私の成育歴の記事一覧は、愛着障害に関する成育歴にあります。
前回の記事はこちら→マルトリートメントと私33.父とお風呂でしていたこと
※自分の記憶に基づいて書いているため、事実と違っている可能性があります。
【性的な話が含まれますので、苦手な方は読まないでください】
父が怖くて嫌だと言うことが出来ずに、
父と毎日一緒にお風呂に入って、
父を喜ばすために、
父の性器を刺激するといった行為を、
繰り返していた私でしたが、
唯一の救いは、
その当時の我が家のお風呂は手作りで、
他の部屋との仕切りは、
吊り下げられたビニールシートだけであり、
浴槽がかなり深かったということでした。
父は自分の性器に対する刺激を、
私の足ではなく、
手でして欲しかったようでしたが、
父と私が2人で浴槽に浸かると、
お湯が浴槽の縁まで溢れてくるため、
子供の私の手を父の性器に触れさせるには、
私が少しお湯に潜るか、
父が腰を持ち上げなければならず、
扉さえないようなお風呂場で、
もし、母が何かの拍子に、
扉がわりのビニールシートをめくって、
そんな姿をウッカリ母に見つかったら、
言い逃れが出来ないため、
父は条件が揃った時以外は、
(お風呂のお湯が少ない等)
私に手で触ることを求めてきませんでした。
(浴槽が深くて触れない演技もしていました)
けれどそろそろ、
そんな刺激だけでは、
父は満足出来なくなってきたのでしょう。
いつもは私が父の性器を刺激して、
満足すると父は先にお風呂を上がるのに、
その日は一向に、
父がお風呂を上がる気配がありませんでした。
それどころか、
「じゅんはまだ風呂から上がらないのか」
と言ってきました。
私はいつもと違う父の様子に、
身の危険を感じていました。
我が家の浴槽は深く、
父の方を向いたまま浴槽から出るためには、
私は父の前で股を大きく広げて、
浴槽を跨ぎ超えるしかありませんでした。
我が家のお風呂場は手作りのため、
コンクリートで固めた床に浴槽が置いてあるだけの代物で、
浴槽の縁から床までかなり高さがあり、
子供がお風呂に入るにも出るにも、
かなり大変でした。
父が私が浴槽を跨ぎ超えるのを、
狙っている気配を感じとっていた私は、
「まだ上がりたくない」
と言い続けていましたが、
父の機嫌がどんどんと悪くなり、
私は意を決するしかありませんでした。
なるべく素早く浴槽を跨ぎ超えようと、
「じゃあ、上がる」
と言ってすぐに股を広げたのですが、
やはり、
ずっと狙っていた父の手からは逃れられず、
私は自分の性器の部分を、
父の手で触られてしまいました。
来るとは分かっていたものの、
私は自分の父から性器を触られたショックで、
大声で泣きだしてしまいました。
私の泣き方が異常なのを察した母が、
お風呂場の隣の台所から顔を出しました。
「どうしたの!?」
母にそう問いかけられても、
お風呂場のコンクリートの床に、
座り込んで泣いている私は、
あまりのショックにただ泣くだけで、
今現在起こった出来事を、
母に話すことも出来ず、
父はそんな状況が気に食わなかったのか、
乱暴に浴槽から立ち上がると、
泣いている私の横を無言で通り過ぎ、
母の隣まで行くと、
「俺がこいつの◯◯◯を触ったら泣きだしやがったんだ!!」
と、
吐き捨てるように言って立ち去りました。
母はそんな父に、
何か言葉をかけたようですが、
父は怒るばかりのようでした。
私はその間、
父に触られた体の一部が気持ちが悪く、
ただただおぞましさで泣き続けていました。
母は父に言葉が通じないと分かると、
すぐに私の元に戻ってきて、
火がついたように泣き続ける私に、
こう怒鳴りました。
「お前もそれくらいのことで泣くな!!」
私は母のこの言葉に衝撃を受けました。
母から、
「それくらいのこと」と言われた行為は、
理性よりも本能でおぞましく感じる行為で、
私はその時もまだ、
父に触られた箇所が、
気持ち悪くてたまりませんでした。
けれど、母にそう怒鳴られて、
お風呂場のコンクリートの床の上に、
1人取り残されてしまった私は。
何とか自分1人で、
感じている気持ち悪さをなだめて、
泣き止んで、
お風呂から上がるしかありませんでした。
「この家に私の味方はいないのだ…」
何度も何度も噛み締めてきたこの思いを、
私は改めて感じることしか、
出来ませんでした…
マルトリートメントと私35.ゾッとした父の発言に続きます。