回想録

世界から孤立していた私の話15〜伯父さんの葬儀

前回からの続きになります)

2022年は、
母の入院で大変な年となりましたが、
明けて2023年は、
親戚の方々が立て続けに鬼籍に入るという出来事で、
大変な年となりました。

この年の5月には、
毎年、必ず、
お盆とお正月の挨拶に伺っていた、
伯父さんが亡くなったと、
朝の9時前に従姉妹から連絡があったため、
私はすぐに、
伯父さんの家に駆けつけようとしたのですが、
職場に伯父が亡くなったため、
早退したいことを伝え、
どうしても急ぐと言われた仕事を、
全て片付けて、
職場から車で1時間強の距離にある、
伯父さんの家に駆けつけることが出来たのは、
午後5時前でした。
(ちなみに昼食も摂らずに働いています)

この時にはさすがに、
母と距離を取りたいなどどは言っておられず、
私は母の家に泊まって、
翌日の通夜や、
翌々日の告別式に、
母を自分の車に乗せて、
母と一緒に参加しました。

母と一緒に葬儀に参加するのは、
私にとってもありがたいことでした。

中学生の頃、
担任教師から家庭訪問で、
変わっていると言われ続けていた私は、
やはり、親戚の間でも、
関わりたい人間とは、
あまり思われていなかったようで、
この亡くなった、
伯父さん家族以外の親戚とは、
私は30年以上、
ほとんど顔を合わせておらず、
母がいなければ、
葬儀に集まっていた親戚達が、
誰なのかさえ、
全く分かりませんでした。

それは高校を卒業後、
他県の大学に進学し、
大学のある県に就職してから30年以上、
帰省しても実家にしか顔を出さなかった、
兄も同じだったようで、
私から、
伯父さんが亡くなった連絡を受けた兄は、
遠くに住んでいたため、
告別式だけ参加したのですが、
私が足の不自由な母の分も受付を済ませて、
参列者の席に向かうと、
私より少し遅れて受付を行ったけれど、
自分の分だけだったため、
私より早く受付を済ませた兄が、
母の隣の席に座っていました。

兄は他県に就職するまでは、
親戚のおじさん達にも可愛がられており、
親戚が集まるような場所で、
母のそばに居ることは無かったため、
自分が不義理をしていて、
おじさん達の中に居場所が無くなったからと、
それまで私が居た場所である母の隣に、
当然のように座っている兄に、
若干、腹が立ちましたが、
自分を蔑ろにされた出来事から、
母と距離を取ろうとしていたくせに、
知らない親戚達の中で身の置き所が無いからと、
また、母の隣にいようとする私も、
虫がいいのは兄と同じだ、と考え、
私は黙って、
ある懸念を抱えながら、
母の分の香典返しまで一緒に持って、
空いていた母と兄の後ろの席に座りました。

そして、その、
私の抱えていた懸念は、
見事に的中しました。

今まで母の傍に居ることなく、
母に対する細かな気遣いなどしてこなかった兄は、
告別式の最中、
故人に対する焼香を促されると、
歩くのが不自由な母を顧みることなく、
さっさと自分1人で、
故人の前に設置されたご焼香台に、
歩いていってしまったのです。

(やっぱりか)

予想通りの兄の行動に、
私は本来なら席順通りに立ち上がるはずの、
ご焼香の順番を飛び越して、
迅速に母の後ろの席から立ち上がり、
椅子からヨロヨロと立ち上がろうとしていた、
母の手を取り、
母と一緒にご焼香に向かいました。

こんな厳かな場所でのマナーを、
酷く気にしてしまう私でしたが、
幸いなことに、
私が顔をよく知らない周囲の親戚達は、
私が母の娘だということを認識してくれていて、
逆に私に母のサポートをするよう、
促してくれたため、
私は気に病むことなく、
これらの一連の行動を取ることが出来ました。

兄はそんな私の姿をみて、
母が歩くのに支えが必要だったのだと、
その時、初めて知ったようでした。

この出来事から数ヶ月後、
別な親戚の葬儀で、
やはり母と兄が隣に座り、
やはり母の受付まで一緒にしていた私が、
母の近くに席が空いていなかったため、
少し離れた席に座った際も、
また兄は、
母を置いてご焼香に向かおうとしたため、
私がまた、
前回のように、
母を支えようと立ち上がった際は、
兄はそんな私の気配に気付いて、
自分が母を支えようとし、
母もまた、
私が出した手ではなく、
兄の手を取って、
歩き出しました。

そして、ある時の、
別な親戚の葬儀では、
兄は何を思ったのか、

「会社で余ってたから持ってきたんだけど、
俺は誰が誰か分からないから、
じゅんから渡してくれないか?」

と、
自分の勤める会社の商品が大量に入った紙袋を、
私に渡してきました。

その紙袋の中に入っていたのは洗剤で、
何で故人の死を悼む場所で、
私がそんなことをしなきゃいけないんだ、
とイラつきましたが、
結局、私は兄から紙袋を受け取り、
最近、親戚の葬儀が立て続けに起こって、
顔を合わすことが増えたため、
ようやく顔と名前が一致するようになってきた、
そこまで親しくはない親戚達に、

「こんな場にすみません、兄が何か持ってきて…」

と洗剤を配り歩きました。

後から考えたら、
嫌だったら断ればいいのに、
何で兄の、
そんな非常識なお願いを聞いてしまったのかと、
自分にもイラついたのですが。

よくよく、自分の心の中を覗いてみると。

子供の頃は、兄の方が親戚達に可愛がられていて、
そのことを羨ましく思っていた私が、
今は親戚達と(親しくはないにしても)、
兄より面識があるという優越感と。

母が。

母の傍で母を気遣い、
母の葬儀の受付や会場までの移動を担い、
母がご焼香に向かう際に、
よろけた母に、
先に手を伸ばした私ではなく、
後から母に助けが必要だと気付いて出した、
兄の手をとった時。

私は。

母にとっては簡単に、
兄にすげ替えられる存在なのだという、
自分の存在の軽さを自覚して、
虚しくなっていた時に、
兄から頼られた、という事実が嬉しくて。

兄のお願いを聞いてしまったのだ、
と気付き。

そんな、
自分の兄に対する虚栄心と、
自分で自分の存在価値を認められなくて、
嫌っている相手からでさえ、
頼られることに喜びを感じてしまう、
自分の悲しい愛着障害者の性を、
このままにしておいてはいけない、と感じ。

私は人に利用される自分から脱却するために、
少しずつ、
行動を起こし始めたのでした。

世界から孤立していた私の話16〜初めての美術展入賞を母へ報せた結果に続きます。