私は本当に発達障害?
子供の頃に受けたマルトリートメントが、
脳を萎縮させることを知り、
自分の発達障害(ASDグレーゾーン)に、
どのような影響を、
与えているのか知りたくて、
ここ数日間、
自分の子供の頃の出来事を、
振り返っていました。
(マルトリートメントって何?という方はこちらをご覧ください)
そうしたら、自分でも忘れていた、
お母さんとの、
悲しかったエピソードなども思い出して、
そのことが、
今の自分の行動に、
影響を与えていることにも気づき、
子供の頃に、
無意識に刻まれた言葉の重みを、
感じているところです。
そして、もう1つ、感じていること。
本当に幼かった、
言葉を理解する前の私は、
「発達障害などない普通の子供だったんじゃないか?」
ということ。
赤ちゃん〜幼かった頃の私は、
とても育てやすかったと、
言っていたお母さん。
3、4歳にして、
お母さんの関心の不足を補うために、
お手伝いに励んでいた私。
それは、
お母さんの関心が、
自分にあまり向いていないと感じとって、
それに合わせた行動を、
とれる子供だった、
ということで。
そうなると、
ASD(自閉スペクトラム症)とは、
ちょっと違うような感じもしていました。
でも私はHSP(繊細な気質)の度合いも高いようなので、はっきりとは言えません。
私は本当は愛着障害?
とっても似ている「発達障害」と「愛着障害」の特徴。
(詳しく知りたい方はこちらをご覧ください)
そして、
精神科医である岡田尊司先生は、
発達障害と診断されてしまう、
愛着障害が多いことから、
こんな本も書いてらっしゃいます。
【発達障害と呼ばないで】
私は以前、診察を受けた精神科医の先生に、
「アスペルガー症候群だと思います」
と言われはしましたが、
その時は検査されなかったため、
検査が出来る心理士から、
田中ビネー検査を受け、
その検査結果から、
「ギリギリで発達障害の域に入ります」
と言われたため、
発達障害者が社会で生きていくための、
対応方法として、
ソーシャルスキルなどを、
学んできました。
けれど。
私はずっと、子供の頃から、
誰か1人でいいから私の理解者がいてくれれば私は強く生きられるのに!!
と、
たった1人の理解者を得ることを、
唯一切実な願いとして、
心の中でずっと渇望していました。
小学校中学年で、
叶うことのなかったその願いは、
手放してしまったけれど。
私がそんな願いを持っていたのは、
家庭からも小学校という社会からも、
存在を認められなかった自分を、
存在してもいいと言ってくれる場所
が、欲しかったからでした。
それはまさに、
愛着対象である相手に、
心の安全基地を求める気持ち
と同じではないかと、
通信制大学で心理学を学んでいる時に、
感じたのです。
今まで、
自分という人間を、
形作っているものの比重は、
発達障害>愛着障害
だと思っていたけれど。
本当は。
愛着障害>発達障害
なのではないか、
しかも
私の発達障害は親からのマルトリートメントが大きく影響しているのではないか
と考えるようになってきたのです。
でも、
こんなことは自分1人で考えても、
分かるものではありません。
だから私は、
大人の発達障害と、
愛着障害に詳しい精神科医の診察を受け、
大人の発達障害検査として定番である、
ウェクスラー式知能検査、
WAIS(ウェイス)を、
受けてみようか、と考え出したのでした…