私の成育歴

マルトリートメントと私58.O先生への感謝

答案をみせる女子中学生
私がなぜ、自分の生育歴を振り返るようになったのかは、私が自分の成育歴を振り返ることにした理由をご覧ください。
私の成育歴の記事一覧は、愛着障害に関する成育歴にあります。

※自分の記憶に基づいて書いているため、事実と違っている可能性があります。

私は中学校1年生、2年生と、
家庭訪問で自分のことを、
変わっていると言い続けた
O先生に担任を受け持たれました。

このO先生は、
生徒を成績で判断するところがあり、
中間テストや期末テストなどの答案を、

「皆んなの前で成績の良い順から返し、
しかも上位者の点数を発表する」

という行為を行なっていたため、
成績があまり良くない生徒達から、
とても嫌われていました。

けれど、O先生のこの指導は、
私の中学校生活を、
かなり楽にしてくれていました。

私は集団生活では足を引っ張る人間でしたが、
O先生が、
クラスの副委員長に任命する程度には、
勉強の良く出来る子供でした。

そのため、
O先生がテスト結果を返却する時には、
私は必ず、
上位の方で名前が呼ばれていました。

小学校時代は運動が出来るとか、
性格が明るくて面白い子などが、
クラスの皆んなの羨望を受けていましたが、
中学校ではそれに加えて、
勉強が出来るというところに、
クラスの皆んなが、
価値を置くようになっていました。

そのため、小学校時代は、
クラスの和を乱す、
ちょっと変わった子供と、
皆んなから思われていて、
集団での虐めも受けた私でしたが、
中学校に入り、
家で勉強もしていないのに、
定期テストで、
いつも上位で名前を呼ばれる私は、
皆んなから、
一目置かれる存在になっていったのです。

私よりも成績の良かったすーちゃんは、
家でもきちんと勉強する、
秀才タイプだったため、
同じクラスの女の子から、

「勉強して成績がトップのすーちゃんよりも、
勉強しなくて成績がいい、
じゅんちゃんのようになりたい」

と言われたこともありました。

この言葉は、
家庭の中で自己否定を繰り返され、
自分が存在していいかも分からなかった私の、
自己肯定感をとても上げてくれました。

小学生の時に母親から、

「勉強だけ出来たってダメなんだよ」

吐き捨てるように言われ
勉強が出来ない努力をしていた私でしたが、
そんな言葉を言われて、
また勉強が楽しいと思うようになりました。

このような思いが出来たのは、
O先生が、
人を成績で判断する人だったお陰でした。

勉強する楽しさを思い出した私は、
成績が上位のクラスメイト達と、
難しい問題に挑戦して、
誰が先に解けるかを、
競い合ったりしていました。

そんなライバルのような、
仲間のような関係が、
とても楽しく感じられていました。

中学校で出会った2人の先生からは、
ASD(自閉スペクトラム症)で、
1つの物事を突き詰めていく性格からか、

「あなたは研究者になった方がいい」

という言葉を言ってもらえて、
勉強が楽しくて、
自分でもそのような道に、
進みたいと思っていた私は、
一時期は、
死ぬことばかり望んでいたのに、
その言葉のお陰で、
自分の未来に希望を持つまでになりました。

「生きているのが楽しい」

そんな思いが私の心を満たしました。

幼稚園の頃、
その生育歴から自分の存在を肯定出来ず、
将来の夢を描くように先生に言われても、
何の未来も描けなかった私が、

「将来は研究者になりたい」

という、夢を持つようになったのです。

これは私の中で、
とても大きな心の進歩でした。

けれど私のこのような、
希望に満ちた状態は、
長く続くことはありませんでした。

私の夢や希望はすぐに、
打ち砕かれてしまったからでした…

マルトリートメントと私59.打ち砕かれた夢に続きます。