私の成育歴

マルトリートメントと私30."弟か妹が欲しいか?"

新生児
私がなぜ、自分の生育歴を振り返るようになったのかは、私が自分の成育歴を振り返ることにした理由をご覧ください。
私の成育歴の記事一覧は、愛着障害に関する成育歴にあります。

※自分の記憶に基づいて書いているため、事実と違っている可能性があります。

私の目には父は、

「家族は自分に従属するもの」

と考えているように映ったのですが、
父自身は時々、

「俺は子供達の肥やしになる」

といった、
びっくりするような発言を、
することがありました。

きっと人の気持ちを思い遣ることが出来ない、
発達障害の傾向があった父にとっては、
何か1つ、子供のためにしただけでも、
自分の身を犠牲にした尊い行動に、
映ったのだと思います。

そんな父はやはり時々、
家族全員を居間にあるコタツに集めては、
家族会議を開くことがありました。

「俺は大事なことは家族で話し合って決める」

家族会議を開く時には、
そんな言葉を口にする父でしたが、
急に仕事を辞めてくるなど、
家族が生活出来なくなるような、
重大な決断の相談を、
されたことは無かったため、
今にして思えば、
自分で決められない事柄だけを、
耳触りのいい言葉に変えて、
私たち家族に決定の責任を、
押し付けていたのだと思います。

この日の家族会議も、
まさにそのような内容でした。

父は家族を集めると、
子供達に向かって、
重々しくこんな言葉を口にしました。

「お前たちは弟か妹が欲しいか?」

私はこの言葉に怯えました。

今でさえ、家族の中に居場所が無いのに、
これで弟か妹がやってきて、
その弟か妹を中心に、
家族が結束してしまったら、
私は今以上に、
この家族の中に居場所が無くなって、
惨めになる、
そう思いました。

「私は別に要らない」

私は自分の身の保身のために、
そう答えました。

自分が家族の中に居場所が無いのは、
自分が家族の中で一番年下で、
何の役にも立たないからだと、
自分なりの理由をつけて、
納得しようとしているのに、
これで弟か妹がやってきて、
家族の皆んなに可愛がられてしまったら、
私はどうやって自分の家族の中の立ち位置を、
自分に納得させたらいいのか、
全く分かりませんでした。

兄も、

「僕も特にいらない」

そう答えました。

その間、母は無言でいました。

父は私たち兄妹の意見を聞くと、

「よし、分かった」

と言って、家族会議を終わりにしました。

私は兄も要らないと言ったことで、
3人兄妹になって、
その中で兄と弟か妹が仲良くなり、
自分1人が孤立することも、
弟か妹を中心に、
自分以外の家族が仲良くなって、
私だけ忘れられる状況は回避出来たと、
ホッと胸を撫で下ろしました。

それから数日後のことです。

父はまた、家族会議を開き、
私と兄に向かって、
こんな言葉を言いました。

「お前たちが要らないと言ったから、
お前たちの弟か妹を、
母さんはおろしてきた」

小学校3年生だった私には、
父の言っている言葉がよく、
理解出来ませんでした。

父はそんな私たちの様子には構わず、
さらにむせび泣く風に下を向いて、
言葉を続けていきました。

「本当は俺は、男でも女でもいいように、
薫という名前も考えていたんだ。
でも、お前たちが要らないと言ったから
母さんはお前たちの弟か妹を下ろしてきて、
薫は生まれてくることが出来なかったんだ」

その当時の私に、
子供が出来る仕組みは、
あまり分かっていませんでした。

ただ、兄がどういう意図で、
弟か妹が要らないと言ったかは、
分かりませんでしたが、
私は自分が、
この家族の中で居場所が欲しいという、
自分本意の欲望のためだけに、
1人の人間の誕生を阻んだのだ、
ということだけは、
理解することが出来ました。

それは小学校3年生という子供の頭の中で、

「人殺し」

という単語と組み合わさりました。

その単語に実感は伴わなかったのですが、
やはりこの出来事は私の心の中に、
罪悪感を植え付けました。

私はその父の話からしばらくして、
1人で洗濯をしていた母に、
そっと話しかけました。

「お母さんは私とお兄ちゃんが反対したから、
子供をおろしたの?」

私がどのような心境で、
母にこの質問をしたのか、
多分、母は気付いてくれたのだと思います。

「それだけじゃないよ。
お母さんはその(赤ちゃんが出来た)時、
とても強い薬を飲んでいたから、
産むのが怖かったからおろしたんだよ」

私と兄の言葉だけで、
薫の出生が決められたのではないと分かって、
私は少しホッとしたのですが、
それでも自分の発言の影響力が、
0ではないということは、
私にやはり罪悪感を残しました。

もし父が、
何で弟か妹が欲しいかを聞くのかの、
理由を説明してくれていたなら、
もう少し違った答えをすることが、
出来ていたかもしれません。

けれど私はその質問の意図に気付くことなく、
その時にはもう、
弟か妹の生命が宿っていたことなど、
考えもせず、
自分のちっぽけな居場所が、
脅かされるのを恐れて、
自分を守る発言をしたのでした。

今でもこの時のことを思い出すと、
私ももちろん酷い人間だと思いますが、
父はさらに、酷い人間だったと思います。

「子供をおろす」

という生命の選択の責任を、
小学校4年生と3年生の子供に、
丸投げしてしまったのですから。

そして、父は言うのです。

「子供達の意見を尊重した」

のだと。

私は父の、
自分を正当化して人に責任を押し付ける
こんな部分が嫌いです。

父がこの出来事を、
自分の中でどのように受け止めていたのかは、
私には分かりませんが。

少なくとも、自己肯定感の低かった私は。

生きることに絶望するたびに、
こんな自分が、
生きるための居場所を得るために、
薫が生まれてくる機会を、
奪ってしまったことを悔やみ、
私が生きているよりも薫が生きていた方が、
よっぽど良かったのではないかと、
自分を責めてしまうことになったのでした。

マルトリートメントと私31.普通を教わる小学生に続きます。