社会との関わり方

「お母さんは子供の為なら何でも出来る」を真に受けてはいけない

赤ちゃんをあやすお母さん

私が子供を育てていた26年前には。

「お母さんは子供の為なら何でも出来る」

といった、
母性万能主義ともいうべき思考が、
はびこっていて。

私が19歳で子供を産んだ時も、
義母から当然のように、

「お母さんは赤ちゃんの泣き声で、
オムツを替えて欲しいのか、
ミルクが欲しいのかが分かるのよ」

と言われていたけれど、
私には、
娘の泣き声がどっちなのか分かりませんでした。

泣く赤ちゃん

そういうとまた義母は、

「若いお母さんだから仕方ないわね」

と、
私が19歳で母親になったから、
母性が足りなくて、
赤ちゃんが泣いている理由が、
分からないのだと言いたげで、
私も、
ASD(自閉スペクトラム症)の特性から、
義母の言葉をそのまま真に受けてしまい、

「赤ちゃんの泣き声で、
何が欲しいか分からない私は母親失格だ」

と思い込んで、
とても辛い思いをしました。

私が子供を育てていた時には、
子育てを相談できる友人もおらず、
自分の実家から遠く離れた、
結婚相手の実家の近くという、
誰も知らない土地で、
1人で子供を育てていたために、
ただひたすら、
義母に言われたことを、
信じてしまっていたけれど。

後に子供を育てた経験のある母親達に、

「赤ちゃんの泣き声で何が欲しいか分かりましたか?」

と尋ねたら、

「そんなの分かる訳ないじゃない。経験よ、経験」

と言われる方が多くて、
私は自分の義母が自分をよく見せたくて、
大げさに言っていたことを知りました。

そして私が里帰り出産から戻ってきて、
夫と私と赤ちゃんで暮らしている家に、
夫が愛人を連れてきたことがキッカケで、
私は離婚するに至ったのですが、
そのような状況下でも周囲の人達は、

「お母さんは子供の為なら何でも出来るのだから頑張りなさい」

という人が多くて、
その当時の私は心が辛くて、
生きているだけで、
精いっぱいの状態だったから、

「これ以上、頑張れっていうんですか?」

と、
その言葉を言われるたびに、
とても絶望的な気持ちになりました。

絶望する女性

だから先日。

娘から突然、

「今から家に遊びに行っていい?」

という連絡があって。

最近、何だか、
娘が頻繁に私に会いたがってくれるなぁ、
なんて思っていた時に。

「子供が可愛いのに、可愛く思えないことがある」

と、
娘が自分の心情を吐露してくれた時に、
私は、

「母親なのにそんなことを思うなんて」

というような考えは、
全く思いませんでした。

娘の話をよく聞いてみると、
旦那さまの出張が続き、
娘は自分の家に、
子供と2人きりのことが多くなって、
それがストレスになり、
可愛いのに可愛くないといった、
気持ちになってしまうようでした。

娘は孫を見ながら、

「こんなに可愛いのにイラついてしまう、
自分に落ち込んでしまう」

「ADHDの傾向のある私は、母性が足りないのかもしれない」

と言ってきたので、
私は自信を持って娘にこう言いました。

  • 「お母さんだって人間なんだから、そんなことを思っても当たり前よ」
  • 「母性万能説なんて私は信じてないから」

これは、どんなに大変な状況でも、
お母さんだったら、
頑張れるはずと思われて、
頑張っているのに、
さらに頑張れと言われた、
過去の私に言ってあげたかった言葉した。

そして、
私が発達障害という言葉を知り、
検査を受けて、
自分がASDだと娘に告白してから、
娘も自分の生きづらさの理由が、
発達障害にあるのではないかと考えて、
自分なりに調べ、

「自分はADHD(注意欠陥・多動性障害)だと思う」

という結論に至り、

「発達障害だから人(赤ちゃん)を思いやれない」

と考えてしまっている娘に対して、

「発達障害だから人を思いやれないなんてことはないよ」

と伝えたくて、
言った言葉でした。

定型発達者でも発達障害者でも、
自分の心に余裕がなければ、
人を思いやることは出来ないのだから。

そして、
初めての子育てをしているお母さんに、
心の余裕など、
ある訳がないのです。

母性赤ちゃんを愛しい、
可愛いと思う気持ちや、
赤ちゃんのために頑張ろうとする気持ちであって、
全てのことが万能にこなせるための、
便利な能力でなどではないのだから。

私のこんな考えに、
異論を唱える人もいるのだと思うけど。

私のこの考えは、
少なくとも私の娘の心を、
軽くすることが出来たようでした。

「子育ては1人ですると大変だから、
いつでも孫を連れて遊びにきてね」

私がそういうと、
娘は嬉しそうに、

「うん、遊びに来るね」

と言ってくれました。

物事が上手くいかない理由を、
発達障害に求めてしまっては、
まるで改善出来ない、
仕方がないもののように、
感じてしまうけれど。

けれど、きっと、
その状況に対する何らかの方法は、
あるのだと思うから。

私も、娘も、
何かを発達障害を理由にして、
諦めてしまわないように。

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親子でいたいと思います。