私の成育歴

マルトリートメントと私5.お母さんに伝えられなかった思い

1人で泣く少女
私がなぜ、自分の生育歴を振り返るようになったのかは、私が自分の成育歴を振り返ることにした理由をご覧ください。
私の成育歴の記事一覧は、愛着障害に関する成育歴にあります。

※自分の記憶に基づいて書いているため、事実と違っている可能性があります。

お母さんに伝えられなかった思い

1人で泣く少女

私は前回の記事を書きながら、

「なぜ私はこんなに必死に、
お母さんを喜ばせたかったのだろう?
お母さんの側にいたかったのだろう?」

と、自分の中で疑問が湧きました。

子供はきっと、
4歳くらいの時期なら特に、
お母さんが大好きなのは当たり前だし、
お母さんを喜ばせたいという思いも,
持っていると思います。

だから私が、
その当時の自分に出来る、
1番お母さんに喜んでもらえるお手伝いとして、
お茶碗洗いのお手伝いを選択したとしても、
何ら不思議は無いのですが。

私はお母さんに対して、

「1人でお茶碗を洗うのは寂しい。
家族の中で仲間外れになっているようで悲しい」

と言い出せた記憶が無いのです。

言葉でうまく、
自分の気持ちを表現出来なかったとしても、

泣く

という行動で現すことは出来たはずなのに。

そういえば、
小学校の頃に泣き虫と言われていた私は、
本当に赤ちゃんの時は、
兄よりも泣かない子供で、
逆に兄が、
カンが強くてすぐ泣くものだから、
母は家事をする間も、
兄をおぶっていなければならず、
放っておいても寝ていてくれる私は、
とても助かる、
育てやすい子だったと、
母から言われました。

私は幼児期に泣けなかった、
自分の寂しさを、
お母さんに伝えられなかった子供。

そこに何があったのだろう、
と考えた時に、
思い浮かんだのは、
父から聞かされていた言葉でした。

私は言葉を理解出来るようになると、
何度も父から、
聞かされていた言葉がありました。

それは、、、

「お前のせいで母さんは死にかけたんだ」

という言葉。

私を産んだ時に、
出血が酷くてお母さんが死にかけて、
お父さんが、
自分の血の半分を、
お母さんに輸血して命を助けて、
自分も命が危なかっという話を、
幼い頃から何度も、
私は父に聞かされていました。

そして必ず、

「母さんの体が弱いのはお前を産んだからだ」

と言われていました。

言葉を理解出来ない時の、
本当の乳児だった私は、
とても全能感にあふれた、
子供らしい子供だったけれど、
きっと、
こんな言葉を父から聞かされて、
その言葉の意味が、
理解出来るようになってしまったなら、
とても平気な顔で、
お母さんのそばにいることなど、
出来なかったでしょう。

私は、

頑張ってお母さんの役に立たなければ、
この家族の中にいてもいい存在ではない

という思いと。

頑張って、
役に立つようにお手伝いをしたとしても、

家族の中で、
1人仲間外れになってしまっている

という思い。

この2つの思いを、
幼い私が同時に抱えていたのなら、
私がその気持ちを、
お母さんに伝えられなかったとしても、
仕方のないことだと思いました。

マルトリートメントと私6.兄を背にかばった妹に続きます。