(前回からの続きになります)
職場での私の扱いも酷いものでしたが、
実家での私の扱いも酷いものでした。
母の入院に1人で対応していた私に対する、
母の私への扱いのぞんざいさに加えて、
伯父さんの新盆法要で、
母が兄と一緒に私に対して取った態度で、
私は、
母に対して自分から連絡を取らない、
自分から母の面倒をみない
という決意を固めたのですが、
それは私の心の中で固めたものであり、
高齢で体が弱っている母に、
敢えてその思いをぶつける程には、
私は非情な人間ではありませんでした。
そのため。
私をぞんざいに扱っていることにさえ気付かない、
私に対して興味関心が無い母は、
私が母に対し、このような決意を固め、
距離を取っていることにさえ、
全く気が付いてはいませんでした。
それゆえ、
娘がおばあちゃん孝行で、
孫を連れて母の家に泊まりがけで遊びに来る際、
私も母の家に来て、
自分の子供達と一緒に遊んで欲しいと、
娘に請われたために、
私も母の家を訪れることになった時に。
孫達と夜遅くまで遊んだ後に、
自分の家に帰るのは大変だろうから、
母の家に私も泊まったらどうかと、
実に無邪気に、そして親切に、
私に対して母が提案してくることがありました。
私も一緒に母の家に泊まって欲しいと、
せがむ孫のために、
私も母の提案を受けて、
一度は母の家に泊まったことがありましたが、
そのことで母が、
私を思い遣っているといった発言をしたことを、
不快に感じた私は、
それ以降、
孫達と遊ぶために母の家を訪れることはあっても、
母の家に泊まることは、
どんなに孫達にせがまれても、
二度とありませんでした。
私が母からどんな扱いを受けたか、
聞いていた娘は、
私の気持ちを尊重してくれて、
自分の母親が、
自分の祖母と距離を取っている間に挟まれる孫という、
難しい立場でありながら、
そのあまり物事を気にしない性格を発揮して、
母と祖母のどちらかに加担することなく、
どちらにも等しく甘えるという、
私には到底持ち得ない才能を発揮していました。
人に頼ることが苦手な愛着障害者の私にとって、娘のこの才能は、嫌味でなく本当に羨ましい能力でした。
2024年8月に娘がお盆の帰省で、
母の家を訪れた際も、
私は娘経由で、
私が娘達家族の帰省に合わせて母の家を訪れることを、
母に伝えてもらい、
片道1時間以上かかる距離を、
娘達家族が母の家に泊まる2泊3日の間、
通い続けて孫達と遊ぶという行動をとっていました。
けれど50歳を過ぎた身体で、
孫達と日中、外でいっぱい遊んだ後、
夜8時頃に母の家を出て、
片道1時間以上かけて自分のアパートに帰り、
次の日の朝はまた、
片道1時間以上かけて、
朝の10時には母の家に着き、
また孫達と日中遊んで帰るという生活を続けることは、
さすがにキツく、
3日目の朝に母の家を訪れた時の私は、
傍目から見ても、
疲労が溜まっているようでした。
そのため私が、
今日、娘達家族が自宅に帰ってしまうからと、
娘から事前に、
今回の帰省時に見て欲しいと頼まれていた、
以前、私が娘にあげたパソコンの、
OSアップデートの不具合の確認を行おうとした際、
娘から、
「お母さん、急いでないから無理しなくていいよ」
と気遣われてしまいました。
そんな自分への気遣いが嬉しかった私は、
かえって、
娘の役に立ちたいと思ってしまい、
それから娘達家族の帰宅時間ギリギリまで、
OSアップデートの不具合を、
何とか解消しようとするものの上手くいかず、
とうとう娘達家族が帰宅する、
タイムリミットがきてしまいました。
その時は、
アップデートのためのデータを、
ダウンロードしている最中で、
電波が途切れてしまったら、
また1からやり直さなくてはならなくなるため、
娘から、
「持って帰ってもどうせ使えないから、
お母さんにこのまま預けておくね」
と言われた私は、
本当は娘達家族が母の家を離れるのなら、
自分を蔑ろにする母と、
2人きりになるのは嫌だから、
自分も一緒に母の家を離れてしまいたかったけれど、
娘の役にも立ちたかった私は、
データをダウンロードしている今は、
母の家を離れることは出来ないからと、
私と2人きりになった時に母が私に対して行う、
私に対する無神経な発言が、
また繰り返されるのではないかとの不安を抱えながら、
泣く泣く、
母の家から帰宅する娘達家族を見送りました。
データのダウンロードが途中のまま、娘達と一緒に母の家を出た場合、車の中で、自分のスマホでテザリングしながらデータのダウンロードを行うことになるのですが、田舎で、帰宅途中の山の中で電波が途切れる場所があったため帰れませんでした。

そんな、
私の思いを知らない母は、
早くダウンロードを終わらせて、
母の家を離れようとしている私に、
「明日はお前は仕事があるのか?」
と聞いてきて、
私が、
「仕事は明日まで休み」
と答えると、
それから何度も、
「もう遅いし、外も暗くて運転が大変だから、
泊まっていったらいいじゃない」
と私に言ってきました。
私の顔が娘に気遣われるくらい疲れていたこと、
以前、まだ母と会話をしていた頃に、
母が夜、運転しなければいけないことがあったけれど、
よく見えなくて怖かったと、
私に話したときに、
「分かるよ、夜、暗い時間の運転は怖いよね」
と、私が同調したこともあったことから、
その言葉が、
母の私への気遣いなのは分かっていたため、
最初は、
「ううん、帰るよ」
と淡々と話していた私でしたが、
あまりに何度も、
私を気遣うような態度で、
母の家への宿泊を提案してくる母の姿に、
私は自分の心の中で、
苛立ちが高まってくるのを感じていました。
こんな言葉1つで済む、
気遣いではなくて、
もっと他の時に、
気遣って欲しかった!!
