(前回からの続きになります)
私がSのお父様へ、
課長からのパワハラ加害が、
まだ私に対して行われている状況について、
私が密かに伝えた結果、
Sが課長のいる元の部署ではなく、
違う部署への職場復帰を希望したため、
うちの部署の中での対応では済まなくなり、
支社全体として、
Sが復帰する部署と業務について、
話し合うことになりました。
その話し合いでは、
支社長をトップとして、
各部署の課長及び課長補佐が集められたため、
それまで課長から、
Sの休職の対応について外されていた私も、
話し合いに呼ばれることになりました。
私の会社では、
元々、
パワハラ事案が支社で発生した場合、
支社長自らが、
対応することになっていたため。
私は心の中で、
それまでSの休職に関する対応を、
課長に一任していた支社長が、
ようやく、
自分で指揮をとって、
課長が起こしたパワハラ事案に対応してくれるのなら、
私も課長からパワハラを受けていることを、
パワハラ相談員には伝えているから、
きっと、支社長は、
私が課長が着任してから4ヵ月に渡って耐えてきた、
現在も課長から私に対して行われている、
パワハラ被害についても対応してくれるだろうと、
そのような希望を抱いて、
話し合いに参加しました。
だから、その話し合いの席で、
開口一番に支社長から、
「Sが元の部署に戻りたく無いと言っている。
課長と鹿島課長補佐(私)は、
支社に掲示しているパワハラガイドラインを確認して、
自分の言動を猛省するように」
と咎めるような口調で、
自分の顔を睨め付けて言われた時には、
私は一瞬、
は??
としか思う事が出来ず、
支社長が何を言っているか理解出来ませんでした。
なぜなら、支社長のこの言い方では、
課長と私が、
Sにパワハラ加害を行っていた
としか、受け取れなかったからでした。
Sが別な部署への異動を希望したのは、
私が未だに課長から、
パワハラ被害を受けているからなのに。
現に、復職部署を迷っていたSが、別な部署での復職を希望したのは、私が未だに課長からパワハラを受けていると、Sのお父様に私が連絡した次の日のことでした。
私は自分の予想とは大きくかけ離れた、
支社長のあまりの言葉に、
ショックで頭の中が真っ白になり、
支社長に対して反論の言葉を口にすることが、
出来ませんでした。
支社長が私をパワハラ加害者だと非難したのは、
パワハラ相談員に報告した、
私がSを指導して涙ぐませてしまった件を、
誤解しているのだろうと予測はついたのですが。
パワハラ被害者として話し合いに参加した自分が、
パワハラ加害者だと、
支社でパワハラ事案について、
1番権限のある支社長に誤解された、
その時の私に出来たのは、
突然の支社長の言葉の、
あまりの状況の無理解さに、
反射的に浮かんだ涙が溢れないように堪えることと、
その涙を堪えた目を、
その場に一緒にいたパワハラ相談員に向けることで、
支社長の認識の誤りを訂正して欲しいと、
助けを求めることだけでした。
けれど、言葉を発することも出来ない私の、
そんな必死の訴えに、
私と2人間を挟んで座っていた、
パワハラ相談員が気付くことはなく、
そして、
同じくその場にいた課長補佐Bも、
Sがパワハラを受けていたのは課長からのみであり、
Sと私が
課長からパワハラを受けており、
私が日常的に課長に怒鳴られている状況を、
知っていながら、
一言も発することは無く。
さらに他にも、その場にいた数人は、
私が課長から、
パワハラ被害を受けていることは知ってはいても、
私がSにパワハラ加害を行ったところを、
見た事がある人は1人も居ないにも関わらず、
誰一人、
支社長の言葉に異を唱える人はいませんでした。
その様子を見て、
ここに私の味方はいない
そう感じた私が取れた行動は、
涙が溢れないように、
その話し合いの場に座っているのが精一杯で、
話し合いという名の、
支社長による課長と私へ向けての、
一方的な断罪が終わると、
私は逃げるように女性用トイレに駆け込み、
誰も居ない手洗い場に座り込むと、
それまで我慢し続けた思いを吐き出すように、
うわぁぁぁっ!!
と、
誰に求めていいか分からない救いを求めて、
子供の様に大きな声で、
泣き続けたのでした…

世界から孤立していた私の話25〜うつ病と診断された私の休職期間に続きます。