私の成育歴

マルトリートメントと私59.打ち砕かれた夢

苛つく母親
私がなぜ、自分の生育歴を振り返るようになったのかは、私が自分の成育歴を振り返ることにした理由をご覧ください。
私の成育歴の記事一覧は、愛着障害に関する成育歴にあります。

※自分の記憶に基づいて書いているため、事実と違っている可能性があります。

O先生のお陰で、
勉強する楽しさを取り戻し、

「研究者になりたい」

という未来への夢を、
持つようになった私でしたが、
そんな私の夢は、
すぐに母親の手によって打ち砕かれました。

母親は、
私が研究者になるために、
大学進学を望んでいることを察してか、
まだ進路相談も始まらない時期から、
私に対して事あるごとに、

  • 「お前は女の子だから高校までだよ(大学進学させないよ)」
  • 「お前はいずれ(結婚して)出て行く人間なんだから(学は要らない)」
  • 「女の子はいずれ結婚するんだから、勉強はほどほどに出来ればいいんだよ」
  • 「勉強よりも家のことをしてくれればいいのに!!」

という言葉を言い続けました。

その言葉は全て、
ASD(自閉スペクトラム症)であり、
自分が興味を持ったものへの拘りが強く、
コミュニケーション能力が低い、
私という人間の特性を、
全く無視したものでした。

そして父から性的マルトリートメントを受け、
父の母に対する暴力的な愛情表現を見て育ち、
体が成長することに、
恐怖感を持っていた私にとって、
母の語る、
誰かと私が結婚するという前提の話は、
私を心を暗澹とさせるものでした。

でも、そんな母は、
私の1歳上の兄に対しては、
正反対の言葉を言い続けていました。

「今の時代、男の子は大学まで行っておかないと」

鹿児島の田舎で育った、
私の母や親戚達にとって、
男尊女卑は当たり前で、
女の子は下手に学をつけない方が、
可愛げがあると、
まだ本当に信じていました。

私は自分が社会人になってから、
私の家が貧乏だからと、
女である私の、
高校進学さえ反対した親戚がいた、
と聞かされた時には、
兄との扱いの差に、
心からゾッとしました。

このような環境で、
私の研究者になりたいという夢を、
叶える方法が私には分かりませんでした。

ASDと愛着障害を併せ持ち、
1つの思考に捉われがちな上、
人とのコミュニケーションが上手くない私は、
自分の夢を叶えるために、
誰かに相談するということも、
思いつきませんでした。

私の希望に満ち溢れた心は、
母から浴びせられる言葉達によって、
どんどん萎んでいってしまいました。

そして人の言葉を、
そのまま受け入れてしまう、
ASDの特性のある私は。

繰り返し母親から言われる、

「女の子は勉強はほどほどに出来ればいい」

という言葉をすっかり刷り込まれ、
あんなに楽しかった、
自分が勉強する意味を、
見失ってしまったのでした。

マルトリートメントと私60.すーちゃんの引越しに続きます。