母の家に宿泊する時、私は自分で布団の用意や片付けを行うだけでなく、夕食や朝食も自分で用意し、母の分の片付けも行うため、私が母の家に宿泊する際に母が行うのは【私への宿泊の許可】のみとなります。
そんな思いを抱えながら、
黙々とパソコン作業を行っていた私でしたが、
何度目かの母の宿泊提案の時、
とうとう私は、
母へ募っていた苛立ちが、
抑えきれなくなってしまいました。
「私はこの家に泊まらないと決めてるの!」
そんな私の言葉に、
訳が分からないと言った顔を母から向けられた私は、
それまでずっと黙っていた、
自分の思いを母にぶつけました。
「お母さんは私への態度が酷すぎる!!」
ずっとずっと心の中に秘めていた、
この言葉を口にした時、
私の目からは、
自然と涙が流れていました。
「お母さんは私が入院の面会に行ったときも、
私1人だったのを見たら、
"なんだ、お前だけか"と言ったし、
伯父さんの初盆の時には、
具合の悪そうなお母さんを、
家に連れて帰ろうかと気遣った私の手を振り払って、
私には何も言わずにお兄さんと家に帰った!
私はお母さんが帰ったのを、
従姉妹のお姉さんに教えられて知ったんだよ!!」
激しい剣幕で放たれた私の言葉を聞き終えた母は、
静かな声で、
こう、私に言いました。
「そうか、お母さんはお前にそんなことをしたのか」
あんなに私を傷つけた言動を、
覚えていないように言ってきた母に対して、
私は自分の被害妄想だと思われるのが嫌で、
更にこのように、母に言い募りました。
「信じられないなら、
従姉妹のお姉さんに確認したらいいよ」
その私の言葉に、
母が反論してくることはなく、
世間話でもしているような口調で、
私にこう返してきました。
「そんなことをされたら、お母さんでも嫌だわ」
母からまるで人事のように、
その言葉を言われた時に、
私は何だか毒気を抜かれた気持ちになると同時に、
自分に母がとった言動は、
母本人からしても真っ当に批判されるものなのだと、
母から母を嫌うお墨付きをもらったようで、
私は母を嫌ってもいいんだ
と、心のどこかで安堵を覚え。
子供の頃からずっと感じていた、
兄だけが、
家族の中で大切にされていたことに対する、
寂しさにリンクした、
どんなに母の面倒を一生懸命に見ていても、
兄がいたら、
自分が伸ばした手は簡単に切り捨てられる状況が、
大人になってからも繰り返される現実に、
疲れ果てた私は、
「お兄さんがいたら私は要らないのなら、
今後は何かあった時には、
お兄さんに面倒を見てもらってね」
と、
母に宣言したのでした。
この出来事の後、母が自分の言動を覚えていないような発言をしたことを思い返し、
「もしかして私が母から距離をとる原因となった2つの私への非情な言動は、母の高齢に伴う痴呆や脳梗塞の後遺症によるものではないか?」
などと考え、母を心配する気持ちが芽生えたのですが、それでは今までの自分と何も変わらないと思い直し、
「母が私を蔑ろにしていたのは、これより前、子供の頃からだったでしょう?」
と自分で書いた"マルトリートメントと私"のブログ記事を読み返し、
改めて今後、母と自分から関わりに行かないことを、自分の中でもう一度、決心し直したのでした。
世界から孤立していた私の話28〜支社で踏み躙られ続けた私の尊厳に続きます。