私の成育歴の記事一覧は、愛着障害に関する成育歴にあります。
前回の記事はこちら→マルトリートメントと私40.私のせいにされた父の夢
※自分の記憶に基づいて書いているため、事実と違っている可能性があります。
前回のことだけではなく、
私は兄が、
起こった出来事を覚えていないせいで、
嘘つき呼ばわりされることが、
たびたびありました。
例えば兄が、
「もう要らない」
と言って捨てようとした物を、
「じゃあ、私にちょうだい」
と言って私が大切にとっていると、
しばらくしてから、
「それは俺のだ!」
と言って兄から取り上げられてしまったり、
母と兄と私で、
「こうしよう」
と話し合って決めたことを私だけ覚えていて、
「何でこんなことしたんだ」
と兄と母から言われたり。
父は人と意見を合わすことが出来ず、自分の思ったとおりにしかしないため、
家族の中の細々とした話し合いは、父抜きで行われていました。
そして、
何度かこんなことが繰り返されたある日、
兄からこんな言葉を言われました。
「お前が言っていることが正しいかもしれないが、
誰も覚えていない以上、
その出来事(約束)は無かったことと同じだ」
この言葉は、私にとても衝撃を与えました。
間違っていても、
マジョリティ(多数派)が勝つのだと、
堂々と言い放つ兄の姿に、
ASD(自閉スペクトラム症)で、
物心ついた時から、
マイノリティ(少数派)の感覚を、
持っていた私は、
自分を踏みにじられるような、
とても悔しい思いを感じました。
そんな言葉がまかり通る世の中はおかしい!!
と私は思いましたが、
けれど現実は、
兄のその発言どおりになっていました。
私は皆んなが忘れているような、
出来事や約束を、
なぜか1人だけ覚えていることが、
多い子供でした。
そこに、
決められたことは守らなければいけないと、
頑なに考えるASDの特性が加わるため、
誰もが忘れ去った約束を、
一人一生懸命に守り続けていました。
そして、
約束を守らない人(この場合には兄)
に対して、
私が怒って抗議することになるのですが、
けれど、母と兄と私で、
話し合って決めた約束事は、
よく母と兄から忘れられていて、
そのせいで私が、
兄に難癖をつけているように思われ、
兄と私が喧嘩になることがありました。
このような理由で兄妹喧嘩になった場合、
私は自分が正しいので、
絶対に折れたりなどしなかったのですが、
私以外、
誰一人覚えていない約束の上に、
元々話し合いから、
除外されていた父にとっては、
喧嘩の理由などどうでもよかったらしく、
運悪く、
兄との喧嘩の最中に父が帰宅した場合、
私は父の前では自分の感情をあまり出さなかったため、
父が初めから家にいる時に、
兄と喧嘩になるようなことは殆どありませんでした。
理由など聞かれる間も無く、
問答無用に、
喧嘩をやめるように怒鳴られるのは、
父から大切にされていた兄ではなく、
決まって、
父に疎まれていた私でした。
一般的な家庭では、
小学生の兄と妹が喧嘩をしていて、
懲らしめるために家から追い出す場合、
夕方暗くなってきていたら、
危ないからと追い出すのを止めたり、
どうしても追い出す場合、
男で年上の兄を、
家から追い出すのではないか、
と思うのですが、
私の家庭では必ず、
私が家を追い出されました。
一番酷かった時には、
家の庭に放置されていた、
プラスチックのオモチャの箱に溜まっていた、
ボウフラの湧いた雨水を頭からかけられて、
「出て行け!!」
と父から怒鳴られました。
私は父からこう言われたら、
抗うことなく、
黙ってすぐに出て行きました。
元々、
出て行きたいと願っていた家だったため、
追い出してくれるなら、
何の未練もありませんでした。
私は家を追い出されると、
山道を通って、
家の近くにあった町の文化センターに、
よく行っていました。
そこは夕方になったら、
人がいなくなるため、
家を追い出された惨めな姿を、
人に見られなくて済むし、
屋根のある駐輪場があったため、
雨が降ったとしても濡れることもなく、
子供が1人、
うずくまっていられました。
茜色から紫色に、
変わっていく空を見ながら、
私はよくそこで、
今後どうやって生きていくかを、
夢想しました。
この町は出て行こう。
電車に乗って遠くに行こう。
自分を必要としてくれる場所を見つけよう。
そんなことを考えて、
傷ついた自分の心を慰めながら、
私はいったいどれくらいの時を、
そこで過ごしたでしょうか。
すっかり夜の帳が下りてきて、
空に星が見える頃になると、
毎回決まってまだ不機嫌そうな顔の父が、
私の前に現れて、
「帰るぞ」
と凄味を聞かせた声で言い、
無言で私の前を歩きだしました。
それは私についてこいという合図で、
私はそんな父に付き従うのは、
嫌だったのですが、
無言で不機嫌な父が怖かったのと、
どんなに家を出るのに憧れていても、
やっぱり夜の真っ暗な中、
1人で外で寝るのは心許なかったため、
やはり無言で、
父の後ろについて家に帰りました。
父は兄と私が喧嘩をするたびに、
何回も私を家から追い出し、
毎回しばらくすると、
(母に言われたからかもしれませんが)
私を探しにきて、
そして家に連れて帰るという行為を、
繰り返しました。
兄との喧嘩の理由を、
父に正しく聞いてもらえたことは、
私の記憶の中では、
一度もありませんでした。
父にとって、
何かあった時に悪いのは、
いつでも私だったようでした。
私が1人覚えていた出来事(約束)は、
「私に都合のいい嘘」
として認識され、
父と兄に受け入れられることは、
ありませんでした。
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このブログを書いていた時に浮かんだのは、
WAIS-III検査の結果を聞いた時に、
臨床心理士から言われた言葉でした。
「自分の知能がかなり高いために、言わなくても相手が理解すると考えて、
コミュニケーションが上手くとれていない可能性があります」
私1人だけ、
出来事や約束を覚えていたのも、
もしかしたら、
知能が関係していたのでしょうか?
相手も自分と同じように覚えている、
と考えていたことが、
兄とのコミュニケーションが、
上手くとれなかった理由、
だったのでしょうか?
もし、そうだとしたら。
私は自分が発達障害ではないかと疑って、
知能検査を受けて、
知能的に問題は無いと言われたものの、
「多くの人と同じタイミングで忘却しない」
という、
自分はマジョリティ(多数派)では無い、
という事実は、
やはり生きる上で困難の要因になるのだ、
と思いました。