愛着障害

私の心にまだ傷付く余地が残っていたとは思いませんでした〜後日談.母の祈りが私に届かない理由

仕事を4月に退職した私は、
現在、
うつ病の自宅療養を行いながら、
過去2年間にあった出来事を振り返り、
どのようにして、
ずっと大切にしていたはずの、
母親や職場との縁を切るに至ったかを、
ブログに書くことを、
日課としているのですが。

その一環で、
溜まっていたブログ記事の下書きを、
昨日、整理していて。

その中で、
3年前に書かれていた、
このブログ記事の下書き見つけました。

関連するブログ記事から、
3年以上の間が空いているため、
今更、この記事を上げるのもなぁ…
と悩んだのですが。

現在、書いている、
2023年から2024年の間に、
どのような出来事が起こって、
母から私の心が離れていったのかを記す過程の中で、
その前兆として、
この出来事にも触れていた方が良いかと思い、
古い内容ではありますが、
ブログ記事としてアップすることにしました。

このブログ記事は、
次の記事の後日談となっていますので、
よろしければ、こちらを先にお読みくださると、
嬉しく思います。

(ここからが、後日談となります)

2022年の1月に娘が帰省した際、
母が娘に対して、
私にお金を渡した理由を、
事実と違う形で伝えたことに対して、

母が寂しさから、
自分に娘の関心を、
引きたかったからではないか

という考察に辿り着き、
私は何とか自分の心の中のわだかまりと、
折り合いを付けたのですが。

母が私にお金を渡した理由を、事実と違う形で娘に伝えたという内容は次のとおりです。

  • 2020年8月
    母が私に「自分の死後は長男である兄に財産を残すから、お前に残すものがないけれど、それはお前が可哀想だから、これだけはあげる」と言って幾ばくかの現金を渡してくれる。
  • 2020年10月
    私と母の会話の中で、幼い頃から私が父に言われ続けていた「お母さんの身体が弱いのはお前(私)のせいだ」等の話が嘘だったと、母から聞かされる。
  • 2022年1月
    娘が「お母さん(私)が、お祖父ちゃん(私の父)から酷いことを言われていて、可哀想だったから、お母さん(私)にお金をあげた」と母が言っていたと、私に伝えてくる。

※母が私にお金を渡した出来事の方が、私が父から酷いことを言われていたと母が知る出来事より先のため、2022年1月の母の発言が事実では無いことが分かります。

そんな私の考察を裏付けるような出来事が、
2022年のゴールデンウィークに、
娘が帰省してきた際に起こりました。

一人暮らしの私のアパートは狭く、
娘と孫2人が泊まれる程のスペースは無かったため、
娘がお正月に帰省してきた時と同様に、
今回の帰省時もまた、
娘達は母の住んでいる家に泊まったのですが、

その時に母が、
また娘に対して、
自分が私や娘、孫達にしている善行を、
話して聞かせていたのです。

「おばあちゃんはね、
お前達が健康でいられるように、
毎日、仏壇に祈っているんだよ」

娘は母のその言葉に、
いたく感激したらしく、
母の優しさに目を潤ませながら、

「ありがたいねぇ」

と、そのエピソードを、
私に聞かせてきました。

そんな娘の言葉に、

「そうだねぇ」

と私も相槌を打ったのですが、
内心、私はとても複雑な思いでいました。

なぜなら、
そんな言葉を娘に聞かせた、
母に対する憤りの方が、
毎日、健康を祈ってくれている、
母に対する感謝の気持ちよりも、
強かったからでした。

娘から母の、
私達の健康を祈っているという、
善行を聞かされた私は、
捻くれた見方だと思われるかもしれませんが、

祈るだけならラクだよね

と、
心の中で思っていました。

もし、母が本当に、
私や娘家族のことを考えて、
毎朝、仏壇に手を合わせてくれるのなら。

その行為と同じくらいの時間と手間で、
母にやって欲しいことは他にありました。

そして、
母がそんな私の気持ちに応えることを期待して、
実際に、
母にやって欲しい事を振ったこともありました。

私が母にやって欲しいと思っていたことは、
たったこれだけ、でした。

私の目の前に座って、
私が家族から受けた言動によって傷ついた、
私の辛かった気持ちを、
ただ、私の心が落ち着くまで聞いて欲しい。


でも、私のこの願いは、
何度も何度も
母によって打ち砕かれ、
いつしか試みることさえ、
出来なくなってしまっていました。

ただ、こんな私の思いは、
私と母の間のことで、
せっかく母の祈るという行動に、
感激している娘の気持ちに、
水を差すようなことはしたくないと思い、
心の中に黙って、
押し込めていました。

それは彼女が、
私の娘という立場で、
私が思い遣ってあげなければいけない存在だと、
私が思っていたから、でした。

だから。

そんな思いが、
あったから、こそ。

別な場面で、
母と私が2人で雑談をしていた時に、
私に対して母が、

「死んだ方が楽なんじゃないかって思うよ」

と口にした時、
それまで割と饒舌に話していた私は、
何とも言えない思いで、
口を閉ざしました。

それまで母と話していた話題が、
親戚に関してのことで、
高齢になってきた母の姉妹や兄弟達が、
次々と亡くなってしまったことで、
母が気弱になっていることも知っていて、
母のこの言葉が、
寂しさ故に出てきた発言なのだから、
ここは母に対して、

「そんなこと言わずに元気だしてよ」

「お母さんには長生きして欲しいよ」

などといった台詞を伝え、
励ましたり、
元気付けたりするのが正解なのだと、
頭では分かっていました。

でも。

頭では分かっていたその台詞を、
発しようと試みても、
私の舌はピクリとも動こうとせず、
私はその台詞を、
口にすることが出来ませんでした。

その代わり。

私の心の中には、
こんな言葉が、湧き上がっていました。

「そんなこと、私は小学校に上がる前から思ってたよ」

幼過ぎて、その頃は。
死という概念さえ、知らなかったけれど。

1人で空を見上げては、
空に還してもらうことを神様に祈っていた私

 

寂寞とした世を儚む思いから、
死にたくなる気持ちなら、
私は小学生になる前から持っていたのです。

けれど、これはきっと、
今、この場面で、
母が求めているであろう言葉とは、
正反対の言葉。

だから。

この言葉が、
口を突いて出ていこうとするのを、
かろうじて押し留めることだけが、
私がこの時に母に対して示すことが出来た、
最大限の優しさ、でした。

だから、私は、口を閉ざしました。

私が何も言わないからか、
しばらくの間の後、
母は違う話題を口にし、
ようやく私も、
口を開くことが出来るようになりました。

そして、私はまた、
母との雑談に勤しみながら。

思っている言葉を口にしてはいけないと、
自分の娘だけではなく、
親に対しても気遣わなければならないのなら、
いったい私は、
誰に対して本音を口にすることが出来るのだろう、
と、哀しく思い。

もし、子供の頃に、
自分の気持ちを、
親に聞いてもらうことが出来ていたなら、
親の気持ちに、
寄り添えるような大人に、
なることが出来ていたのではないか、
などと考え。

そんな、
今さら考えても仕方のないことに、
救いを求めようとしている、
自分に呆れ。

子供の頃から溜め込んでしまった、
自分の思いを、
自覚するのに併せて、
どんどん酷くなる、
幼い頃から感じていた肋骨裏の痛みに、
何とか耐えることが出来るように。

私はこっそりと、
守るように服の上から手を肋骨の上に当て、
少しずつ、
痛さを紛らわすために前屈みになりながら。

目の前にいながら、
私の異変に何も気付かない母と、
取り留めのない会話を続けたのでした…