私の成育歴

マルトリートメントと私57.私が親に秘密で購入していたもの

私がなぜ、自分の生育歴を振り返るようになったのかは、私が自分の成育歴を振り返ることにした理由をご覧ください。
私の成育歴の記事一覧は、愛着障害に関する成育歴にあります。

※自分の記憶に基づいて書いているため、事実と違っている可能性があります。

昨日のマルトリートメントの記事に、
私は日用品も、
自分のお小遣いから購入していた、
と書いたのですが、
私が自分のお小遣いから、
購入していた物の中で、

「絶対に親に見つかってはいけない」

と思って、
こっそりと購入していた物がありました。

それは…

「生理用品」

でした。

実は私は小学校5年生くらいの時には、
生理が始まっていたのですが、
決してそのことを、
母親に伝えようとはせず、
いつも時期がくると親にバレないように、
血のついた下着をお風呂に入っている時に、
こっそりと手洗いしたりしていました。

それにはやはり、
小学校3年生の時に、
父親から受けた、
性的マルトリートメントによる心の傷が、
関わっていました。

私は自分が成長したら、
今以上に酷いことを父からされると思って、
自分が成長することを嫌悪していました。

そして父親から体を触られるといった、
本当に守って欲しかった時に、

「お前もそれくらいのことで泣くな!!」

と母親から怒鳴られてしまった私は、
誰も自分を守ってくれないと感じていました。

そんな私にとって、
自分の体が成長していくということは、
自分の死を願うくらい
とても恐ろしいことでした。

私に生理が始まったことを知った母親が、
出稼ぎに出ていった父に、
そのことを話した場合、
父から自分がどのような目で見られるか、
そのことを思うと、
とても怖くてたまりませんでした。

父から自分の性器を触られたと、
そのおぞましさに泣いた私を、
叱りつけた母親のいる家で、
私を守ってくれる存在など望めませんでした。

そして何より。

そんなことを恐れている自分が汚くて醜いと感じていました。

だから私は、
大人になどなりたくなかったのです。

そのため私は必死に、
自分に生理が始まったことを隠し続けました。

同級生の中には、
自分で、
生理用品を購入するのが恥ずかしいからと、
母親に買ってきてもらうという子もいましたが、
私にとっては、
自分の家族に、
生理が始まったことを知られる位なら、
多少の移動費を使ってでも、
家から離れた、
自分を知らない人が経営する、
スーパーや薬局で、
自分で生理用品を購入する方が、
よっぽどマシでした。

母親が小学校で行われた、
女子児童を持つ親に対する、
性教育の講座に参加してきた後、
私に対して、

「お前はまだ生理は始まってないよね?」

と言ってきた時には、
すでに私は生理が始まっていたのですが、
私は、

「うん」

と嘘を吐きました。

そのような会話の時には、
いつも私は、
20歳の時に睡眠薬が欲しくて、
受診した精神科医から診断を受けた、

「離人症」

の時の状態と同じように、
自分の体を自分の意識が離れて、
目の前の光景に薄い紗幕がかかり、
会話している自分を、
他人事のように感じていたため、
きっとその状況が耐えられなくて、
解離していたのだと思います。

それほど私は、
自分の体が成長することを嫌悪していました。

けれど同じ家で暮らしていながら、
生理が始まったことを隠し続けるのは、
やはり無理がありました。

私は中学校1年生の時に母親に、
生理が始まったことを、
言い逃れが出来ない場面を見られてしまい、
白状するしかありませんでした。

それは私にとって、
まるで自分の罪を認めるかのような、
重苦しい告白でした。

けれど母は、
そんな私の気持ちなど、
一切気付かないようでした。

母は私から、
生理が始まったという言質をとった日の夜、
いそいそと夕飯に赤飯を出してきました。

兄がなんで夕飯が赤飯なのか、
母に聞いていましたが、
母は、

「何だっていいでしょ」

といった答えをしていました。

けれど、もう、
中学校2年生だった兄には、
きっと見当がついていたことでしょう。

私は自分の体から解離しながら、
ただその茶番を見つめていました。

「何がめでたいのだろう」

私の心は、
体が大人になったことを親に知られた、
その絶望感でいっぱいだというのに。

私は母親から、
さっさと生理が始まったと言わないから、
ちゃんと赤飯を豆から炊くことが出来ず、
レトルトで済まさなければいけなかったと、
苦情を言ってこられたのですが、
私の心の状態に気づくことなく、
何かの決まり事を守るように、
赤飯に固執する母に、
無反応でいることしか出来ませんでした。

自分と関係ない世界の出来事だと、
思わないことには、
私の心が持たなかったのです。

ただ、その時に、
父親が出稼ぎで不在していたことだけが、
唯一の救いでした。

けれど、やはり父親なので、
一生会わないという訳にはいきません。

父が出稼ぎから一時帰宅してきた時に、
父は私と2人きりになるのを見計らって、

「母さんから聞いたぞ」

と言って、
私に生理が始まったことを揶揄してきました。
父は生理のことをメンスと読んでいて、
その響きが私は嫌でたまりませんでした。

父の顔を直視出来なかったものの、
私の頭の中には、
私が小学生の時に、
父が私を背後から抱き寄せて、
母との性行為を語った時の状況が、
フラッシュバックして、
とても正常な精神状態では、
いられませんでした。

私は父親から、
性的マルトリートメントを受けて以降、
スカートを履くことが出来なかったのですが、
父親が出稼ぎに出てから、
人に愛してもらいたいという欲求も手伝って、
少しずつ、
女の子らしい格好をするようにも、
なっていました。

けれど、この時から。

また、自分が女であることに、
嫌悪を感じるようになってしまい。

「私は父親にオモチャにされた醜い汚らしい人間だ」

という死にたい気持ちに、
また囚われるようになっていきました。

そして、
そんな醜い汚らしい私が抱くのは恐れ多い。

「愛される可愛い女の子になりたい」

という欲求を、
心の奥底に沈めたのでした。

マルトリートメントと私58.O先生への感謝へ続きます。