愛着障害

私の受けた『田中ビネー知能検査』と『MMPI心理検査』の結果

田中ビネー知能検査の結果

昨日、自分の本当の状態を客観的に知るために、
田中ビネー知能検査とMMPI心理検査の結果を
検査を実施して下さった、
カウンセラーの先生から聞いてきました。

田中ビネー知能検査は成人の場合、知能を4つの領域

  • 結晶性知能(今までの経験を生活に応用する力)
  • 流動性知能(初めてのことに柔軟に対応できる能力)
  • 記憶(ワーキングメモリー、短期記憶から長期記憶に移行させる間の記憶)
  • 論理・推理(想像力)
    ※ 想像力についてはこちらをご覧ください。

に分け、
領域別のDIQ(年齢を加味して比較した知能指数。偏差知能指数と呼ばれる)と、
総合DIQを算出する方式だそうです。

100点を基準とし、
点数が84~116点の間であれば平均だと言われました。

これが、私の田中ビネー知能検査の結果です。

私の点数は、

  • 結晶性   109点
  • 流動性    95点
  • 記憶    106点
  • 論理・推理  83点
  • 総合DIQ 102点

全体的には、ほぼ標準の範囲内ですが、
でも一つ、
平均下限点数84点を僅かに1点下回り、
83点という、
標準に満たない点数を取ったのが、
論理・推理でした。

特に数量の推理という問題は、
私は全問不正解の0点だったそうで、
逆に私は、
あの難問が解ける人が、
そんなにいるのかと不思議に思ったのですが、

「発達障害の傾向のない人は解けます」

と心理士言われて、
私はやっぱり、
発達障害の傾向があるのだと再認識しました。

MMIP心理検査の結果

絶望する女性
MMIP心理検査も、
私は引っかかったようでした。

この検査は尺度でみるそうなのですが、
私は3つの尺度が高かったそうです。

  • 第3尺度(ヒステリー性尺度) 75点
    自己中心的で身体症状を作り上げてストレスに対処し、責任回避する。
  • 第6尺度(パラノイア尺度) 75点
    猜疑心が強い。75点以上だと被害妄想や誇大妄想が強く、恨みを抱く傾向がある。
  • 第8尺度(統合失調症尺度) 73点
    自己不信感、劣等感を持ち、自分は無能だと感じている。

そしてカウンセラーの先生が、
3-6尺度が高い人の特徴として、
次のことを教えてくれました。

  1.  緊張感や不安感を訴えることが多い。
  2.  頭痛や胃腸の不快感といった身体的な訴えを示す場合もある。
  3.  その問題は大抵、家族に対する根深い慢性的敵感情から生じている可能性がある。
  4.  しかし、こうした感情を表に出さず、自分の中にこうした敵感情があることを認めようとしない。
  5.  非協力的であって、人と折り合っていくことが難しい。
  6.  他人に対して、疑い深いところがあり、恨みがましいところがある。

カウンセラーの先生の話を聞いて、
私は自分で家族を敵だと思っている自覚があるため、
④は当てはまらないけれど、
それ以外は全て、
当てはまると感じていました。

検査結果を受けた今後の方針

機能不全家族
ここまで検査結果の説明を受けて、
カウンセラーの先生から、

「何か質問はありますか?」

と聞かれた時に、
私は何の言葉も浮かばず、
ただぼんやりと

「鶏が先なのか、卵が先なのか」

を考えていました。

私は確かに、
小学校に上がる前の小さな子供の頃から、
家族の誰にも理解されない、
自分の個性を認めてもらえない子供だった為、
家族である彼らを、
自分の生存を脅かす敵だと思っていました。

家族の中に自分の居場所は無いと感じていて、
自分で作った小さな袋に、
すぐに家を出ていけるように、
自分の大事な荷物を詰めて、
家族の中から逃げ出す機会を、
ずっと伺っていました。

子供の私が、
ただ感情のままに家を飛び出したら、
飢えて野垂れ死ぬか、
悪い大人に捕まって今より酷い状況に陥るか、
警察に捕まって家に帰され、
家の中で今よりもっと酷い目にあうか、
そんな選択肢しかないように思われた為、

「家を出ていくチャンスは1度きり。絶対に失敗できない」

と考えていました。

ただ、小学校低学年の時に、
父が長距離トラックの運転手となり家を出て、
1年に2回ほどしか家に帰ってこなくなり、
家庭内の環境が変わったため、
結局私は、
高校を卒業するまで家を出ることはありませんでした。

けれどそれは、
決して快適に過ごせていた訳ではなく、
私は度々、
病院を受診しても原因不明の胃痛や呼吸困難に襲われ、
夜も隣の部屋で寝ている兄から、

「うるさい!!」

と苦情がくるほどにうなされ続け、
手元にはお守りのように、
『完全自殺マニュアル』という本を置いて、

「大丈夫、何かあったら苦しまずに死ねる方法がある」

と自分を励まして、
何とか生きていた状態に過ぎませんでした。

父、母、兄という3人の家族の中で、
私を心配してくれる人など1人もいませんでした。

そんな私と家族との確執が、

私が発達障害グレーゾーンの子供だから起こったのか

家族との確執があったから、

私の発達障害グレーゾーンの性質が受け入れて貰えなかったのか

人の気持ちを推し量る能力に欠けている私には、
分りませんでした。

検査結果を一通り聞いた私の目から、
自然に涙が溢れた時に、

「どうしましたか?」

とカウンセラーの先生が声をかけてきました。

「いえ、何故かは分らないんですが、涙が流れてしまって」

そう私が答えるとカウンセラーの先生は、

「あなたには遠回しでなく、
はっきりと検査結果をお伝えした方が良いと思ったので」

と話してくれました。

それは確かに私の望んでいたことだったので、

「はい、その方がいいです。ありがとうございます」

と伝えました。

やはり自分が、
発達障害の境界線にいる人間なのだと、
数字としてハッキリ分ったのは、
それはそれでショックだったのですが、
今まで漠然としていて、
対応が分らなかったものの正体が分って、
これから対応策を取っていけるのだという事実は、
私を安堵させました。

少し泣いて私が落ち着くと、
カウンセラーの先生は今後の方針を話しだしました。

「大丈夫です。
発達障害は治すことは出来ませんが、
トレーニングで克服できます。
ただ、その前に、
心を落ち着かせる、
心理面の対応からやっていきましょう」

すぐに発達障害グレーゾーンを改善し、
生きやすくなりたかった私は、
その言葉に落胆しました。

そんな私の様子をみて、
カウンセラーの先生は言葉を続けました。

「今のあなたの心は、
いっぱいいっぱいで悲鳴を上げている状態です。
そんな時に発達障害を克服する訓練をしても、
いっぱい過ぎて入っていきません」

心理士にはそう言われましたが、
私はこの状態で40年以上生きてきたので、
自分が本当にいっぱいいっぱいなのか、
よく分りませんでした。

そんな私をみて、
カウンセラーの先生はまた言葉をかけてくれました。

「よく今まで頑張って生きてきましたね」

その言葉を聞いて、
また私の目に涙が溢れてきました。

私はやはりずっと、

「生きる」

ただそれだけのことがこんなに辛かったのだと、
カウンセラーの先生の言葉を聞いて感じました。

そして自分で色々考えるよりも、
専門家であるカウンセラーの先生の方針に従った方が、
早く発達障害グレーゾーンの性質を克服できると信じて、
今後の自分の発達障害グレーゾーンの改善策を、
全部委ねようと決めたのでした。