私が幼い頃から感じていた、
左肋骨裏の痛み。
息を吸おうとすると、
あまりの痛さに、
呼吸を止めてしまうほどだったその痛みは、
「自分は長生きはしない」
と私に思わせて、
機能不全家族の中でマルトリートメントを受け、
自分の居場所が家庭の中に無かった私に、
死ぬという希望を抱かせてくれていました。

(居場所が無く死に安らぎを見出していた子供時代)
この痛みは私が高校生の頃にピークとなり、
とうとう堪えられなくなった私は、
高校生で初めて、
その痛みを内科の医師に相談しました。
けれど、
その病院の診察では、
私の身体に悪いところはどこもなく、
痛がる私を前にして困った医師は、
「あなたが痛いと言っているところは、
全て神経が通っているところなんだけどね」
と私に言って、
その診察を終わりました。
今にして思えば、
その頃の私が受診すべきだったのは、
内科ではなく、
心理的要因から身体症状が現れる、
心身症を主な治療の対象とする、
心療内科
だったのだと思います。
でも当時17歳だった私にそんな知識はなく、
受診した内科の医師や周囲の大人の誰も、
私にそんな助言をしてくれる人はいませんでした。
私はその頃、
他にも心身症の症状を発症していて、
教室で50分間座っていることが苦しくて、
とても授業を聞いていることなど、
出来ませんでした。
でも高校を卒業し、
専門学校に進学する際に、
自分がASDで集団行動に向かないのだと、
知らずに寮に入ってから、
私の心身症は悪化しました。
肋骨が痛むだけなら、
日常生活に支障はきたさなかったのですが、
身体中に蕁麻疹が出るようになったのです。
顔はボコボコに腫れ、
プックリ腫れた目蓋で目は開きませんでした。

(顔まで腫れていて"お岩さん"のようだと言われました)
そのために、
一時実家に帰ったのですが、
実家に帰ると蕁麻疹が出なかったため、
母は私に対して、
「働きたくないから仮病を使ってるんじゃないのか?!」
と言いました。
それからどこにも行き場所が無くなった私が、
唯一自分に、
救いの手を差し伸べてくれた人に縋った結果、
人生が転落していったのは、
こちらに書いている通りです。
・私が実の父親から受けた"私は幸せになってはいけない"という呪いを解けた理由.3
もしかしたらこの頃も、
私の肋骨の裏は痛んでいたかもしれないのですが、
いい人のフリをして近づいてきた元夫に騙されて、
暴力で彼の言うことを聞かされていた私は、
心も身体も麻痺してしまっていました。
元夫に別れたいと伝えて「別れるなら殺す」と言われたのは19歳の時でした。
そんな経験を乗り越えて、
安心安全に暮らせる場所と、
安定した収入を得られるようになった、今。
先日、車を運転していて、
久しぶりに肋骨の裏が痛んだ時に、
私は無意識にこう言っていたのです。
「ひっさびさ〜」
って。
自分で言った言葉なのだけど、
その言葉の響きがあまりに軽くて、
まるで楽しんでいるように感じて、
私は自分で自分の言葉に笑ってしまいました。
子供の頃は、
「自分はこれで死ぬんだ」
と思っていた身体の痛み。
40年後にこんな風に受け入れられて、
流せるようになるとは、
思ってもみませんでした。
この痛みは長い時間をかけて、
身体に刻み込まれてしまっているので、
やっぱり何かストレスがかかった時には、
こうやって、
顔を出してきてしまうかもしれないけれど。
私、この痛みと付き合っていける。
そんな風に感じて、
息が止まるほどに痛かったはずなのに、
何だか幸せで、
思わず笑ってしまったのでした。
