心的外傷/トラウマ

40年後に分かった父の嘘

mother&baby

母との電話で分かった真実

赤ちゃんとお母さん
それは2018年12月21日の夜に、
鹿児島に一人で住んでいる母と、
電話で話していた時のことでした。

私の家に孫と里帰りしていた娘が、
色んな事情が重なって、
生んでから19日で自分の家に戻った話をしたら、
母がとても心配して言いました。

「そんなに早く自分の家に戻って大丈夫なの?
おばあちゃん(母のこと)は出産の時に無理をして、
大変なことになったのよ」

その言葉を聞いて、私は答えました。

「うん、知ってるよ。
私を産んだ時に出血が酷くて死にかけたんでしょう?
お父さんが自分の血の半分を母さんに輸血して命を助けて、
自分も命が危なかったって、
小さい頃に何度もお父さんに聞かされたから」

私は敢えて、
この言葉を言う時に、
父が必ず枕詞のように付けていた、
ある言葉を外して言いました。

本当は、
私が父からこの話を聞かされる時にはいつも、

「お前のせいで母さんは死にかけたんだ」

という言葉で、
この話は始まっていました。

そしてこの話の最後は、

「母さんの体が弱いのはお前を産んだからだ」

という言葉で、締めくくられていました。

小学校に上がる前の幼い頃から、
この話を父に聞かされて育っていた私は、
母の痩せた細い体と、
家事をする時に体が辛そうにする様子を見る度に、
自分を責める気持ちが湧き上がっていたので、
この話を自分から母にすることは、
ありませんでした。

なぜなら、このことは、

「自分が生まれたせいで、
お母さんを死にかけさせて、
体を悪くさせてしまってごめんなさい」

などと口にする事もはばかられるくらい、
幼い頃の私にはとても受け止めきれない、
大きな出来事だったからです。

だから私は、
今までこの事について、
母と話したことは、
ほとんどありませんでした。

娘の出産がなければ、
娘が1ヶ月経つ前に自分の家に戻らなければ、
私はきっと一生、
母とこの話をすることは無かったと思います。

けれど、そんな私に、
母はこんなことを言ってきたのです。

「違うわよ。
お母さんが出血したのは、
産後に退院して3日目のことよ。
お父さんを怖がって、
おばあちゃん(父の母)は、
あまり家にきてくれなくて、
お父さんも誰も家事をしてくれないから、
お母さんが無理をして、
掃除機をかけていたら、
大量に出血してしまったのよ」

※父は子供の頃から聞かん気が強く、
暴れ出したら手がつけられない人間で、
実の母でさえ父の事を怖がっていたそうです。

さらっと言われた母の言葉に、
私は慌てました。

父に聞かされていた話と、
随分違っていたからです。

でも、もうこの時しか無いと、
私は勇気を出して、
自分の心の中でタブーにしていて、
誰にも聞けなかった私の出産時のことを、
母に更に聞いてみました。

「じゃあ、お父さんが、
自分の血を半分お母さんに輸血したっていうのは?」

そんな私の決死の問いに、
母はあっけらかんと答えました。

「それは、お母さんに輸血が必要だったから、
病院からお母さんに輸血してもらった血液分を、
お父さんが献血して返したのよ」

実は私は、
小学校に上がって、
輸血出来る血液型を知ってから、
ずっと、
父の話のおかしな点が気になっていました。

私の家は、
父、母、兄、私の四人家族だったのですが、
全員、血液型が違っているのです。

  • 父がO型
  • 母がAB型
  • 兄がB型
  • 私がA型

というように。

O型は、
どの血液型にも輸血が出来るとは習いましたが、
敢えてAB型の母にO型の父の血液を、
しかも輸血する人間の命を危険にさらす量まで、
病院が輸血するものなのか、
疑問に思っていたのです。

輸血の量に関しては、
成長するにつれ、
父がオーバーに言っているのではないか、
と思っていたのですが、
私自身がその言葉を口に出してしまうことは、
まるで自分が母が体が弱いことに対して、
責任逃れをしているようで、
言えなかったのです。

その、長年の疑問が。

ずっと母に対して抱いていた、
自分が生まれてきたことに対する、
心に重くのしかかっていた罪悪感が。

母の言葉で心から外れて、
体感としてはっきりと、
私の心が、

フッ

と軽くなったのを感じました。

そして、それは。

私が40年という長きに渡りずっと、
父の真実と違う嘘に、
苦しめられてきたという事実が、
判明した瞬間でもあったのです。

父の嘘のために私が支払った代償

時間とお金
自分が生まれたせいで母を死にかけさせ、
体を悪くした、
と感じながら生きるのは、
とても辛いものでした。

幼心に、
自分の存在についての葛藤もありました。

でも、それは全部、
父の嘘だったのです。

そのことを知った私の心が、
軽くなったことは紛れもない事実でしたが、
軽くなったその後に、
私の心が、
どうしようもない虚無感に襲われたのも、
また事実でした。

なぜなら父の嘘によって、
自己否定の塊のように育っていった私は、
生きることが苦痛で苦痛で、
その苦痛から逃れるために、
25年以上もの長い期間と、
高級外車が購入出来るような金額を、
自分の心を救うためのセラピーやカウンセリング、
果ては怪しいスピリチュアルな教えにまで、
つぎ込んでいたからでした。

