愛着障害

愛着障害持ちASDの怖いもの、知っていますか?

今年の3月末で仕事を辞め、
実家とも縁遠くなっている私の、
現在の住所を知っている人は殆どいません。

そんな私に、先日、
クール宅急便が届きました。

現在、無職の私は、
世俗の行事から遠ざかっており、
クリスマスケーキの宅配なども頼んでおらず。

普通の宅急便ならともかく、
クール宅急便など、
届けられる覚えがなかった私は、
配達員さんが持ってきた時、
宛先間違いではないかと疑ってしまい、
配達員さんと一緒に届け先の名前を確認するほど、
クール宅急便で何かを受け取るような、
覚えがありませんでした。

この家に引っ越してきてから6ヶ月が経ちますが、届く宅急便は全て、私が自分で頼んだものばかりでした。

でも、確認したところ、
確かに私宛で、
そして送り主は、
先日、私に電話で現在の住所を尋ねてきた、
私が辞めた会社に初めて入社した時に、
私のことを何かと気にかけてくれた、
同じ部署で課を取りまとめていた大先輩の方でした。

この方は私が転勤の時期になると、電話で私の転勤先がどこになるのかを尋ねてこられる方で、今年の5月にも私の転勤先を尋ねてこられており、その時に、私が仕事を辞めたこと、その時点では引越す予定だけれども、まだ引越し先が決まっていないことを話していました。

5月に電話で話した時には、
新しい住所が決まったら教えて欲しい、
と言われており、
その時の電話では私は、

「引越し先が決まったらお知らせしますね」

とお伝えしていたものの、
私は6月に引越してから半年の間、
その方に新しい住所を連絡していませんでした。

なぜなら。

なぜ、この方が私に関わってくるのか、
理由が分からなかったからです。

私がこの方にお会いしてから、
30年という月日が経過しており。

この方は現在、
すでに70歳を超えていて、
会社も定年退職されていました。

定年退職された後も、この方が、
時期を見計らって、
私の転勤先を確認する電話を掛けてこられるのも、
何故だろうと、
不思議には感じていたのですが、
それでも私が勤めていた会社には、
会社の退職後に加入出来る、
年に1度は現役社員を交えて同窓会を開催するような、
活発なOB・OG会が組織されており、
この方もその会に加入していたため、

(私と今後も関わる可能性があるから聞いてくるのかな?)

などと考えながら、
今までは尋ねられるがままに、
新しい勤務先を答えていました。

でも、会社を、
しかも、穏便でなく辞めた私は。

もちろん、
そんな会社のOB・OG会に自分から加入することも、
誰かから参加を勧誘されることもなく。

会社とぷっつりと関係が切れるどころか、
むしろ敵対してしまっていたため。

この方が、
今の私に関わってくる理由がさっぱり分からず、
5月の電話で言われた、

「新しい住所が決まった教えて」

という言葉は、
私が会社を退職したと知らなくて電話してしまった、
その方の、
気まずさを誤魔化した社交辞令だったのではないか、
などと考えて。

新しい住所が決まったら教えるとお伝えした手前、
全く連絡しないのは、
私が自分の言葉を違えてしまうことになり、
落ち着かないため、
その方には来年、年賀状を出して、
しれっとその年賀状に新しい住所を記載することで、
新しい住所を知らせたことにしよう、
などと考えていたのですが。

来年を迎える前にその方が再度、
私に住所を尋ねる電話を掛けてきたことで、

「あぁ、本当に私の住所が知りたかったんだ」

と思ったものの、
その方の御年齢と真面目な性格を考えると、
毎年、私に年賀状を送ってくれていたため、

「毎年の年賀状を出すという習慣を行いたかったのだろう」

などと、
その方がまだ私に関わってくることについて、
自分の中で結論付けていました。

だから。

なぜ、その方からクール宅急便で贈り物が届くのか、
全く理由が分からず。


(その方が住まわれている地域の特産品が入ってました)

分からなかったものの、
お礼は言わなければならないだろうと、
意を決してお礼の電話を掛けたものの、
その方からの返事は、

「あぁ、届いたぁ。どーも、どーも」

的なものばかりで、
何で私に特産品を送ってきてくれたのか、
全く理由が分からず。

自分がその方にとって、
利のある人間で無いにも関わらず、
なぜ好意的な行動を取られるのか、
理由が分からなくて、
私は混乱しました。

ASDであり、
機能不全家族の中で愛着障害者として育った私は。

社会性を偽装していない、
素の自分が人に好意を持たれる人間などという、
大それた考えは持っていません。
(実際、私は原家族から要らない人間と言われて育っています)

自分を受け入れてくれない社会の中では。

人に嫌われないように、
人に好きでいてもらえるように気を遣って、
ようやく、
自分のささやかな居場所を与えてもらえるような、
そんな人間だと思っています。

だから。

理由の分からない人からの好意は怖いのです。

理由が分からなければ。

その方に対して、
好かれるようにするには、
せめて持ってもらえた好意を失わないよう、
嫌われないようにするには、
どのように振る舞えばいいか、分からないから。

思いもよらず得られた好意が嬉しくて、
でも、好かれた理由が分からないから、
何かの拍子に失ってしまうのが怖くて。

嫌われるのが怖いから先に手放してしまおう

と、
敢えて自分から、
離れてしまう決断をするほどに。

私は理由の分からない人からの好意が怖いのでした。

そのため若い頃の私が人からの好意で安心して受け入れられたのは、私の容姿が好きだという、分かりやすい理由を持った男性からの好意だけでした。……クズな男に引っかかる典型的なパターンだと、今なら分かります。

そんな私は、
この方に当初の予定通り年賀状を出すことさえ、
勇気が要ります。

この方に見せていた職場での私は、
もう存在していなくて、
来年の年賀状をこの方に出す私は、
頑張ることを辞めて特性に素直になった、
人に嫌われやすい、
素の私だから。

ここ数年はあまりの仕事の忙しさに、
年賀状は、
受け取ったものの返信だけを行っていたものの。

元々の職場での私は、
年賀状というものは、
どのくらいの関係値の人まで送るのが礼儀なのか、
よく分からなかったため、
人に嫌われない保険をかけるように、
薄い繋がりの人達にも年賀状を送っていたため、
パソコンで年賀状を印刷していたけれど。

多くのしがらみを手放した、
素の私が年賀状を出すのは、
この方1人だけだったため、
相手への心を込めて、年賀状を手書きしました。

ネットに、
「チャレンジしてみてね」
とアップされていた筆文字アートを真似して書いた、
謹賀新年。
いきなり年賀状に書くのはハードルが高かったため、
ハガキ大に切った厚紙に練習して書いてみました。

そして、本番。
年賀状に書いたのが、こちら。

何も気負わず書いた練習の方が、
上手くいったと感じるのは、
本番に弱い人間にあるあるな話(泣)

散々悩んだ末に書いた、

「今年もよろしくお願いします」

の文字の小ささに、

(今後も私と関係性を持ちたいと思っているのかな?)

と訝しんでいる自信の無さが現れているようです……

年賀状を全部手書きするなんて小学生の頃以来で、
この年賀状を書いている間は、
その時の子供の自分に心も戻ったようでした。

年賀状1枚書くのにも自信がなくて、
相手がこの年賀状を見てどう思うかを気にする自分。
(手書きの下手さを気にしてるところもアリ)

人と関わるのは怖いけれど。
それでも自分に優しい人達と繋がっていきたいから。

今後もおっかなびっくり、
人との関係性を繋いでいこうと思います。