私の成育歴の記事一覧は、愛着障害に関する成育歴にあります。
前回の記事はこちら→マルトリートメントと私35.ゾッとした父の発言
※自分の記憶に基づいて書いているため、事実と違っている可能性があります。
【性的な話が含まれますので、苦手な方は読まないでください】
休日の朝に父から言われた、
「俺の◯◯◯◯(性器の名前)を触った手で食べてらぁ」
という言葉。
聞き間違いであって欲しいとの私の願いは、
無残にも打ち砕かれました。
私は寝ている間、
父の性器を触らされていることに、
気付きながらも、
父が怖いという思いから、
父の隣で寝ることを拒むことが出来ず、
だからといって、
父に性器を触られた時に母から、
「それくらいのことで泣くな!!」
と怒られた私は、
このことで誰に助けを求めることも、
出来ませんでした。
家族の中に味方はいなかったし、
学校で問題児認定されていた自分が辛くて、
普通の子供になろうと努力していた私には、
こんな、明らかに普通でない家庭の状況を、
相談できるほど親しい友達も、
気を許せる先生もいませんでした。
父は毎晩、
私が寝ついた頃合いを見計らって、
私の右手を自分の下着の中に潜り込ませ、
自分の性器を撫で回させて、
寝ているフリをしている私の頭上で、
興奮した荒い息を吐き出していました。
私は自分が起きているのがバレたら、
もっと父から、
酷いことをさせられると思っていたため、
いつもこの行為が始まると、
ギュッと目をつぶって、
ただひたすらこの行為が終わるのを、
待つしかありませんでした。
何回か、
寝返りのフリをして、
父のズボンから手を取り出して、
父に背を向けたこともあったのですが、
父はそうすると以前も私にしたように、
私を背後から抱き寄せるような形を取り、
しばらく私の様子を窺ってから、
私が寝ていることを確信すると、
また私の右手を取り、
自分の下着の中に私の手を突っ込んで、
性器を触らせることを再開しました。
私の右手は、
毎晩父によって、
父の性的興奮を煽る道具となっていました。
いえ、
私と同じく父の隣に寝ていた兄には、
こんな行為を、
父は行わなかったのですから、
父にとっては私という、
"女の子"の存在自体が、
父の性的興奮を煽る、
道具だったのかもしれません。
生まれた時に、
と父に言われて、
家庭内で居場所を求めることを、
諦めた私が、
成長するに従って、
女の子であるが故に、
父の関心を引くことになったのは、
なんとも皮肉な結果でした。
けれど私は、
こんな関心を、
実の父親から持たれるくらいなら、
要らないと言われ続けた方が、
よっぽどマシでした。
私は以前にも増して、
家の中の物置に、
引きこもるようになったのですが、
父は性的興奮を得たい時以外は、
以前どおり、
私の存在を疎ましがっていたため、
相変わらず、そんな私を、
「穴熊ちゃん」と言って馬鹿にし、
不気味な子供だと嘲笑いました。
兄はそんな私に、
冷めた目を向けていただけでした。
けれど小学生の女の子の私が、
物置にこもるといった行動に及ぶ理由が、
あの時のあの家には確かにありました。
父の横で同じ布団に寝ていた兄が、
父が私にさせていた行為を、
本当に知らなかったのかどうか、
私には分かりません。
兄とこのような話をしたことはありません。
もし本当に、
実の父親が自分の妹で、
あんな荒い息遣いをしているのに、
父の横にいて気がつかなかったのなら、
それはとても幸せな人だと言えるでしょう。
そして子供の頃には、
母の言葉の意味が分からなかったけれど。
父の寝間着のズボンや下着が、
汚れていると、
洗濯の時に母が、
文句を言っていたことがあったので、
もしかしたら父は、
私に手で触らせたまま、
射精していたことが、
あったのかもしれません。
その当時の私には、そのような性知識はありませんでした。
でも、やはりそんな状況の私に、
差し伸べられる手はありませんでした。
もう、これ以上。
どうやって生きていったらいいか、
子供だった私には分かりませんでした。
マルトリートメントと私37.汚れてしまった私に続きます。