私の成育歴

マルトリートメントと私71.間違えた選択

孤独な女子学生
私がなぜ、自分の生育歴を振り返るようになったのかは、私が自分の成育歴を振り返ることにした理由をご覧ください。
私の成育歴の記事一覧は、愛着障害に関する成育歴にあります。

※自分の記憶に基づいて書いているため、事実と違っている可能性があります。

私は電車の路線が赤字で廃止されるよううな、
かなり田舎に住んでいたため、
学区内に子供が少なく、
小学校は1学年1クラス、
中学校でも1学年2クラスという、
少人数の学校に通っていました。

しかも、その中学校には、
4つの小学校から、
生徒が集まっていたのですが、
私が通っていた小学校は、
2番目に生徒が多い学校で、
学年の生徒の3分の1程度の人数が、
私が通っていた小学校からきていたため、
中学校に入っても、
ほとんどが顔見知りの生徒ばかりでした。

そのため、
バスで片道1時間以上かけて、
通わなければならない、
遠くの高校に入学した私は、
1学年9クラスという、
大人数の学校に通うことも初めてだし、
1学年270人ほどの人数の中で、
自分が知っている学生の数が、
15人程度であり、
殆ど知らない人達の中に、
入っていかなければならないことも、
小学校に入学以来の経験でした。

そして、小学校に入学した時、
私はクラスの子供達全員、
つまり1学年1クラスだったために、
1学年の生徒全員が自分の敵になるという、
経験をしました。

これはその出来事から40年経った今でも、
その時の情景や心情を、
ありありと思い出せるくらい、
衝撃を受けた出来事でした。

教室

ひとり教室を抜けてトイレから帰ってきた時に、
私の机から複数の男子が縦笛を持ち出すのを、
クラスの全員が黙ってみていた光景を私は忘れません。

そのトラウマに加えて。

ASD(自閉スペクトラム症)という、
新しい環境に、
過度な緊張をもってしまう特性が、
私の選択を誤らせたのだと思います。

高校の授業の中に選択授業というものがあり、
書道・美術・音楽の、
3つの授業のうちの1つを、
入学時に選択することになっていて、
幼い頃から絵を描くことが好きで、
小学校ではよく絵で表彰を受けていた私は、

「選択授業は美術を選ぼう」

と何の迷いもなく考えていたのですが、
以前私を、
同じ中学から同じ高校に入る女子の勉強会に、
誘ってくれた女の子から、

「皆んなで書道を選択することにしたんだけど、
じゅんちゃんも選択授業を書道にしない?」

と誘われた時に、
選択授業を選ぶのも、
自分の好きな授業を選ぶのではなく、
皆んなで意見を合わせることに驚いたことと、

ASDの私の中に、選択授業を選ぶ際に、
「誰かと相談する」という思考は存在していませんでした。

そうやって皆んなが、
事前に徒党を組んでいくことで、
また小学校の入学時のように、

自分以外は全て敵

のような状況に陥ることが怖かった私は、

「うん、私も書道を選択する」

と答えてしまったのでした。

私を書道に誘った彼女は私の返事を聞くと、
私を勉強会に誘った時のように、
「じゅんちゃんは美術を選ぶと思ってた」
と言ってきたため、
私は彼女がなぜ、私を書道に誘ったのか、
理解することが出来ませんでした。

けれど、この選択を私は、
後から死ぬほど後悔することになりました。

知らない人間が集まる高校の入学に際し、
唯一知っている、
同じ中学の女子達というだけで、
もともと仲が良かった訳ではない、
私と彼女達は、
高校に入学後、
彼女達が少しずつ新しい人達に慣れて、
新しい友人達が出来始めると、
私が問題児認定されていた頃を知っていて
他の子のお母さんから、
変わった子供と言われていた私とは、
どんどん疎遠になっていき、
選択授業で一緒になっても、
視線も合わさず会話をすることも無いという、
状態になったのでした。

孤独な女子学生

結局、私の選択は。

1人孤立しないように、
皆んなの好みに合わせた結果、
集団の中で孤立を味わうという、
最悪な結果を迎えたのでした…

マルトリートメントと私72.初めて言われて怯えた言葉に続きます。