愛着障害

実家訪問の際に過去のトラウマを軽減する訓練をしてきました

新型コロナウィルスを拡散しないために、
外出を自粛している中。

昨日は外出自粛のため、
毎日の生活に楽しみが無いであろう、
母を元気付けたくて、
実家を訪問した私に対し。

実家訪問あるあるだと思うけれど、
久しぶりに顔を出した娘に向かって、
母は過去の出来事をたくさん話してきました。

その話の内容は、
やっぱり父のことがメインで。

父から母の知らない虐待を受けていた私は、
父との思い出を、
良かったことのように語る母の言葉に、
複雑な思いがすることもあったけれど。

発達障害があったであろう父から、
自分も散々苦労させられてきた母が、
過去の全てを、
良かった思い出に昇華しているのならと、
私はあえて母の話しに口を挟まずに、
母の語る言葉に対し、

「そうだね、そうだね」

と、
ただひたすら肯定的な相槌を打ち続けました。

けれど、その話の中で。

私が生まれた時に、
入院先に会いにきてくれた父の母に、
自宅の家事をお願いしたかったけれど、
父の気性の激しさを怖がった父の母が、
父と2人きりになるのを恐れて、
決して自宅には行ってくれなかったため、
母は退院後に病院の先生から、
家事をしないように言われていたのに、
荒れ果てた自宅を放っておけなくて、
掃除機をかけていたところ、
大量に出血してしまい、
危うく死ぬところだったけれど、
生きていて良かった、
という話しになった時に。

私は少しだけ、
自分のトラウマの話を混ぜてみることにしました。

「結局、お父さんがお母さんの入院中に、
家のことを何もしてくれていなかったから、
お母さんが退院後に無理して家事をして、
出血して死にそうになったのに、
お父さんはずっと、
"お前のせいでお母さんは死にかけて体が弱くなった"
って私を責め続けていたんだから酷いよね」

そう、何でもないことのように、
サラッと相槌にこの言葉を加えました。

亡くなった父との思い出を、
良かったこととして記憶している母の、
感情を刺激して反発を受けないように、
細心の注意を払いながら。

その目論みは成功して、
母はすんなり私の言葉を受け入れ、
この出来事に対する、
母の見解の言葉を私に返してくれましたが、
私がこの出来事を、
何でも無いことのように話すには、
自分の自制心を総動員する必要がありました。

なぜならこの出来事は、
初めて言われてから40年後に、
父の嘘だったことが分かるまで、

ずっと私を苦しめ続けていた、
出来事だったからでした。

母は私の言葉に対し、

"私を責め続けていた"

という箇所で少し動揺を見せました。

父はいつも私を責める時には、
他に誰もいない時を狙ってこの話をしていたため、
母は小学校に上がる前の幼少期から、
私が父から責められ続けていたことなど、
知らなかったからでしょう。

でも、私の苦労話を聞きたい訳ではなく、
自分の過去の大変さを、
良き思い出として語りたかった母は、
私の言葉を、

「そうだよ、お前のせいじゃないよ」

と言って軽く受け流すと、
父にどれだけ苦労させられたかを、
また話しつづけました。

たった、それだけの。

母にとってはなんて事のない、
軽く言ったであろう言葉でしたが。

私はこの言葉を聞いて、
涙が出そうになりました。

母本人の口から聞く、
母が死にかけたことも体が悪くなったことも、
私のせいでは無いという言葉は、
例えどんなに軽く言われていたとしても、
私の心に響くに足る、充分な言葉でした。

私のせいじゃない

40年間ずっと、
自分のせいにされていたことが、
実は違っていたという事実。

初めて知った時に、
それは私の心を軽くするものではありましたが、
しかし新たに、

40年間、実の父親に騙され続けていた

という葛藤を、
私の心の中に生み出していました。

人生にもしも、は無いけれど。

私は時々、
この父親の嘘が無かったならば、
どんな性格の娘になっていて、
どんな人生を歩んでいただろうという、
夢想をする時がありました。

その夢想の中での私は、
もっと自分に自信を持っていて、
もっと明るい人生を生きている女の子でした。


40年ってね、
人生を取り戻すにしては長いです。

だから私は時々、
父親に対して怨みがましい気持ちになります。

でも、そんな気持ちを持ち続けていたら、
私は幸せになど生きられないから。

そんな怨みがましい気持ちを、
少しずつ軽くして、
いつかは笑って話せるようになるために。

心はまだ伴わないけれど、
機会があるごとに、
敢えて母に対して笑ってこの出来事を話すことで、
本当に笑って話せるようになる、
訓練をしています。

何度も繰り返し笑って話すことで、
私の潜在意識に、

笑える過去の出来事

だと、
刷り込んでしまえるように。

なんて事はない出来事なのだと、
心から思えるようになるように。

起こった出来事に対する反応(行動)を変えることで、
その出来事にまつわる感情も、
変えることが出来るから。

よく言われている、

「笑顔をつくっていたら本当に楽しい気持ちになってくる」

の、
いわば応用バージョンです。

心の傷を見ないフリして隠し続けていたら、
傷を手当てしてあげることは出来ないけれど。

きちんとその傷を見つけてあげられたら、
手当てをしてあげることが出来るから。

私にとって、
この出来事に対する手当ての方法が、
繰り返し話し続けることで、
この出来事に対する自分の心の免疫力を、
なんでもないレベルまで、
上げてあげる、ということ。

地道な作業ですが自分のために少しずつ、
取り組んでいこうと思います。