れて行ったのは、
叔父さんが以前見た脳梗塞の人と、
症状が似ていたからだと、
私は叔父さん本人の口から聞かされていました。
そして、私の職場に連絡してきた従姉妹も、
叔父さんから母が脳梗塞だと聞いて知っていました。
そして。
私はこの年の3月に、
以前働いていた営業所から、
今の支社に転勤になっていたのですが、
従姉妹には知らせていなかったため、
母を病院に連れて行くと、
叔父さんから連絡を受けた従姉妹は。
叔父さんは私の携帯番号も兄の携帯番号も把握していましたが、遠くに住んでいると考えたからか私達兄妹には一切連絡せず、、母の家の近くに住んでいる従姉妹にのみ、母を病院に連れて行く連絡を行っていました。
私の携帯に連絡しても私が出なかったため、
朝の9時くらいに、
私が以前働いていた営業所に、
電話していました。
(朝の8時から10時までの間は多忙のため、
携帯を確認する余裕など私にはありませんでした。)
従姉妹は兄の携帯番号を知らなかったと思うのですが、
私の以前の職場に電話して、
私の従姉妹だから転勤先を教えて欲しいと伝えて、
その言葉を怪しんだ私の後任者から、
「個人情報なのでお教えすることは出来ません」
と断られるくらいなら、
叔父さんに私に電話が繋がらないと連絡して、
叔父さんから兄に連絡してもらった方が、
よっぽど確実で、
早かったはずでした。
結局、私の後任者から私に対し、「従姉妹と名乗る方から怪しい電話があったんですけど」と会社の電話で私に連絡があり、その連絡で携帯を確認した私が従姉妹からの着信に気付き、従姉妹に折り返し電話をしたことで、ようやく母が病院に運ばれたことが私に伝わったのでした。
そのため、
「(兄の名前)には知らせてないから」
という叔父さんの言葉に対し、
私の頭の中には、
非難を含む色々な言葉が浮かびましたが、
善意で母を病院に連れてきてくれて、
朝から5時間以上、
母の病院に付き合ってくれている叔父さんに、
その言葉を伝えるのは、
それこそ八つ当たりだと考えて、
私はグッと自分の感情を飲み込むと、
「分かりました、ありがとうございます」
と答えました。
叔父さんは私のそんな心の中の葛藤には、
全く気付いていないらしく、
私に、
「自分に何か手伝えることはないか」
と、聞いてきました。
私が、
「後は母の入院の手続きだけなので、1人で大丈夫です」
と答えると叔父さんは、
「何かあったらいつでも連絡するんだぞ」
という言葉と、
母の入院に際してのアドバイスを幾つか残して、
家に帰っていきました。
私はそんな叔父さんを病院の玄関で見送ると、
大急ぎで自分の車に乗り込みました。
時刻はすでに14時前。
病院から示された入院手続きの締め切り時間には、
あと3時間しか残されていません。
しかも、
病院から入院に際し持ってくるように言われた、
限度額適用認定証は、
市役所で発行してもらわなければならないのですが、
母が入院する病院から市役所までは、
片道1時間ほど離れていました。
さらに、
病院から示された入院に必要な物として、
タオル7枚、バスタオル3枚、
肌着4枚、パジャマ2枚、
歯ブラシ、コップetcに、
全てマジックで名前を書いたおくことといった、
事細かな規定がされていたのですが、
それらを買うにしても、
母の家から持ってくるにしても、
市役所への往復で2時間かかると考えると、
ほとんど時間は残されていませんでした。
私は喉が渇いていたものの、
自動販売機で飲み物を購入する時間も惜しく、
急いで市役所に向かいました。
幸い、
市役所での手続きはスムーズに行うことができ、
私は市役所に置いてある自動販売機で、
ようやく飲み物を買い、
喉を潤すことが出来ました。
その後、母の家に行き、
どこに何があるのかよく分からないながらも、
干してあった洗濯物や整理ダンスの中から、
病院から指定された衣類を見つけ出し、
大慌てで名前を書いて、
病院に戻った時には、
17時3分前となっていました。
必死の形相で駆け込んできた私に、
病院の受付窓口の方が何事かと話しかけてきて、
私が母の入院に必要な道具と、
限度額適用認定証を持ってきたことを伝えると、
母の担当の看護士さんに連絡を取ってくれ、
色々と確認をしてもらったら、
18時を過ぎてしまっていました。
「遅くなって、時間外になってしまい、申し訳ありません」
これから母がお世話になるのに、
初日から、
