うつ病生活

世界から孤立していた私の話29〜ようやく始まった九州支社のパワハラ調査

前回からの続きになります)

九州支社のパワハラ相談員の調査が、
私の目に見える形で始まったのは、
産業カウンセラーの部屋で泣きながら、
支社長から決め付けられた、
Sへのパワハラ加害者という冤罪を訴えてから、
2ヶ月以上が経過した、
10月初めのことでした。

なぜ"目に見える形で始まった"という、
表現を使ったかというと、
ある日突然、
人事部長自ら私に対して、

「九州支社の人との面談を、
10月◯日◯時から受けて欲しいのですが、
仕事の都合は大丈夫でしょうか?」

と、調整があったのですが、
後から漏れ聞こえた内容によると、
この面談の対象者は数十人おり、
その人数の業務スケジュールを把握して、
面談日を決めることは、
事前調査を行わなければ出来なかったからでした。

その面談を行う理由は何なのか、
面談の対象者は誰なのか、
日程調整の段階では、
内容は一切知らされなかったため、
九州支社のパワハラ調査を心待ちにしていた私は、
何の面談か予想はついたものの、
私以外の社員達は、
突然、九州支社との面談調整を受けたことに、
思い当たる節が無いといった面持ちで、
事務所のあちこちで、

「何でこんな面談が行われるのか?」

憶測を行っている会話が漏れ聞こえ、
課長が行っていたパワハラの件かもしれないと、
考えついた社員も中にはいたものの、
Sはその時はすでに、
違う部署で順調に勤務しており、
そして、面談の調整を受けた時期の課長は、
私が精神科に定期通院していることで、
私に対してのパワハラ加害を控えていたことと、
私が精神科に通院していることは、
私が所属する部署の中で、
課長しか知らなかったことから、

「今は問題ないから、今更だよなぁ」

と考えてしまうようでした。

私は、そんな彼らの様子を横目に見ながら、

Sと私が課長からパワハラを受け、
私が課長と一緒くたに、
Sへのパワハラ加害者として、
支社長から非難され、
社内で行動規制を受けている現状は、
彼らにとって、
「もう解決した過去の問題」
として認識されているのだと思うと、
空恐ろしくなりました。

それは取りも直さず、
私が、Sへのパワハラ加害を行ったという、
支社での認識が、
定着していたことと同義だったからでした。

そんな環境が、
私が仕事で社内の誰かと関わるたびに、

この人は今、私と笑顔で話してくれているけれど、
私をSへのパワハラ加害者だと思っているかもしれない。

という気持ちを抱かせ、
支社の中で、
何も気にしていない風に振る舞っているものの、
ダメージは確実に私の心に蓄積され、
私の心が日々蝕まれていっていることは、
誰も思い至らないようでした。

九州支社のパワハラ相談員が設けた面談日は、
1日のみで、
1人15分程度しか時間が設定されていなかったため、
私はその短い時間の間に、
伝え損ねることがあってはいけないと、
私は事前に自分が受けたパワハラの内容や、
Sを指導した時の状況、
Sのお父様とのやり取りや、
Sが違う部署での復職を希望した後の、
私への支社長の言葉など、
メモにまとめて証拠を添付し、
面談に臨みました。

せっかく得た、
自分の冤罪を晴らす機会を活かせるように、
感情を交えずに事実だけを伝えるように努めよう

そう考えて、
面談会場である会議室のドアをノックし、
入室を許可する返事があった後、
礼儀正しく一礼して部屋に入り、
眼前に座ったパワハラ相談員3名の前に、
机を間に挟んで、
ちょこんと1つ設置されている椅子に、
座るように促され、
着席するまでは、
冷静でいられたのですが。

椅子の正面に座った、
おそらく1番上の役職に就いていであろう、
相談員の方から、

「お待たせしました」

と声を掛けられた時、
産業カウンセラーの部屋で、
九州支社へ電話で相談をしてからずっと、
周りにいる人間は敵かもしれないと、
支社に居る間は終始張り巡らしていた緊張の糸が、
プツと切れるように感じたと同時に、
私の涙腺は崩壊し、
私は結局、
自分の涙と嗚咽を堪えることが出来ず、
面談予定時間を遥かにオーバーした、
1時間という時間をかけて、
泣きながら、
新しい課長が着任してきてから起こった出来事を、
九州支社のパワハラ相談員伝えたのでした。

世界から孤立していた私の話30〜パワハラ調査の過程で知った、人の悪意と搾取の現実に続きます。