(前回からの続きになります)
娘からLINEで連絡がきた10分後頃に、
兄から電話がかかってきました。
「(私の娘の名前)から電話するように言われたんだけど」
そう切り出した兄の口からは、
やはり、
入院した母を心配するような言葉も、
母の入院に奔走した私を労うような言葉も、
出てくることはありませんでした。
私は疲労困憊していて、
心身共に余裕が無かったことも手伝ってか、
電話を掛けてきて、なお、
話を聞くのさえ人任せな兄の態度に、
内心かなり苛立っていましたが。
病院の医師から告げられた母の病状が、
身体障害や死を想起させる内容で、
かなりショックだったことと。
そんなに重い病状でありながら、
自分以外、
病院に駆けつけた母の家族が、
いなかったという理由から、
母の今後の治療方針について決定する
という重い決断を、
私が1人で行わなければならなかった重圧を、
同じ"母の子供"という立場の兄と分かち合い、
同意を得たかったという想いと。
長男だからと両親に大切にされてきて、
その自負もある兄から、
母の入院に関して何かトラブルが起こった時に、
私の一存で勝手に決めたからだと、
非難されたら堪らないという思いから。
自分が医師に言われた内容を、
出来るだけ、
そのままの形で伝えるように配慮しながら、
兄に次の内容を話しました。
- 母が脳梗塞の症状が出てから、1日我慢してしまったことで、発症から4時間30分以内に受診していれば使えた、脳内に出来た血栓を溶かす血栓溶解療法が使えなかったこと。
- やはり発症から1日以上経過しているため、脳血管内の治療も出来ないこと。
- 現在の状況では、点滴や投薬で、残っている機能を維持する保存的治療しか出来ないこと。
- 小脳は手や足の運動機能に携わる脳であり、どのような運動に影響が出るかは今後の様子を見ないと分からないこと。
兄に話した内容は、
脳腫瘍の疑いがあることを省いた以外、
先に母の容態を聞いてきた娘に伝えていた内容と、
同じものでしたが、
リアクションは全く違ったものでした。
母の脳腫瘍疑いについては、あまり母の病状を心配していない兄に、確定していない病気を話しても仕方がないと思い、敢えて伝えませんでした。
母が体を動かせるのか、
会話は出来るのか、
心配していた娘と違い、
私から母の病状を聞いた兄は、
こともなげに、私にこう言い放ちました。
「2、3ヶ月で退院出来るんだろ?」
とても軽く発せられた、
兄のこの言葉に、
私は自分の耳を疑い、
心の中で即座にこう、反論していました。
だから?
退院出来るなら大丈夫、
とでも言いたげな兄の口調に、
私は自分の理解が追いつきませんでした。
退院してきて障害があった場合、
母の面倒を誰がみるの?

母の病気が脳梗塞と聞いて、
私が一番に心配したのは
"母に障害が出ること"でした。
現在、母は一人暮らしで、
私も車で1時間半強かかる場所に1人で住んでいて、
1日12時間以上働いているため、
とても同居して、
障害のある母の面倒を見ることなど出来ません。
母が病院に入院している間なら、
安心して母の面倒を見てもらうことが出来るため、
今と同じ生活を続けることが出来ますが。
母に介助が必要な障害が残った場合、
2、3ヶ月程度の猶予期間で、
退院後の母の面倒を見る準備など、
私には出来ません。
そうやって。
叔父さんや医師から、
母が脳梗塞と言われた私は、
母の入院だけでなく、
その後の生活のことまで含めて、
心配しているのに。
兄は母の入院に際し、
私の娘から私に電話するように言われるまで、
母の詳しい病状を私に確認してくることさえ、
しなかったくせに。
母の今回の入院で、
最初に母から、
「具合が悪いから病院に連れて行って欲しい」
と連絡を受けた叔父さんも、
その叔父さんから連絡を受けた従姉妹も、
兄に連絡することが無かったからといって。
私は当然、自分に連絡がきた時点で、兄にも連絡がされていると思っていたため、叔父さんから兄には知らせていないと言われるまで、兄も病院に駆け付けると思っていました。
私と兄では、
母が入院した病院までの車での距離は、
私は1時間強、
兄は3時間強(高速利用)で、
確かに私の方が距離的には近く、
兄は遠くの県に家を構えてしまっているから、
といって。
兄は母の入院について、
無関係というはずはない、のに。
どうしてそんなに、
他人事な態度でいられるのですか?
母を心配していない様子の兄の言動が、
私には全く理解出来ず。
兄に、
もっと母の病状に対する心配をして欲しくて。
私は先ほどは、
未確定のため敢えて省いた、
母の脳腫瘍疑いの話題を、
兄に伝えることにしました。
もし母が本当に脳腫瘍だった場合、
脳腫瘍は脳梗塞よりも、
生命に関わる可能性が高い病気であるため、
もしかしたら兄も、
もっと真剣に、
母の病気のことを考えてくれるのではないか、
と思ったからでした。
私は2、3ヶ月で退院出来る病気など、
大したことは無いと思っている口調の兄に、
次のように伝えました。
「叔父さん達には確定していないので伝えてませんが、
お母さんは脳腫瘍の疑いもあるそうです」
とても大切な情報として伝えた私の言葉は、
けれどやはり、
兄の興味を引くことはありませんでした。
「疑いだろ?」
何でもないことのようにサラッと言う兄に対して、
医師からこの言葉を告げられた時に、
母の死を感じて、
恐怖した自分とのあまりの落差を感じた、
私の心の中には。
この人はダメだ
という思いが一挙に広がり、
その思いは止まることを知らないまま、
ずっと言うのを躊躇っていた言葉を、
私の口から吐き出させました。
「何も言わないからこちらから言わせてもらいますが、
私に請求が来ることになってるお母さんの入院費用、
折半してもらっていいですか?!
入院に必要な物も全部私が購入して、
急に入院したから家の片付けも下着の洗濯も私がやってます!
お母さんが入院している間の家の管理も必要です!!
そういう費用も半分負担してもらっていいですか?!」
私と兄は特に、
仲が良くない兄妹だったため、
特にお金については、
言い出しにくい内容でした。
だから、
一人暮らしで生活に余裕もあることだし、
私は母の入院に係る費用は、
自分1人で負担しようと思っていました。
でも兄が、
自分からは何一つ行動していなくて、
実情を知らないくせに、
母の入院を大したことでは無いと、
高を括っている様子が、
腹が立ってたまりませんでした。
そして、
私が兄に今回の母の入院について、
何も役目を振らなければ、
この人は私が、
苦労していたことにも気付かず、
母の入院は、
本当に大したことでは無かったと、
思ってしまうに違いない
と考えると、
せめてお金の負担くらいはしてもらわないと、
やってられない、
と思いました。
私の言葉に兄は、
「分かりました、必要な額を請求してください」
と言って、
電話を切りました。
けれど、この言葉が。
私を苦しめることになってしまうのでした…
世界から孤立していた私の話6〜簡単に割り切れないASDの特性とゼロヒャク思考に続きます。