回想録

世界から孤立していた私の話24〜いつの間にかパワハラ被害者から加害者へ変わっていた私

前回からの続きになります)

私がSのお父様へ、
課長からのパワハラ加害が、
まだ私に対して行われている状況について、
私が密かに伝えた結果、
Sが課長のいる元の部署ではなく、
違う部署への職場復帰を希望したため、
うちの部署の中での対応では済まなくなり、
支社全体として、
Sが復帰する部署と業務について、
話し合うことになりました。

その話し合いでは、
支社長をトップとして、
各部署の課長及び課長補佐が集められたため、
それまで課長から、
Sの休職の対応について外されていた私も、
話し合いに呼ばれることになりました。

私の会社では、
元々、
パワハラ事案が支社で発生した場合、
支社長自らが、
対応することになっていたため。

私は心の中で、
それまでSの休職に関する対応を、
課長に一任していた支社長が、
ようやく、
自分で指揮をとって、
課長が起こしたパワハラ事案に対応してくれるのなら、
私も課長からパワハラを受けていることを、
パワハラ相談員には伝えているから、
きっと、支社長は、
私が課長が着任してから4ヵ月に渡って耐えてきた、
現在も課長から私に対して行われている、
パワハラ被害についても対応してくれるだろうと、
そのような希望を抱いて、
話し合いに参加しました。

だから、その話し合いの席で、
開口一番に支社長から、

「Sが元の部署に戻りたく無いと言っている。
課長と鹿島課長補佐(私)は、
支社に掲示しているパワハラガイドラインを確認して、
自分の言動を猛省するように」

と咎めるような口調で、
自分の顔を睨め付けて言われた時には、
私は一瞬、

は??

としか思う事が出来ず、
支社長が何を言っているか理解出来ませんでした。

なぜなら、支社長のこの言い方では、

課長と私が、
Sにパワハラ加害を行っていた

としか、受け取れなかったからでした。

Sが別な部署への異動を希望したのは、
私が未だに課長から、
パワハラ被害を受けているからなのに。

現に、復職部署を迷っていたSが、別な部署での復職を希望したのは、私が未だに課長からパワハラを受けていると、Sのお父様に私が連絡した次の日のことでした。

私は自分の予想とは大きくかけ離れた、
支社長のあまりの言葉に、
ショックで頭の中が真っ白になり、

支社長に対して反論の言葉を口にすることが、
出来ませんでした。

支社長が私をパワハラ加害者だと非難したのは、
パワハラ相談員に報告した、
私がSを指導して涙ぐませてしまった件を、
誤解しているのだろうと予測はついたのですが。

パワハラ被害者として話し合いに参加した自分が、
パワハラ加害者だと、
支社でパワハラ事案について、
1番権限のある支社長に誤解された、
その時の私に出来たのは、
突然の支社長の言葉の、
あまりの状況の無理解さに、
反射的に浮かんだ涙が溢れないように堪えることと、
その涙を堪えた目を、
その場に一緒にいたパワハラ相談員に向けることで、
支社長の認識の誤りを訂正して欲しいと、
助けを求めることだけでした。

けれど、言葉を発することも出来ない私の、
そんな必死の訴えに、
私と2人間を挟んで座っていた、
パワハラ相談員が気付くことはなく、
そして、
同じくその場にいた課長補佐Bも、
Sがパワハラを受けていたのは課長からのみであり、

Sと私が

課長からパワハラを受けており、
私が日常的に課長に怒鳴られている状況を、
知っていながら、
一言も発することは無く。

さらに他にも、その場にいた数人は、
私が課長から、
パワハラ被害を受けていることは知ってはいても、
私がSにパワハラ加害を行ったところを、
見た事がある人は1人も居ないにも関わらず、
誰一人、
支社長の言葉に異を唱える人はいませんでした。

その様子を見て、

ここに私の味方はいない

そう感じた私が取れた行動は、
涙が溢れないように、
その話し合いの場に座っているのが精一杯で、
話し合いという名の、
支社長による課長と私へ向けての、
一方的な断罪が終わると、
私は逃げるように女性用トイレに駆け込み、
誰も居ない手洗い場に座り込むと、
それまで我慢し続けた思いを吐き出すように、

うわぁぁぁっ!!

と、
誰に求めていいか分からない救いを求めて、
子供の様に大きな声で、
泣き続けたのでした…

世界から孤立していた私の話25〜うつ病と診断された私の休職期間に続きます。