私の成育歴

マルトリートメントと私4.辞めたお手伝い

お皿をひとりで洗う女の子
私がなぜ、自分の生育歴を振り返るようになったのかは、私が自分の成育歴を振り返ることにした理由をご覧ください。
私の成育歴の記事一覧は、愛着障害に関する成育歴にあります。

※自分の記憶に基づいて書いているため、事実と違っている可能性があります。

辞めたお手伝い

お母さんのそばに居たくて、
お母さんに喜んで欲しくて、
4歳の頃に始めた、
お茶碗洗いのお手伝い。

お母さんのお手伝いで皿洗いする女の子
でも、続けていくうちに、
私の中では、
"お手伝い"だったものが、
お母さんの中では、
"じゅんの仕事"
になってしまっていたようで。

お茶碗洗いを自分1人に任されて、
放っておかれるようになって、
更に求められるハードルが上がってきて、
褒められないだけではなく、
怒られるようになってきてしまったら、
私はドンドンやる気が無くなって、
自分から進んで、
お手伝いをしなくなっていきました。

何よりも隣の部屋でテレビを見て、
家族3人で笑っているのに、
私1人、
台所に立ってお茶碗を洗っていたら、
自分が家族の中で1人、
仲間外れにされたように感じられて、
なんだか自分が惨めな感じがして、
悲しくなってきてしまうから。

ただ、4歳頃の私には、惨めという感情は分かっていなかったため、
大人になってあの時の感情を現すのなら、
惨めが1番ピッタリくると思って、そう表現させてていただきました。

それは、
私の感覚的にはきっと、
自分の心を守るために、
必要なことだったのだけど。

お母さんの視点からすると、

「怠けて自分の仕事をやらなくなった娘」

と、
映ってしまったのかもしれません。

私がお茶碗洗いの、
お手伝いをしなくなってから、
お茶碗を洗う時間になると、
お母さんから、
嫌味を言われるようになりました。

「お前が手伝うって言うから、
踏み台まで用意してやったのに」

って。

お茶碗洗いを、
手伝うために使っていたのは、
2段になったプラスチック製の、
おそらく子供用のもの。

子供用の踏み台

小さかった私は、
自分が、
お茶碗洗いのお手伝いをしたい、
と言った時に、
親に踏み台を、
用意してもらわなければいけない、
といった、
労力をかけてしまうことまで、
考えが及んでいなくて。

そして。

お母さんが家事を1つまるごと、
私に任そうと思っているとは、
やっぱり考えていなくって。

私は、
お母さんに見守ってもらいながら、
お母さんと一緒に、
お茶碗洗いをするつもりでいたから。

お母さんがお茶碗洗いを私に教えて、
私が覚えてしまったら、
自分から離れていってしまうとは、
考えていなかった私と、
私に少しでも家事を任せて、
自由な時間を確保したかったお母さん。

どちらの考えが、
甘いのか酷いのかなんて、
論じても仕方がないことなんだけど。

ただ、
私が1人で台所でお茶碗を洗っていた、
その時に感じていた惨めな気持ちを、
お母さんが、
理解してくれることはなく、
私も、お母さんに、
自分の気持ちを説明出来るほどの、
言葉の能力を、
まだ持っていませんでした。

悲しむ女の子
私は自分が、
家族から仲間外れにされているなどという、
惨めな気持ちを感じなくていいように、
自分の心を守るために、
お母さんの側にいる、
お母さんを喜ばす術を、
自分から手放してしまったのでした。

けれど、そこにはやはり、

お母さんを失望させたという罪悪感

が、あったように思います。

マルトリートメントと私5.お母さんに伝えられなかった思いに続きます。