私の成育歴

マルトリートメントと私34.父に触られた体

お風呂上りの少女
私がなぜ、自分の生育歴を振り返るようになったのかは、私が自分の成育歴を振り返ることにした理由をご覧ください。
私の成育歴の記事一覧は、愛着障害に関する成育歴にあります。

※自分の記憶に基づいて書いているため、事実と違っている可能性があります。

【性的な話が含まれますので、苦手な方は読まないでください】

父が怖くて嫌だと言うことが出来ずに、
父と毎日一緒にお風呂に入って、
父を喜ばすために、
父の性器を刺激するといった行為を、
繰り返していた私でしたが、
唯一の救いは、
その当時の我が家のお風呂は手作りで、
他の部屋との仕切りは、
吊り下げられたビニールシートだけであり、
浴槽がかなり深かったということでした。

父は自分の性器に対する刺激を、
私の足ではなく、
手でして欲しかったようでしたが、
父と私が2人で浴槽に浸かると、
お湯が浴槽の縁まで溢れてくるため、
子供の私の手を父の性器に触れさせるには、
私が少しお湯に潜るか、
父が腰を持ち上げなければならず、
扉さえないようなお風呂場で、
もし、母が何かの拍子に、
扉がわりのビニールシートをめくって、
そんな姿をウッカリ母に見つかったら、
言い逃れが出来ないため、
父は条件が揃った時以外は、
(お風呂のお湯が少ない等)
私に手で触ることを求めてきませんでした。
(浴槽が深くて触れない演技もしていました)

けれどそろそろ、
そんな刺激だけでは、
父は満足出来なくなってきたのでしょう。

いつもは私が父の性器を刺激して、
満足すると父は先にお風呂を上がるのに、
その日は一向に、
父がお風呂を上がる気配がありませんでした。

それどころか、

「じゅんはまだ風呂から上がらないのか」

と言ってきました。

私はいつもと違う父の様子に、
身の危険を感じていました。

我が家の浴槽は深く、
父の方を向いたまま浴槽から出るためには、
私は父の前で股を大きく広げて、
浴槽を跨ぎ超えるしかありませんでした。

我が家のお風呂場は手作りのため、
コンクリートで固めた床に浴槽が置いてあるだけの代物で、
浴槽の縁から床までかなり高さがあり、
子供がお風呂に入るにも出るにも、
かなり大変でした。

父が私が浴槽を跨ぎ超えるのを、
狙っている気配を感じとっていた私は、

「まだ上がりたくない」

と言い続けていましたが、
父の機嫌がどんどんと悪くなり、
私は意を決するしかありませんでした。

なるべく素早く浴槽を跨ぎ超えようと、

「じゃあ、上がる」

と言ってすぐに股を広げたのですが、
やはり、
ずっと狙っていた父の手からは逃れられず、
私は自分の性器の部分を、
父の手で触られてしまいました。

来るとは分かっていたものの、
私は自分の父から性器を触られたショックで、
大声で泣きだしてしまいました。

私の泣き方が異常なのを察した母が、
お風呂場の隣の台所から顔を出しました。

「どうしたの!?」

母にそう問いかけられても、
お風呂場のコンクリートの床に、
座り込んで泣いている私は、
あまりのショックにただ泣くだけで、
今現在起こった出来事を、
母に話すことも出来ず、
父はそんな状況が気に食わなかったのか、
乱暴に浴槽から立ち上がると、
泣いている私の横を無言で通り過ぎ、
母の隣まで行くと、

「俺がこいつの◯◯◯を触ったら泣きだしやがったんだ!!」

と、
吐き捨てるように言って立ち去りました。

母はそんな父に、
何か言葉をかけたようですが、
父は怒るばかりのようでした。

私はその間、
父に触られた体の一部が気持ちが悪く、
ただただおぞましさで泣き続けていました。

母は父に言葉が通じないと分かると、
すぐに私の元に戻ってきて、
火がついたように泣き続ける私に、
こう怒鳴りました。

「お前もそれくらいのことで泣くな!!」

私は母のこの言葉に衝撃を受けました。

母から、
「それくらいのこと」と言われた行為は、
理性よりも本能でおぞましく感じる行為で、
私はその時もまだ、
父に触られた箇所が、
気持ち悪くてたまりませんでした。

けれど、母にそう怒鳴られて、
お風呂場のコンクリートの床の上に、
1人取り残されてしまった私は。

何とか自分1人で、
感じている気持ち悪さをなだめて、
泣き止んで、
お風呂から上がるしかありませんでした。

「この家に私の味方はいないのだ…」

何度も何度も噛み締めてきたこの思いを、
私は改めて感じることしか、
出来ませんでした…

マルトリートメントと私35.ゾッとした父の発言に続きます。