幸せになる方法

保活と父の思い出

孫とおじいちゃん

昨日は仕事をお休みして、
保育園の申し込みに落ちた娘と一緒に、
孫を連れて、
認可外の託児所の見学に回っていました。

今は、保育園を探すことを、
保活というのだそうです。

今の保育園の入園事情と比べたら、
私が24年前に、
シングルマザーとして保活した時の方が、
まだ余裕があった気がするけれど、
それでも、
娘を預かってくれる保育園を探す時には、
行政機関の冷たい対応に、
悔し涙を流しながら保活していました。

そこにあったのは、1つの矛盾。

「シングルマザーが会社に採用されるためには、
子供の預け先が決まっていないと難しい。
けれど、保育園に申し込むには、
就職先が決まっていなければならない」

この事実を目の前に突きつけられて、
私は現実のあまりの厳しさに、
涙を流すことしか出来ませんでした。

養育費を離婚した夫から払ってもらえず、
それまで専業主婦だった私が働かなければ、
まだ1歳の娘を養うことが出来なかったのに、
行政機関からは、
就職先が決まっていなければ、
保育園に預けることは難しいと、
言われたのです。

私が離婚後、
就職活動をしていたのは、
新卒の人達でさえ就職するのが困難だった、
平成6年の就職氷河期と呼ばれた時代。

その当時のハローワーク には、
卒業までに就職先を見つけられなかった、
新卒の高校生も、
求人情報を見にきていました。

保育園に預けられますと、
会社の採用面接で言うことが出来なければ、
高校卒業から2年も経っている私は、
新卒の高校生達と、
同じ土俵に上がることさえ出来ませんでした。
(その当時の私の学歴は高卒でした)

結局、ハローワーク の面接員さんから、
まず保育園が見つかっていないと、
採用試験を受けることも難しい、
と言われてしまったため、
私は1年という時間をかけて資格をとり、
ハローワーク に頼らずに独力で、
現在の会社の採用試験に合格したのですが、
ようやく就職先を見つけて、
保育園に申し込んでも、
採用予定日までに、
なかなか保育園が決まらなくて、
私は毎日が不安でたまりませんでした。

そして。

そんな私を見ていた父が、
私に向かってこう言ってきたのです。

「保育園が見つからなかったら、俺と母さんが預かってやる」

その言葉にどれだけ私が、
安心させてもらったか分かりません。

父から言われた言葉で、
恐らく、
1番嬉しかった言葉ではないかと思います。

最終的に、
会社の採用日までに保育園が見つかり、
父と母に、
娘を預かってもらうことは無かったけれど、
そのような申し出をしてくれた父に対して、
私は心から感謝しました。

娘と託児所をまわりながら、
この話を娘にしたら、
娘はなぜか、

「ホッとした」

と私に言ってきました。

意味が分からず理由を聞くと、
以前、
娘と孫と一緒に実家に帰省した時に、
私と母の話す父のエピソードが、

「クズ過ぎる」

と言って、
娘が涙ぐんだことがあったのですが、
今日の私のこの話で、
父の良いエピソードを聞けたことが、
嬉しかったようでした。

「お母さんにとっては色々あったかもしれないけど、
やっぱり私には優しいおじいちゃんだったから」

そう言う娘に向かって、
父との過去の出来事を、
ちゃんと過去に出来ていた私は、

「そうだね」

と微笑むことが出来ました。

実は私の娘も、
私が子供の時ほどでは無いけれど、
発達障害であろう父の、
自分中心な言動に振り回されて、
とても悲しい思いもしています。

でもね、
そんな自分の過去を振り返って、
私の娘は言うのです。

「私はひとりっ子で、
親戚に小さな子供は私しかいなくて、
私は大人のみんなに、
優しくしてもらっていたから、
子供の私に本気で我がままを言って、
喧嘩してくるおじいちゃんがいたことで、
ひとりっ子特有の我がままな子にならなくて、
良かったかもしれない」

って。

私は娘のこの発言を聞いて、

凄いなぁ

って思ったのです。

確かに私の父は、
私の娘という、
父にとっては孫が生まれたことで、
親戚中の誰もが驚くくらい、
丸い性格になったのだけど。

それでも、
丸くなった父しか知らない私の娘には、
そんな父でも充分、
破天荒な人間だったらしく。

娘が中学生くらいの時に、

「小さい頃、おじいちゃんのこと好きって言ってたけど、
本当は怖かった」

と私に向かって言ったこともあったから。

娘は娘で。

おじいちゃんとの思い出を、
いいものに変えていったんだなぁって、
娘のこの発言で、
感じることが出来ました。

過去の出来事は変えられないけれど、
受け止め方を変えたら、
それは自分にとって、
必要な出来事に変えることが出来る。

娘と話していて。

改めて、教えられた出来事でした。