愛着障害

愛着障害を改善したことでラクになった懇親会

軽く微笑む女性

昨日は職場から強制的に、
親睦を深めるために作られたグループの、
懇親会があったのだけど。

お子さんがいる女性にも参加してもらうため、
職場の会議室を借りて茶話会を開くという、
かなり地味目な懇親会で。

特に仲の良い人がいる訳でもない、
そのグループの懇親会では、
雑談が苦手な私は、
すぐに手持ち無沙汰になってしまうため、
いつもお酒を飲んで、
お開きまでの時間を潰していたのですが、
昨日は"茶話会"の名の通り、
お茶を飲んでお菓子を食べるのみだったため、
グループで、
仲の良い人達が楽しそうに話している中、
本当に端の方で1人、

ぽつん。

と座っているだけの状況になっていました。

懇親会

それでも一応、
話の輪の端に入っていようと、
隣の人と間を開けずに座ったのですが、
私が皆んなにお菓子を配っている間に、
私の席には他の人が、
座って話し込んでいました。

一応、その席には、
私の荷物を置いていたため、
そこに誰かが座っていたことは、
その方は充分察していたのですが、
そのことを気にせず、
その方は私がいた席に座ったのでした。

最初はその席に座ることをためらい、
隣の席に座っていたため、
誰かが座っていた席だと知っていたと分かります。

以前の愛着障害を抱えたままの私なら。

「私の場所を盗った」

と、
皆んなの輪から外れたさらに端の席に、
自分の居場所が追いやられたことに、
大変傷つき、
何より、

自分の存在が無視された

ことに対して、
激しい怒りを抱いていた筈なのですが。

愛着障害を改善し、

自分の存在を他人に認めてもらわなくても、
自分で自分の存在を認められるようになった私

は、
その席に置いていた自分の荷物を、
そっと引き取り、
更に端の空いている席へ移動しました。

手持ち無沙汰で話し相手がいないことは、
以前と変わりはないのですが、
私はその状況が、
以前のように悲しくはありませんでした。

それは何故かというと…

私は人に嫌われている訳じゃないと、
独りぼっちの現状に、
抵抗することが無くなったからでした。

そこには、

人に嫌われていたら私の生きる価値はないと、
誰かの承認を得るために、
一生懸命に場に馴染もうと努力し、
空回りしていた以前の私の姿はありませんでした。

私は人の輪の端にいて、
誰かの話を積極的に聞くわけでもなく、
ただ何となく、そこにいる感じで、

「ふーん」

と人の話を聞いていました。

ただ、場の雰囲気を壊さないために、
退屈だと感じてはいても、
適度な笑みを口元に浮かべることは、
気をつけて行っていました。

軽く微笑む女性

そうして、
肩の力を抜いて参加していたら。

場に馴染もうと、
あんなに頑張っていた時よりも、
かえって人との会話が、
増えている自分に気付きました。

なぁんだ、
頑張らない方がうまくいくんだ。

そこには愛着障害を抱えていた時には、
全く知る由もなかった、
とてもラクな懇親会が存在していました。

ずっと私は、
懇親会では楽しんでいないと、
"ダメ"だと思い込んでいたけれど、
無理して楽しまなくても、
良かったのだと初めて知りました。

心がラクラクだった懇親会。

ぼちぼち周囲の人と話はしていたけれど、
やっぱり家に帰りたかったので、
お開きになったら直ぐに家に帰りました。

そんな行動が取れたのも、
周囲の人の目を気にせずに、
いられる自分になれたから。

やっぱり愛着障害に起因する、
生きづらさは改善できる。

そんなことに気づかせてくれた、
有意義な懇親会でした。