私の成育歴の記事一覧は、愛着障害に関する成育歴にあります。
前回の記事はこちら→マルトリートメントと私32.変わってきた父の態度
※自分の記憶に基づいて書いているため、事実と違っている可能性があります。
【性的な話が含まれていますので、苦手な方は読まないでください】
私が小学校2年生の終わり頃までは、
1歳上の兄と一緒に、
お風呂に入っていたのですが、
私が小学校3年生になる頃には、
兄は妹と一緒に、
お風呂に入るのは嫌だといって、
兄と私は別々に、
お風呂に入るようになっていました。
兄と私が、
別々にお風呂に入るようになって以降、
父は時々、
兄と一緒にお風呂に入っていましたが、
父に要らないと言われていた私が、
父と一緒にお風呂に入ることは、
ありませんでした。
その当時の我が家はそれほど大きくなく、
お風呂場も土建業の現場で働いていた、
父と母が手作りした、
土間の一画を区切って、
コンクリートを塗り固めただけの造りで、
仕切りはビニールシートのみだったため、
父と兄のお風呂場での会話は、
居間に1人でいる私にも、
聞こえてきてしまっていました。
父と兄が楽しそうに会話をしているのを、
私はいつも1人でいる居間から、
羨ましく聞いていました。
母は大抵その時間、夕飯の準備をするために台所にいました。
けれど、それからしばらくして。
何を思ったのか父が、
「じゅんと一緒に風呂に入る」
と言い出しました。
父と兄が楽しそうに話しながら、
お風呂に入っているのを、
羨ましく感じていた私だったのですが、
それは仲の良い家族に憧れていたからで、
決して父と一緒にお風呂に入りたいと、
考えていた訳ではありませんでした。
しかし父が怖くて、
父に逆らうことが出来なかった私は、
父と一緒にお風呂に入ることになりました。
けれど父と2人でお風呂に入っても、
何を話していいか分からず、
父に背を向けて、
一緒に湯船に浸かっていたところ、
父に脇の下から手を入れられ、
父と向かい合うように、
座らせられました。
どうしていいか分からなかった私に、
父は自分の性器を指し示して、
「お前の◯◯◯と違うだろう。触ってみるか?」
といったことを言われました。
本当は私は触りたくなど無かったのですが、
父が触って欲しそうにしていたため、
私は父の機嫌を損ねるのが怖くて、
ちょうど父に、
湯船の中で持ち上げられていた自分の足先が、
父の性器の上にあったので、
私は父の性器に、
興味があるかのような振りをして、
父の性器を足先でチョンチョンと触りました。
そうすると父の性器は、
みるみる大きくなってきて、
父の顔がご機嫌に変わっていったため、
私は父の性器の変化がさも楽しいように、
ずっと父の性器を足先で触って、
父を喜ばし続けました。
(手で触ることは何とか回避しました)
その行為は父が満足して、
お風呂から上がるまで続き、
父が先にお風呂から上がってくれた時は、
私は父のご機嫌を損ねなかったと、
心からホッとしたのですが、
お風呂場の横にあった、
台所で料理を作っていた母に、
父が言った言葉が聞こえてきて、
私は本当に泣きたくなりました。
「じゅんは風呂に入ってる間ずっと、俺の◯◯◯◯で遊んでいたんだ。
本当にあれはイヤラしい女だ」
私にとっては、
父と一緒にお風呂に入ることも、
父を喜ばすために、
父の性器を刺激し続けることも、
全て自分から望んで行ったことではなく、
父が怖くて、
嫌々行っていた行為でした。
それなのに父から、
しかも母に向けてそんな言葉を言われて、
私はとてもショックを受けました。
"娼婦"という言葉が頭に浮かびました。
性の知識もろくにない小学校3年生には、
娼婦が具体的にどよのうな行為を行うのかは分かりませんでしたが、
このような行為なのだろうと思っていました。
母は父から言われたそのことについて、
私にも何も言いませんでした。
そして、父は。
それから毎日、
私と一緒にお風呂に入りたがるようになり。
父が怖くて何も言えなかった私は、
お風呂の中で父を喜ばす行為を、
し続けたのでした…
マルトリートメントと私34.父に触られた体に続きます。