私の成育歴の記事一覧は、愛着障害に関する成育歴にあります。
前回の記事はこちら→マルトリートメントと私31.普通を教わる小学生
※自分の記憶に基づいて書いているため、事実と違っている可能性があります。
【性的な話が含まれますので、苦手な方は読まないでください】
父が"弟か妹が欲しいか?"と、
私達兄妹に聞いてきた後くらいでしょうか?
父が私と家に2人きりになると時々、
母との性的行為のことを、
私に話してくるようになりました。
元々父は、私達子供の前でわざと、
母に無理矢理キスするといった、
行為を行う人ではあったのですが、
そこには父の、
「俺は母さんを自分の思い通りに出来るんだ」
といった自己アピールが含まれていたため、
いやらしいというよりはむしろ暴力的で、
決して私に対して、
母との性的行為の内容を話す時のような、
隠秘な感じはありませんでした。
さらに父は兄に対しては、
母との性的な話を、
聞かせていないようだったため、
父が私に母との性的行為を話すのは、必ず私と2人だけの時でした。
父が私に話す母との性的行為の話は余計、
聞いてはいけない背徳感を、
私に味あわせていました。
私は父の口から、
母とのそのような話を、
聞きたくはありませんでしたし、
その話を私に聞かせる時の、
父の下卑た笑い方が嫌いでした。
その笑い方は過去に時々、
私自身にも向けられたものでした。
私は顔にホクロがあるのですが、
父が私のホクロを見て母に、
「じゅんのホクロはいやらしい位置にあるから、きっといやらしい女になるぞ」
と言ったり。
家で飼っていた犬が、
小さかった私の肩に、
背後から前脚を乗せてきて、
おぶさってきた犬の重さに、
私が倒れそうになっていた時に、
父は私を助けるでもなく兄に対して、
「おい、見てみろ。あれは犬の求愛行動で、じゅんに交尾をしようとしてるんだぞ」
と言ったりしていたのですが、
その時の父の笑い方は本当にゾッとする、
歯をむき出した、
いやらしい笑いをしていました。
私は父にそんな顔を向けられるのが、
本当に嫌だったのですが、
小学校3年生の私には、
自分のそんな気持ちを、
言葉に表現する能力もなく、
そんな気持ちを伝えられる相手も、
いなかったため、
私は1人でそのおぞましい感覚に、
じっと耐えるしかありませんでした。
父が母との性的行為の話を私にする時も、
私は体を固くして、
この嫌な時間が、
早く過ぎることだけを祈りながら、
ただじっと、
黙って聞いているだけだったのですが、
ある時一度、
父に背後から、
抱き寄せられたことがありました。
それは私が小学校から家に帰ってくると、
すでに何故か父が家にいて、
居間に2人きりになった時のことでした。
父は居間にあるコタツに座っていて、
私は父が座っている場所から1番遠い、
父の正面の位置に、
小学校の制服のまま座りました。
父に話しかけられるのが嫌だった私は、
コタツの中に潜り込んで、
寝たふりをしようとしたのですが、
父はなぜか、
自分が座っていた場所から立ち上がると、
私の背後に移動して、
同じようにコタツに潜り込み、
私の体に触れながら、
私の耳元に口を寄せて話しかけてきました。
「なぁ、コタツの敷布団が何で変わってるか知ってるか?」
それは少し愉快そうでありながら、
けれど誰かの秘密を暴露する時のような、
意地悪な感じが込められた言い方でした。
私も今朝、起きてきた時に、
コタツの敷布団が変わっていたことに、
気づいたのですが、
母が汚れていたから洗濯した、
と言っていたため、
私はそのことに対して何の疑問ももたず、
そんなことよりも私は、
父親に背後から体に手を回されて、
耳元で囁かれるという行為のおぞましさに、
身を固くしながら、
首を横に振るのが精一杯でした。
父はそんな私の態度が嬉しかったのか、
得意げに言葉を続けました。
「昨日の夜ここで、俺が母さんと子供が出来るような、
いいことをしようとして、
母さんの下着を脱がせたら、母さんが生理中でな、
その血がコタツ布団に、広がってしまったんで、
母さんは急にコタツ布団を洗濯したんだ」
それは母が、
私達子供に聞かせたくなくて、
黙っていた理由で、
もちろん私も、聞きたくは無い内容でした。
けれど父は、
そんな私の気持ちにお構いなく、
「どうしたら子供が出来るか知ってるか?」
と言いながら、
恐怖で身が竦んで動けない、
私の耳元で楽しそうに、
母がどんな様子で、
父がどんなことをしたのかを、
私に話して聞かせました。
正直、小学校3年生の私には、
父の話す内容は、
ほぼ理解出来なかったのですが、
嫌がりながらも喜んでいた(と父には見えた)、
母へ行為に及んだという、
父の卑猥な言い方や笑い方と相まって、
性的なことに対する嫌悪感だけは、
ずっと私の心の中に残ったのでした。