うつ病生活

世界から孤立していた私の話6〜簡単に割り切れないASDの特性とゼロヒャク思考

前回からの続きになります)

母の入院に対して心配する様子もなく、
あまりに他人事な、
兄の態度に溜まりかねて、

「母の入院費用や、かかるお金を折半してください!!」

と兄に言い、

「分かりました、必要な額を請求してください」

と兄から言われた私でしたが、
この私の提案は、
私のことを大いに苦しめる結果となりました。

それは、なぜかと言うと。

元々、ASDの、

細かいことも正確に行いたい

という特性を持ち合わせており。

子供の頃に、

父親に自分のお金を当てにされる

という経験をし。

さらに社会人になって、
お金を扱う業務に長く携わってきた私は。

概算で計算するといった行為は、
非常に苦手であり。

まして、それが、
自分の苦手な相手(兄)に請求する金額ならば、
後に禍根を残したりしないように、

相手に疑義を抱かせないような、
根拠のしっかりした、
請求でなければならない

という考えを、
持っていたからでした。

そのため、
病院から請求書が届く、
入院費の支払いなどの折半は良かったのですが。

母のための物品を購入した際に、
合わせて購入した自分の物を、
購入したレシートから抜いて再計算する際、

「これは軽減税率対象だから消費税率は8%で、
これは標準税率だから10%で…」

と適用税率を勘案して再計算したり。

毎週末に母の家の管理のために帰省する際の、
ガソリン代と、
普段、自分の用事で使う際のガソリン代を、
給油した時のレシートと走行距離から、
算出したり。

まして、母が入院する際に、
病院から指定された必要な物品とは別に、

「入院している間に暇だった時のために、
これも持たせてあげよう」

と、
母が好きだったクロスワードの、
本と筆記具を購入した費用や。

母の家の冬支度を片付けた際に、
傷んでいたコタツ布団の代わりに、
新しく購入したコタツ布団は、
折半の対象にした方が良いのか。

等々、
かなり細かいところで悩んでしまい。

そんなことを考えながら、
費用の折半の計算をしていたら、
その事務作業だけで大変な労力を時間を必要とし。

そして、
そんな作業を続けているうちに。

細々と必要経費を折半することで、
兄が私と同じように、
自分も母の入院に貢献していると、
思われるのは嫌だ

という思いが、
私の頭の中を占めるようになりました。

なぜなら。

母が入院している間に、
行わなければならないことは、
けっしてお金に換算出来るような、
ものばかりではなく。

むしろ。

病院の用事を済ませるために、
仕事を休んでしまったため、
その皺寄せが次の出勤日に押し寄せて、
昼休みも働く羽目になってしまったり。

伸びてきた家の庭の草むしりを、
毎週末に何時間も行って怪我をしたり。


(掃き出し窓の下まで迫ってきていた雑草達)


(この草のトゲは凄く硬くて、ゴム手袋を突き破ってきて、トゲが指に刺さりました)

神棚とお仏壇の、
お供えを毎週末替えたり。


(仏壇に供える花瓶は1対となっているため、お花も2束購入します)

母が頼んでいた生協や新聞や栄養食品の、
定期配達の調整を行ったり。
(連絡先を調べるところから始まりました)

未払いの請求書をコンビニに払いに行ったり。
(母からの依頼電話あり)

母の家に届いた郵便物の中から、
急ぎで対応が必要なものは無いか確認して、
必要であれば病院に届けたり。

母の家の来訪者や、
内容の分からない宅急便に対応したり。

毎週末、
母の家に行って色々なことをやりましたが。

とにかく肉体労働を含め、
やることが色々あって大変だったため。

ある程度のお金を払って、
誰かがやってくれるなら、
その方がラク

だと感じていました。

兄の母の入院に対する、自分の労力を割くことなく、必要経費を適正に相手に折半してもらい、請求された金額を支払うというスタンスは、まさに私の理想の立ち位置でした。
そして自分で言うのもなんですが、私は特性と生い立ちと業務経歴上、ぼったくり請求が出来ない理想の折半費用請求者でした。​

でも、こういう家事って、
ひとに頼めるようなものではありません。

草取り位なら頼めたかもしれませんが、母の家は田舎のため、便利屋さんの派遣地域からも遠く、私も週末は必ず母の家に行っていたものの、元気が出てきたら行く形で時間を決めていなかったため、外注は難しい状態でした。

だから私は、結局、
母が退院するまでの6カ月間、
(実際の入院は2、3ヶ月ではありませんでした)
週末に母の家を訪れて、
自分の労働力をもって、
母の家の維持管理を行なっていたのですが。

平日、遅くまで働いていながら、
週末に母の家の業務をこなすという生活を、
半年の間、頑張れたのは。

やっぱり、
何度、母の言動に傷ついたとしても

それでも私が母のことを大切に思う気持ちは、
無くならなかったからでした。

そして。
自分のそんな思いとは反対に。

兄が母の入院を軽く考えているのがイヤで、
自分から兄に、
母の入院に係る費用の折半を申し出たけれど。

私が毎週末に行っている家事労働は、
金額換算基準があるようなものではないため、
兄に費用の請求をすることは、
私には出来なくて。
(明確な基準が無いと請求出来ないASD特性)

でも、これは間違いなく、
母の入院に際して発生したもので。

この労働を費用折半の請求対象としなければ、
私がこれだけの労力と時間を費やした家事労働を、
兄が無かったことにしてしまうだろうと考えて、
そのことに耐えられなかった私は。

兄がワザと私の家事労働を無視すると言っているのではなく、母の入院に際して、私の方から入院費用の話をしなければ、何も気付かず、自分から何も言い出して来なかった、気の利かない兄が、自分から私が無償で行っていた家事労働に気付くとは、思えなかった、という意味です。


兄に頼ることなく、

母の入院に係る一切の面倒は、
私がみよう
(多分、ここにASDのゼロヒャク思考が現れていると思われます)

という考えに至り。

兄から何回か折半額の問い合わせが来ても、

「全てが終わってから精算するから待ってください」

と返事をし。

母の入院に係る費用を、
全部自分の懐から捻出するために、
食費を削る等の徹底した節約行動を、
兄と顔を合わせる日まで、
続けることになったのでした。

世界から孤立していた私の話7〜それでも私が自分のためにやっていたことに続きます。