私の成育歴

マルトリートメントと私32.変わってきた父の態度

娘と父親
私がなぜ、自分の生育歴を振り返るようになったのかは、私が自分の成育歴を振り返ることにした理由をご覧ください。
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※自分の記憶に基づいて書いているため、事実と違っている可能性があります。

【性的な話が含まれますので、苦手な方は読まないでください】

父が"弟か妹が欲しいか?"と、
私達兄妹に聞いてきた後くらいでしょうか?

父が私と家に2人きりになると時々、
母との性的行為のことを、
私に話してくるようになりました。

元々父は、私達子供の前でわざと、
母に無理矢理キスするといった、
行為を行う人ではあったのですが、
そこには父の、

「俺は母さんを自分の思い通りに出来るんだ」

といった自己アピールが含まれていたため、
いやらしいというよりはむしろ暴力的で、
決して私に対して、
母との性的行為の内容を話す時のような、
隠秘な感じはありませんでした。

さらに父は兄に対しては、
母との性的な話を、
聞かせていないようだったため、

父が私に母との性的行為を話すのは、必ず私と2人だけの時でした。

父が私に話す母との性的行為の話は余計、
聞いてはいけない背徳感を、
私に味あわせていました。

私は父の口から、
母とのそのような話を、
聞きたくはありませんでしたし、
その話を私に聞かせる時の、
父の下卑た笑い方が嫌いでした。

その笑い方は過去に時々、
私自身にも向けられたものでした。

私は顔にホクロがあるのですが、
父が私のホクロを見て母に、

「じゅんのホクロはいやらしい位置にあるから、きっといやらしい女になるぞ」

と言ったり。

家で飼っていた犬が、
小さかった私の肩に、
背後から前脚を乗せてきて、
おぶさってきた犬の重さに、
私が倒れそうになっていた時に、
父は私を助けるでもなく兄に対して、

「おい、見てみろ。あれは犬の求愛行動で、じゅんに交尾をしようとしてるんだぞ」

と言ったりしていたのですが、
その時の父の笑い方は本当にゾッとする、
歯をむき出した、
いやらしい笑いをしていました。

私は父にそんな顔を向けられるのが、
本当に嫌だったのですが、
小学校3年生の私には、
自分のそんな気持ちを、
言葉に表現する能力もなく、
そんな気持ちを伝えられる相手も、
いなかったため、
私は1人でそのおぞましい感覚に、
じっと耐えるしかありませんでした。

父が母との性的行為の話を私にする時も、
私は体を固くして、
この嫌な時間が、
早く過ぎることだけを祈りながら、
ただじっと、
黙って聞いているだけだったのですが、
ある時一度、
父に背後から、
抱き寄せられたことがありました。

それは私が小学校から家に帰ってくると、
すでに何故か父が家にいて、
居間に2人きりになった時のことでした。

父は居間にあるコタツに座っていて、
私は父が座っている場所から1番遠い、
父の正面の位置に、
小学校の制服のまま座りました。

父に話しかけられるのが嫌だった私は、
コタツの中に潜り込んで、
寝たふりをしようとしたのですが、
父はなぜか、
自分が座っていた場所から立ち上がると、
私の背後に移動して、
同じようにコタツに潜り込み、
私の体に触れながら、
私の耳元に口を寄せて話しかけてきました。

「なぁ、コタツの敷布団が何で変わってるか知ってるか?」

それは少し愉快そうでありながら、
けれど誰かの秘密を暴露する時のような、
意地悪な感じが込められた言い方でした。

私も今朝、起きてきた時に、
コタツの敷布団が変わっていたことに、
気づいたのですが、
母が汚れていたから洗濯した、
と言っていたため、
私はそのことに対して何の疑問ももたず、
そんなことよりも私は、
父親に背後から体に手を回されて、
耳元で囁かれるという行為のおぞましさに、
身を固くしながら、
首を横に振るのが精一杯でした。

父はそんな私の態度が嬉しかったのか、
得意げに言葉を続けました。

「昨日の夜ここで、俺が母さんと子供が出来るような、
いいことをしようとして、
母さんの下着を脱がせたら、母さんが生理中でな、
その血がコタツ布団に、広がってしまったんで、
母さんは急にコタツ布団を洗濯したんだ」

それは母が、
私達子供に聞かせたくなくて、
黙っていた理由で、
もちろん私も、聞きたくは無い内容でした。

けれど父は、
そんな私の気持ちにお構いなく、

「どうしたら子供が出来るか知ってるか?」

と言いながら、
恐怖で身が竦んで動けない、
私の耳元で楽しそうに、
母がどんな様子で、
父がどんなことをしたのかを、
私に話して聞かせました。

正直、小学校3年生の私には、
父の話す内容は、
ほぼ理解出来なかったのですが、
嫌がりながらも喜んでいた(と父には見えた)、
母へ行為に及んだという、
父の卑猥な言い方や笑い方と相まって、
性的なことに対する嫌悪感だけは、
ずっと私の心の中に残ったのでした。

マルトリートメントと私33.父とお風呂でしていたことに続きます。