言われたこともキチンと出来ない家庭だと思われて、
母が病院で肩身の狭い思いをするのではないかと、
怯えていた私が、
看護士の方に深々と頭を下げると、
看護士の方は優しく、
「いいえ、大丈夫ですよ」
と笑ってくれました。
入院に必要な荷物の確認が終わり、
私が病院を後にした時には、
18時30分を過ぎていました。
朝の従姉妹の連絡から9時間が経過しており、
朝ごはんを食べない私は、
この9時間の間、
私が摂取した飲食物は、
お茶のペットボトル1本となっていました。
空腹でフラフラしていた私は、
本当にお腹を抱えながら、
病院の近くの食堂に飛び込みました。
食堂の椅子に座って注文し、
出されたお冷を飲むと、
ようやく私は人心地着くことが出来ました。
そして、兄に連絡しなければ、と考えました。
平日の18時30分過ぎという時間は、
会社員なら忙しい時間帯かもしれないと考えたことと、
疲労と空腹で上手く頭が働かなかったこと、
この文面を見たら、
時間がある時に詳細を聞いてくるだろうと思い、
ごく簡単な内容を、
18時52分に、
兄にショートメールで送りました。
(私と兄はお互い電話番号しか知らず、LINEなどでは繋がっていません)
お疲れ様です、じゅんです。
今日、母が入院しました。
今現在の診断では小脳梗塞です。
2〜3ヶ月の入院となります。
母の入院に小脳梗塞という診断、
入院期間が2〜3ヶ月という内容は、
母の今後の生活だけでなく、
母の介護という、
自分達の生活にも大きな影響を与える、
見過ごせない内容だと思ったため、
私は最後の力を振り絞って、
兄にショートメールを送りました。
でも、兄の考えは違ったようでした。
兄からは間髪入れず、すぐに返信がありました。
わかりました。
何かあれば連絡ください。
私はこの返信を見た時に、
身体中の血が逆流するかのような怒りを覚えました。
わかりました?
何かあれば連絡ください?
朝から夕方まで、
ほとんど飲まず食わずで母の入院に対応し、
病院に着いた途端、
母を診察した医師から、
脳梗塞を発症してから時間が経っているため、
血栓溶解療法といった治療は出来ず、
今残っている運動機能を保存・維持していく治療となる
と説明を受け、
小脳という運動機能を司る脳が脳梗塞を起こしたため、
母の運動機能に今後どのような制限がかかるのか、
今後の状況を見なければ判断出来ないと言われ、
母と会話する時間も持てなかったため、
母が話せる状態なのかも分からず、
本人の意思も確認できなきまま、
今後の入院の方針の確認と同意を求められ、
それに家族として同意するといった全責任を負った私の、
何が分かったの?!
何かあれば連絡くださいって、
何かあったから連絡してるんだよね?!
もし、私が逆の立場で、
同じ文面のショートメールを受け取ったなら、
私は母の病状を心配し、
詳しい内容を聞くために、
すぐに兄に電話をしていたでしょう。
私は詳細を電話で聞き返されることが前提で、
敢えて詳細は書かず、
メールを送ったのですから。
間髪入れず、
返信出来るような内容では無かったはずなのです。
(同じ18時52分に返信がきました)

短いショートメールの文面から読み取れる、
母の病状に対する関心の無さと、
私に母の面倒を丸投げする姿勢
こんな人間が。
私が小学生の頃、
同じ小学生でありながら、
「こいつには体で覚えさせないと
口で言っても分からないんだ」
と、ミミズ腫れが起こるまで私をタオルで叩き、
家畜のように私を扱い。
大人になってからは、
1人暮らしの母を気遣うように、
「1人で暮らすのは大変だから、俺のところか、 それが嫌ならじゅんのところで、 一緒に暮らしたら?」
と、
私の意思も確認せずに勝手に、
言っていたのかと思うと。
両親から跡取りだからと大事にされ、
大学まで行かせてもらった人間が、
母から家を出て行く人間と言われて育てられた私に、
母の面倒を丸投げしてきたのかと思うと。
私は、
自分が愛して欲しいと思った相手に、
愛されない悲しみを、
幼い頃からよく知ってしまっているから。
兄に尽くして放り出された母が、
とても可哀想に思えてしまったから。
あんなに一生懸命に母と距離を取ろうとしていたのに。
その後に、母から手酷い裏切りに遭うことも知らずに。
母の面倒は私がみる!!
と決意してしまったのでした…
世界から孤立していた私の話3〜入院した母に対する愛着障害者の献身に続きます。