私の今までの苦しみは、
何だったんだろう…

真実を知った私の目には、
我知らず薄っすらと涙が溜まっていました。

多分、父には、
自分が嘘をついたという自覚も、
私を苦しめたという自覚も、
無かったことでしょう。

大人になった今、
父の性格を分析して考えるなら、
父はいつも、
自分を大きく見せたい欲求があったため、
自分が、
命が危なかった母を助けたのだという英雄譚を、
素直に信じる、
小さな子供に話して聞かせることで、
自己顕示欲を満たしていたのだと思います。

父が私を責める言葉を口にしていたのは、
私の存在を嫌っていたことも、
関係しているのかもしれませんが。

私が生まれた時に女の子だと知った父が、
「女の子なら要らない」と言い捨てたことは、
親戚中が知っている有名な話でした。

でも、そんなことのために。

自分の人生の大半を、
苦しんで生きてきた事実は、
私に新たな絶望を味合わせました。

なぜなら、その事実を知った時、
私はすでに45歳という、
中年と呼ばれる年齢になっていたからです。

父に疎まれ、
母に負い目を感じて生きてきた私は、
自分の人生を、
楽しんではいけないと思っていました。

中学生になった私の前に、
自分のことが好きという男の子が現れた時、

「私のことが好きなんて、
この人はなんて趣味が悪いんだろう」

と、本気で相手を軽蔑していました。

家族から愛されていなかった私は、
人の好意に慣れておらず、
自分が邪険にされることが、
当たり前だったからです。

そんな私の学生時代が、
楽しいものであるはずがありませんでした。

自分と同世代の人達が、
友達や彼氏と、
青春と呼ばれる時期を楽しんでいた時、
私は希死念慮を抱えながら生きていました。

人生の一番楽しい時期を、
私は父の嘘によって無駄にした

私の人生は、
もう下り坂に差し掛かってしまって、
今さらあの時期を生きなおすことは出来ないのに。

父親になる資格もない男のせいで、
私の人生は狂わされた

私は自分が悪くなかったのだという真実を知っても、
父親の嘘で被った被害を、
どう足掻いても取り戻せない自分の人生が、
悔しくて、苦しくて、
ただ哀しみに暮れた涙を、
流すしかなかったのでした。

それでも前を向いて生きられる理由

日差しを浴びる女性
自分を産んだせいで母は死にかけ、
そのせいで体が弱くなったという嘘を、
ずっと父親から信じこまされていた私は、
20歳を超えて働きだし、
金銭的な自由と行動の自由を手に入れてからは、

私はこの世界に存在していてもいい

たったそれだけのことを、
私に信じさせてくれるものを求めて、
25年以上、
色んなセラピーやヒーリングを受けてきました。

スピリチュアル的なもので言えば、
レイキはもちろん、
カラーパンクチャーやクォンタムタッチ、
瞑想から、
オーラヒーリング、リーディング、
エネルギーワークなどなど…

