私の成育歴

マルトリートメントと私35.ゾッとした父の発言

家族団らん
私がなぜ、自分の生育歴を振り返るようになったのかは、私が自分の成育歴を振り返ることにした理由をご覧ください。
私の成育歴の記事一覧は、愛着障害に関する成育歴にあります。

※自分の記憶に基づいて書いているため、事実と違っている可能性があります。

【性的な話が含まれますので、苦手な方は読まないでください】

父が怖くて嫌だと言うことが出来ずに、
父と毎日一緒にお風呂に入って、
父を喜ばすために、
父の性器を刺激するといった行為を、
繰り返していた私でしたが、
父が私の性器を触るといった行動をとり、
そのおぞましさに私が泣いて、
父が私にしたことが母に伝わってから、
私が父とお風呂に入ることはなくなりました。

私はそのことに大変安堵していたのですが、
実は父の欲望は決して、
収まっていた訳ではありませんでした。

父と一緒に、
お風呂に入るようになった時期と、
前後した時期から、
父は夜9時頃になると、
まだ家事をしている母を尻目に、
私と兄を引き連れて、
居間の隣にある寝室に入ると、
すでに母が敷いてくれていた、
布団に横になり、
両腕を肩の高さまで上げて、
父の右腕に兄の頭を、
左腕に私の頭を、
乗せさせて眠るという行為を、
毎晩行っていました。

いわゆる腕枕です。

私の父は若い頃に空手をしていて、
腕が筋肉質でゴツかったこと、
小学生の枕にするには、
腕の高さが高かったことなどから、
私は父の腕枕では首が痛くて、
大変寝づらかったのですが、
やはり父が怖かった私は、
腕枕では寝づらいからやめて欲しいと、
言い出す事が出来ず、
しかもその当時、小学校の同級生で、
とても元気で幸せそうだった、
女の子に憧れて髪型の真似をして、
その女の子のように前髪を伸ばして、
真ん中から2つに分けて、
その両端をヘアピンで留めていたのですが、
腕枕をする時にそのヘアピンが、
父の腕に当たって痛かったらしく、
父から、

「痛いだろうが!!前髪を切れ!!」

と怒鳴られてしまい、
それならば腕枕の方を辞めて欲しい、
と願ったのですが、
それは父には聞き入れられず、
結局私は寝る時に、
ヘアピンが父の腕に当たらないように、
しっかりと上を向いた、
"気をつけ"の姿勢で、
寝なくてはならなくなっていました。

そんな環境でも、
小学校で人のマネをして過ごすといった、
大変気疲れする生活をしていた私は、
布団に入ると、
割とすぐに眠りに落ちることが出来、
朝までグッスリ、
眠ることが出来ていたのですが、
ある日の朝の父の発言で、
眠ることさえ、
まともに出来なくなってしまいました。

それは休日の朝、
兄と私の間で流行っていた、
親戚の子供の真似をして、
海苔を手掴みで茶碗のご飯に巻いて、
食べるという行為を行っていた時に、
父から言われた言葉でした。

「俺の◯◯◯◯(性器の名前)を触った手で食べてらぁ」

そう言って私を見て笑う父の顔には、
私に対して性の話をしていた時の、
あの下卑た笑いが浮かんでいました。

私は何のことか分からずに、
でもその父の言葉にゾッとしたのですが、
休日の朝の、
母も兄もいる家族団らんの場だったこと、
父が割と大きい声で言ったのに、
母も兄も何も言わなかったことなどから、
私の何かの聞き間違いかもしれないと思い、
その時は激しい動悸に襲われながらも、
私は父の言葉が聞こえなかったフリをして、
震える手でそのままご飯を食べ続けました。

きっと、そんな朝の父の発言が。

私の無意識の中に、
ずっと残っていたのだと思います。

その日の夜、
いつもは1度寝ついてしまったら、
朝まで起きたことのなかった私の目が、
なぜかうっすらと覚めてしまいました。

その時はまだ、
半覚醒状態だったのですが、
私は自分の右手首が、
誰かに掴まれていることに気付きました。

そして自分の右手が、
させられていることに気付いた時に、
私の意識は一気に覚醒しました。

私の右手は父の左手に掴まれ、
父の寝間着のズボンの中の、
さらに下着の中にまで滑りこまされて、
父の性器を、
右手のひら全体で、
父の気持ちがいいように、
擦るように触らされていました。

私の耳には、
父の荒い息遣いが聞こえてきていました。

私は怖かったのですが、
恐怖で体に力が入らないように、
父のなすがままになるように、
全神経を集中させました。

「私が気付いたことを父に悟らせてはいけない」

私の頭の中で、
その注意警報だけが、
けたたましく鳴り響いていました。

マルトリートメントと私36.父から毎晩行われていた行為に続きます。