私の成育歴

マルトリートメントと私18.伝わらない辛さ

泣き叫ぶ子供
私がなぜ、自分の生育歴を振り返るようになったのかは、私が自分の成育歴を振り返ることにした理由をご覧ください。
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※自分の記憶に基づいて書いているため、事実と違っている可能性があります。

伝わらない辛さ

泣き叫ぶ子供
この教室に私の味方はいない。

入学して数日で、
そう思う出来事が起こった私にとって、
学校は気を抜けない場所となっていました。

席を外そうものなら、
私の笛を、
自分のものと言い張る男の子とその友達が、
いつまた勝手に、
私の笛を机から取り出すか、
分からなかったからです。

教室の中に味方はいなかったけれども、
他に頼れる人もいなかった私は、
トイレに行く時には、
近くに座っていた、
言うことを聞いてくれそうな子に、

「机を見張っていてね」

と頼んで、席を立つようになりました。

けれどその後も、
何度か同じような出来事が起こりました。

私の敵になった4人のうちの1人は、
ドラえもんに出てくるジャイアンのような、
クラスの中心的人物だったため、
私が見ていることを頼んだ子は、
私の机から笛が盗り出される様を見ても、
男の子達に対して、
何も言ってはくれませんでした。

30人しかいないクラスで、
4人の人間が自分の敵になってしまったら、
それはかなり不利な状況になります。

私は自分を庇ってくれる友達も出来ないまま、
笛を盗ろうとする4人と対決し続け、
イライラして哀しい心を、
どうすることも出来ずに、
机や椅子を投げるといった大立ち回りを、
することもありました。

そんなことなど知らない先生は、
教室で暴れた私を、
悪いことをした子供として、
1人廊下に立たせました。

誰も上手く伝えられない私の気持ちを、
一生懸命に聞こうとはしませんでしたし、
誰も私を擁護してはくれませんでした。

家族の中で要らない子供として育ってきた私は、自分の意見をきちんと伝える術を、家庭の中で学んでいませんでした。

私は1人廊下に締め出されて、
皆んなの輪から外された時に、
どうしようもない悔しさを感じました。

孤独で寂しくて辛くって。

私は教室の中にいる先生の気を引きたくて、
廊下の棚の上にあった鉢植えを、
生えていたお花が、
痛まないように気をつけながら、
廊下にばら撒きました。

それだけでは誰も、
教室から出てきてくれなかったので、
私は隣に置いてあったジョウロで、
廊下に水をまきました。

ここまでしてようやく、
教室から先生が出てきて、
様子を見て慌てて騒ぎ出しました。

出てきた先生に対して、
私は訴えたいことがいっぱいあったのだけど、
言葉にすることが出来なくて、
私の気持ちなどお構いなく、
ただ騒ぎ立てる先生に対して腹が立って、
私は1人で廊下にいた時よりも、
激しく暴れ出しました。

1学年1クラスしかない小さな小学校では、
あっと言う間にその騒ぎは広まって、

「この子の側は危ない」

と、
私を何とか止めようとしていた、
女の先生達に変わって、
体格のいい体育の男の先生が、
私の目の前に立ち塞がりました。

その時、
私と体育教師は校舎の外に出ていたのですが、
その周囲は、
騒ぎを聞きつけて集まってきた、
野次馬の子供達が、
ぐるりと周りを取り囲んでいて、
その中央で私を見下ろしてくる体育教師を、
私は睨みつけました。

誰も、私の気持ちを聞いてくれない。

そんな、
哀しみから発した怒りを、
抱えていた私は、
その哀しみや怒りを、
うやって伝えていいか分からなくて、
私は体全体で、
その体育教師に突進していきました。

体全体といっても、
小学校1年生の、
早生まれの女の子の体格など、
体育教師の腰にも満たない身長で、
体育教師が振り下ろしてきた、
片手での張り手が私の頰にヒットすると、
私の体は周囲の野次馬の近くまで、
簡単に吹き飛んでしまいました。

それでも私の哀しみも怒りも消えなくて、
私は痛みでジンジンする頰を、
手のひらで抑えると、
もう一度、
体育教師に全力で突進していきました。

結果は、同じでした。

簡単に、
体育教師に片手の張り手で、
もう一度吹っ飛ばされた私は、
もう、どうやったら、
自分の気持ちを聞いてもらえるのか分からずに、
悲しくて泣き出してしまいました。

その様子を見て、
先生達は周囲を取り囲んでいた野次馬の子供達を、
散らばらせ始めました。

その後の記憶はあまりありません。

ただ、
私の笛を盗ろうとしていた男の子の話が、
ようやく先生に伝わって、
その男の子は先生に、
私の笛は自分の物だと主張していたけれど、
先生がその男の子に対して、
私の笛を盗らないように言ってくれたことで、
ようやく私は、
自分の笛が盗られるかもしれないという不安から、
解放されることが出来たのでした。

マルトリートメントと私19.給食で受けた注意に続きます。