心理学的なものであれば、
ヒプノセラピーやNLP、
交流分析、内観、
来談者中心療法、認知療法や行動療法…

自分に役立つと思ったものであれば、
時間とお金が許す限り、
あらゆるものを受けてきました。

いえ、

「役立つ」

という言葉は、
適切でないかもしれません。

私は苦しくて、
上手くいかない自分の人生から、

「救ってくれる」

ものをずっと探していたのです。

私がそんなに生きるのが苦しかったのは、
やはり子供の頃の生育環境が、
大きく関わっていました。

何しろ、

  1.  女の子なら要らない
  2.  私を産んだせいでお母さんは死にかけた
  3.  私のせいでお母さんは体を悪くした

そんな言葉を、
小学校に上がる前の幼い頃から、
実の父親に言われ続けていたのですから、
健全に成長する方が無理というものです。

セラピーなどを受ける時に、
そんな自分の過去の話をすると、
私の話を聞いたセラピストは大抵、
怒ったり、
悲しんだりしてくれました。

でも私はいつも、
そんなセラピスト達を、
少し覚めた気持ちで見つめていたのです。

なぜなら私は、
そんな感情は20代の時に、
味わい尽くしてしまっていたからです。

確かに私も20代の頃は、
そんな父親や、
そんな父親から、
自分を守ってくれなかった家族に対して、

「恨み」

のような感情を、
持っていたように思います。

でも、
家族を恨んでいた頃の私は、
少しも幸せになれなかったのです。

それどころか、
どんどんどんどん、
大変な目にばかり合っていました。

事実無根の、
不倫騒動の相手役に仕立て上げられて、
職場の人全員から無視されるといった、
とても辛い思いを、
したこともありました。

「何で私ばかりこんな辛い目に、
合わなきゃならないんだろう?」

そんな風に毎日思いながら、
日々をやっとやっと生きていました。

そんな状態の私には、
人を恨む元気さえ無くなっていきました。

そうして私は、
家族を恨むことにフォーカスするのではなく、
自分が今の辛い状態から脱することだけに、
フォーカスするようになりました。

ようするに、

自分のことは自分で幸せにしよう

と決意したのです。

だから最初は、

自分を救ってもらうために

受けていたセラピーを、

自分を救うために

受けるようになりました。

人に幸せにしてもらおう、
という考え方から、
人に幸せになる方法を教えてもらおう、
とする考え方に、
シフトしたのです。

それから、
私の人生は変わりました。

もちろん、
すぐに好転したのではありません。

それこそ、
色んな方法を試してみて、
何十年という時間をかけて、
少しずつ、
変化してきたのです。

土壌のしっかりした、
盤石なものとして。

だから今の私の幸せは、
多少のことでは揺らぎませんでした。

たとえ、
急に起こった嵐のような出来事で、
しばらくは、
心の表面が揺れる事があったとしても、
心の奥底の方では、
自分が幸せだと感じることが、
出来るようになっていました。

そう、それは、
40年もの間、
自分が苦しんでいたことが、

父の嘘

であったことが分かったとしても。

今さら、
父親を恨んだりする気持ちは、
湧いてはきませんでした。

ただ、
今まで悩み苦しんでいた、
自分の心と時間が、
哀しくはあったけれど。

それさえも、
経験して良かった出来事だと、
捉え直すことが、
出来るようになっていました。

なぜなら、
そのおかげで今の私は、
家族の中で居場所のない人の気持ちを、
理解することが出来るようになったから。

そう私が思えるのは、
今の私が幸せだからに他なりませんでした。

今の自分が幸せだから、
今の自分を、
肯定することが出来るから、
今の自分を作り上げた一部である過去の自分も、
肯定してあげることが、
出来るようになったのです。

これは私の経験で、
全ての人に当てはまる事では、
ないかもしれません。

それでも私が、
自分の人生を狂わせた父親の大きな嘘を知った時。

恐らくは自分の下らない自己顕示欲と、
嗜虐性を満足させるために、
私の人生を滅茶苦茶にした嘘を、
40年以上という長きに渡って私に吐き続けた男が、
自分の父親であるという不幸は、
私の心から生きる気力を一時は奪いましたが。

10ヶ月以上前に亡くなった父親を恨んで、
でも、その感情をぶつける捌け口がなくて、
ひとり苦しむような事態には、
陥ることはありませんでした。

私はそんな自分自身を、
誇らしく感じました。

なぜなら、
自分を苦しめた相手が死んだ後も、
その人間の影響を受け続けるのは、

相手を喜ばせる行為

だと思うからです。

自分の実の父親であり、
父親に優しくされた記憶もあるため、
どんな人間性だったとしても一概に、
嫌悪の気持ちだけ向けることはありませんが、

彼(父親)の言葉で傷つく私に対して、
彼が面白がりこそすれ、
悪いと思うことがないのは断言できます。

何ならこの文章を書いている今でも、
父親が傷ついた私に向ける、
馬鹿にしたような顔と声が脳裏に浮かんできます。

ずっとそのような態度を取られてきたから、
敢えて思い浮かべようとしなくても、
条件反射で浮かんでくるのです。

だから私は、
傷ついて落ち込むことがあっても、
顔を上げて前を向こうと思うのです。

私が幸せであることが、
彼への復讐だと思うから。

決して自分を傷つける人間の思惑通りに、
素直に不幸になってなどやらない。

だから、もし。

私と同じように、
過去に辛かったり、
悲しかったりする出来事があって、
その事で今も、
生きる事が辛いと思っている人が、
このブログを読んでいてくれるなら。

あなたが幸せに生きることが、
過去にあなたを傷つけた人達への、
復讐になると知って下さい。

そして、もし辛すぎて、
自分の過去に向き合うことができないと、
苦しんでいる人がいるのなら。

過去の辛い出来事に向き合わなくても、
今の自分を幸せにすることが出来れば
過去の出来事も受け入れられる事を知ってください。

セラピーやカウンセリングを受け続けた私は、
セラピストやカウンセラーから、
過去の傷を癒すことが自分を幸せにする方法だと、
教わったけれど。

その方法では、

とても深く傷ついた人間は、
幸せになる前に、
傷を癒すだけでその人生が終了してしまいます。

「幸せになるにはまず、
過去の傷ついた自分を癒してあげましょう」

セラピーを受ける時によく言われたその言葉も、
絶対の真実ではありません。

少なくとも私が、
傷を癒してから、
自分を幸せにする方法を取る人間だったら、
今回発覚した父の嘘に対して、
こんなに早く心が回復することは無かったでしょう。

今の幸せがあるから過去を赦せる

幸せになる方法は、
実は色々あって、
自分に合った方法を試していけばいいのです。